動けぬ蝶の翅



近頃の伊賀者は、商人と成り済まして過ごしていた。先の戦が終わると、忍びの仕事が減ったからだ。長年を戦場で過ごした者にとっては、張り合いのない退屈な日々であった。
伊賀者として仕事ができる場所を求める者が多いなか、すみれは今の生活に満足していた。むざむざ戦乱を望むほど、彼女は血気熱い性格をしていなかった。
堺の一角に佐倉屋という茶屋がある。そこで、すみれを始めとする数人の伊賀者が表の仕事を営んでいた。
今朝はあいにくの雨で、客足がない。給仕のすみれは、一人、店の奥にいた。手に彫刻刀を持って、木彫りをしていた。彼女の数少ない趣味のひとつだった。湿気で手を滑らせないように十分に気を付けながら、作品の完成を目指した。
「何をつくってんだ」
後ろから覗きこむように、桐木が話しかけてきた。先ほどまで雨のなかを歩いていたらしい。袴の裾に泥が跳ねている。
「あんたには関係ないよ」
「こりゃあ、可愛くない女だねぇ」
嫌味のように笑う桐木が憎たらしく思えた。言い返そうとしたが、そこは何とか抑えた。今は彫ることに集中をした。
何刻か過ぎた頃、すみれの作品は仕上がっていた。完成した木像は、上出来であるらしい。緊張が解けたのか、彫刻刀を仕舞うと、彼女はすぐに寝てしまった。
寝たのを確認してから、桐木はその部屋に入った。彼女を起こさないように細心の注意を払いながら、先ほどの木像を探した。見つけるのには、さほど時間を用さなかった。
どこにでもありそうな丸太片は、見事な蝶になっていたらしい。女性らしい――いや、すみれらしい作品だった。素朴だが、丁寧で、美しい。
「どうせまた、あにさんに渡すんだろうな」
それは桐木の、小さな嫉妬だったのかもしれない。蝶の翅に、一筋の傷を付けた。







 

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