かくは優しさなり


豊家は常に騒がしい。
「ねぇ、あの娘は、大丈夫なのかい?」
あの娘が誰を指しているかはわかりきったことだ。細川の細君のことだ。逆臣明智光秀の姫御料人である彼女は今、夫の手で屋敷に幽閉されている。
いつもの世話焼きの性格か、ねねは彼女を心配していた。心配しては周りの者に尋ねていた。
「俺が知るわけありませんよ、関係ありませんし」
三成は淡白に答えた。彼は彼で、忙しい。
「……変なこと考えたらお説教だからね!」
「変なこととは何です、変なこととは。おねね様、俺よりも秀吉様のほうが……」
影技を見舞われた。三成が打った腹を押さえながら立ち上がる頃には、ねねの姿はなかった。
「なんなんだ、いったい……」
「たぶん、お前が悪いんだろうよ。おねね様に何をしでかした」
涼しい顔で清正が言う。
「お前こそ、何をしでかした」
なぜか頬が赤く腫れ上がった清正は、格好悪かった。ばつが悪そうに目をそらしていた。二人は思う、正則がいなくて良かったな、と。

いざとなれば忍びの技を駆使するまでだ。動きやすい戦装束で、ねねは夜の町を駆けた。喧騒も、暗闇も、ねねには問題ない。
細川の屋敷は暗かった。夜の闇よりも、どんよりと暗い。
あの娘のいる部屋を突き止めては、ねねは侵入を図った。しかし、忍び込むよりも早く、見つかってしまった。
「誰かおるのか」
それは細君だった。目に哀愁を、心細い心が映っていた。
「あたしのこと、わかるかい」
「……秀吉の、」
「……ごめんよ」
外では目立つから、二人は中に入った。

部屋には綺麗な着物やかんざし、御伽草子が並んでいた。夫忠興が買い与えたものだろう。しかし姫が興味を示すことはない。現に、すみに置き去りのその可愛らしい色の小袖は真新しかった。
「わらわには、優しい父上のいない、優しくない世がつらいのじゃ」
世の理は難しい、わらわにはわからぬ。か細い声は消えてしまいそうだ。彼女にはもう、誰かを恨んで気持ちを落ち着かせることもできなくなっていた。どうすることもできず、ただ記憶の中にいる優しい父を胸に抱いている。その父はいない。会いたいけれど、会えない。不安は募るばかりで、解決の糸口が見えない。
「辛いね、辛いときは、泣けばいいよ、今はあたししかいないから」
あたしが力になるから、安心して、今は泣いてしまいなよ。ねねの声はまるで母のそれのように、優しく響いた。

「話し声か、誰かいるのか」
忠興だ。部屋に入ろうとしている。
ねねは緊張状態で音もなく立ち上がった。
「寝汗で、着替えの最中じゃ、少し待たれよ」
細君はねねを見上げた。時間稼ぎの真似事だ。ねねは小さな声で、また来るからね、と言っては、瞬時に消えてしまった。
「誰か、いなかったか?」
「よく見られよ、誰もおらぬではないか」

翌朝、ねねは米を握っていた。手慣れたもので、一個を作り終えるまでは早い。しかし、わざわざ日向に移動して調理するのもどうだろうか。
「おねね様、ひとついただきます」
一日経って頬の腫れもひいたらしい清正はねねの隣に腰を下ろした。
「こら、ちゃんと手は洗ったの?」
「洗いましたって」
ねね特製のにぎりは、やっぱりうまい。鍛練で疲れた体にはちょうどいい。
別のところでは、三成と正則が口喧嘩を始めたのか、騒ぎ声が聞こえる。仕方のない子達だねぇ。立ち上がるねねに清正は話しかけた。
「昨夜は、どこの屋敷に忍び込んだのですか」
いったん咀嚼をやめて、まっすぐ視線を合わせた。場所は、わざわざ聞かずともわかっていた。ねねは驚いたように目をぱちぱちさせて、困ったように笑った。
「あたしと清正の、秘密だよ」
それ以上は何も言えなくて、清正は静かに頷いて、またにぎりを食べ始めた。秘密。ねねとの、秘密。なにやら恥ずかしい響きだった。

来る日、予想外の来襲のなかにはねねの姿があった。
「大馬鹿者に説教をするのじゃ!」
「いくよ!」
母性、ここに極まれり。








 

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