口ずさむのは君が好きな謳



粗末な部屋はいわゆる座敷牢で、少女はここで毎日を過ごしていた。しかし、外に出られないということ以外には、不自由はなかった。座敷牢ゆえ、生活一式は揃っている。彼女も与えられた食事もきちんと食べているし、ときおり訪れる武将たちの話もそつなく聞いた。極めておとなしく、扱いやすい捕虜だった。
そんな少女は決まって、暗くなると歌を歌い出す。透き通った歌声は美しく、ついつい夢中になって聴いてしまう。しかし、なかにはそれを煩わしく思う輩もいる。仕方がないことだ。幸せ、というわけではないが、囚われの姫が悠然と歌っているなど、一部の者は不愉快だ。
今夜もまた、風に乗って少女の歌声が聞こえてきた。忍び者の葛城は夜の冷たい空気の中、彼女の歌を聴くのが好きだった。

いつからだろうか。その歌は突如として止んでしまった。
「今夜の配膳は、あなたが運んでくれたのね」
葛城は少女の飯を持って、座敷牢までやって来た。この役割は、殿に頼んで許可してもらった。藤紫の小袖に襷掛けた格好が、思った以上に似合わなかった。水桶に移った自分の顔を見て、葛城は苦笑していた。
「はじめまして」
ひとまずの挨拶をして、葛城は中に入った。配膳を少女の前に置いて、一息吐いてしまう。ずいぶんと無作法な気もするが、忍び者の葛城にそのような考えはない。
「ありがとうございます」
少女が丁寧に礼を言うものだから、葛城はむず痒くなった。照れるのだ。かしこまったものは、どうもなれない。葛城の言動は、普段通りの砕けたものになっていた。
「……名前を聞いても、いい?」
「あら、ふふ、私は芳です。あなたの名前は?」
「葛城。芳姫様と違って、忍びだよ」
忍びだからといって、少女が葛城を怯えるような気配はなかった。
「もうひとつ、こっちが本題」
「なんでしょう」
「どうして歌わないの?」
葛城の率直な質問に、少女は考えるようなそぶりをした。
「言いたくない答えだったら、ごめん」
「気を悪くなさらないで。お教えします。葛城さんにだけ、特別に」
唇に手を当て、秘密ですよ、と微笑みながら呟くしぐさは、ようやく年相応に見えた。特別、秘密、と言われて、葛城はわくわくした。

翌朝、葛城は殿の領地の外にいた。こういうときのために、殿とは仲良くしておくものだと切に思った。葛城の隣には、少女、芳姫がいる。笠を被り、袴で着付けた彼女は、青い空をじっと眺めていた。

あの歌は、恋の歌だ。しかも著名な歌だったらしい。葛城の教養が拙いことは、これで明らかになった。反感を買っていたのは、恋心を毎晩叫ぶからというのも理由のひとつなのだろう。
夜半、葛城が殿に相談したところ、ちゃんと連れて帰ってくるという条件付きで、一定期間の旅を許された。芳姫の恋人に会いに行く旅だ。葛城と芳姫と、それと見張り役の忍びが一人。葛城は結局、芳姫が座敷牢にいた理由を知ることはできなかった。それは、この先、芳姫自身に聞けばいいと考えた。
「ねぇ、芳姫様、歌ってはくれないか」
恋の歌と知ってもなお意味はわからないが、それでも芳姫の歌うこの歌が好きだ。青空の下、葛城の純粋さには敵わない、と芳姫は考えていた。




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Circulation.

時代的には、安土桃山〜江戸初期のイメージ
ただ、座敷牢に関しては、実際とは大幅に違っていたりもします





 

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