蓮華
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蓮、と呼ばれた。はじめは自分のことを指していると、わからなかった。あまり聞かない発音の名前だった。しばらくすれば、殿様がわざわざくれた名前だ、と嬉しくなった。特別な何かに、初芽は笑みがこぼれるばかりだった。
島左近が、疲れた顔をしていた。佐和山城、主君石田三成の前だ。
「蓮、ねぇ」
「初芽がどうかしたか」
「いえ、別に」
参謀の独り言に耳を傾けたのは、彼女の話だったからか。三成は文を書く手を止め、左近へと向き直した。申せ、と先を促す。
「気になるではないか」
頑固な主君の性格を知っている左近は、口を閉ざそうとはしなかった。
「殿が女に溺れるのは、滅多にない」
「儂のことなのか」
「そう」
「そうか」
三成に、驚いた様子はなかった。こと初芽に関しては自覚があるようだった。殿はくのいちである初芽に対し、蓮、と珍しい名を付けた。左近はわかってしまったのだ。蓮、花は美しいが、その美しさには秘密があるのだ。彼女に準えたのだろう。女の情欲に疎い三成にしては、考えたものだと思う。ちなみに左近の場合は、人生の経験による日和見というだけだ。歳は三成よりもずっと上だ。しかし長年に渡り戦をしてきたせいか、引き締まり、凛々しい体つきをしていた。
「蓮は、いい娘だ」
「そうですか」
「まさか、うた以外の、女に興味を持つとはな」
「忍びに恋したとなれば、奥方が怒られないか」
「恋ではない。抱きたいと思ったわけではない。妻は、うただけでいい」
しかし、愛している、と三成が言った。
屋敷を出る。そこで左近は彼女を呼んでみた。主君の声ではないが、現れるのだろうか。心配は杞憂で、忍びらしい身のこなしで、すぐに姿を見せた。
「何用ですか、島殿」
地味な色合いの小袖姿が、何やら似合わない気さえした。
「島殿、」
「俺には、無理だ」
「何がですか」
「知らんでいい」
「用件は、」
「ない」
「ならなぜ呼ばれました」
「知らん」
過ぎたるもの、島の左近、たまにはこういう行動もする。




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