4.そははかなく



広い琵琶の湖を、市は二人の娘とともに眺めていた。このゆっくりと流れる時間が、市は好きだった。
今日は風の穏やかな日だ。近江の息の音が聴こえるようだ。こんな静かなときでも、市は燃え盛る戦が脳裏に浮かぶ。

ある晩、市は夫の長政に向かって、堂々言ってのけた。この堅固な山城はいつ灰となるのだろうか、と。市の兄信長は、いつかはこの近江を手にかけるだろう。その未来はけっして遠くはない。
「市の悲しい顔は、義兄上のせいなのか」
長政は畳に寝そべって、いつものへらへらとした様子で言った。
「市は義兄上が怖いのだな」
市は立ち上がり、長政を見下ろした。いつもの無表情は、いつもより険を帯びているようだった。図星だったのかもしれない。かつてうつけと呼ばれた信長には、優れた才気があった。その采配に魅了され、畏れる者も多い。市はその兄がただ、怖かった。抗わず、すべてを受け入れるように、諦めた日を過ごしていた。
「世に絶望しているのかと思ったときもあったなぁ。市よ、俺になら、そなたをその恐怖から救えるかな」
「……どうするというのです」
「さぁ、どうしようか」
若くして浅井家当主となったこの男、実は兄並みの人物なのではなかろうか。市のなかに、そんな考えが生まれ始めていた。

小さな娘はただ眺めるだけのことに飽きたのか、市に抱きついてきたり、話しかけてきたりした。妹は疲れてしまったのか、乳母に抱かれて眠っている。
「ははうえ」
「どうしたのです、茶々よ」
「なにやら、しろがさわがしいです」
妙に大人びた児が屋敷の方を見つめていた。何があったのだろう。最後に琵琶湖に目を向けてから、市は早足で帰った。




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