雛罌粟が咲く

四面皆楚歌スルヲ聞ク
「虞よ、私にお前をどうすることができようか」
垓下に籠る項羽軍は、孤立無援、脱出も難しい状態まで追い詰められていた。
勝負は時の運が支配している。いくら力があろうとも、それには勝てない。項羽が詠う。その目には虞美人も初めて見る涙があった。虞美人も、兵も、皆涙した。
四方から祖国の歌(楚歌)が聞こえてきた。嘆かわしい。我らを囲むのは、劉邦の漢軍なのに。
舞いながら、虞美人は項羽の腕の中に飛び込んだ。最後の抱擁だった。
「どうか、ご無事で」
「お前も、達者でいろ」
必ず迎えに来ようぞ。なんて甘言、ひどい嘘。
決戦は近い。馬に跨がる項羽を、虞美人は後ろから見つめるだけだった。項羽と数騎の騎馬が駆けていく。垓下に残されたのだ。
このままでは、迷惑をかけるだけだ。一度気づくと、考えることはしなかった。おもむろに剣をとった虞美人は、そのまま己の体に突き立てた。ざわめきが起こる。聞こえていなかった。ぼたぼたと赤い地が地面に染みを作っていく。倒れる虞美人を支えてくれる者はいなかった。誰一人、近づけなかった。
「私は、ここで、静かに待っております」
その表情は、恐ろしいほどに、穏やかだった。

それから、垓下の旧戦地に近づく者がいた。腰に剣を携えた年若い青年だった。武装は少なく、馬をひいて歩いている。
「ここが、項王の陣か」
荒れた大地に、侘しく、されど可愛げに、花が咲いていた。雛罌粟だった。青年はいかがわしそうに花を眺める。そこは、虞美人が自らを殺めた場所だった。ささやかな風に雛罌粟が揺れる。
「あぁ、吹かれていくか」
青年はそこに水をやった。
(あぁ、あなたは違うわ)
早く、あの方はまだかしら。





----------------

『史記』項羽本紀 より、四面楚歌のエピソードを、自分なりに書いてみた。



 

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -