さやさや揺蕩う森林に聳え立つ木々の音色。それを共に小鳥達が奏でるかのようにちょんちょん、と唄う。 同時に吹かれるは、優しい柔らかな涼風。それはまるで、私達の髪を弄ぶかのような酷く柔らかな涼しい風だった。 「…歩けるか」 「……うん」 野原の真ん中で、澄んだ青空の下で。 冬獅郎は半年ぶりに目覚めた私を、先ず卯ノ花隊長が告げたのは、眠り続け筋肉などが衰えた体を、先ずは硬直したかのように自由に効かない重たいこの体を鍛え直すリハビリをしようとの事だった。 「痛むところはあるか」 私の腕を掴む事で支えながら、冬獅郎はこの自然の音色に負けぬ程の優しい声音でそう紡ぐ。 「大丈夫、痛みはもう何もないよ」 半年間眠り続けては見続けた、夢の中の夢。まさに悪夢と言っても過言ではない程の、酷く絶望的で、尚且つ戦慄的なあの夢を、私はきっとこれからも忘れる事はできない。 否、正直言えば時たまやはりあれは現実だったのではないのかと、夢だと言ってまた私を欺こうとしているのではないのかと、そんな風に思ってしまう事が度々あるのが本音だ。 桃ちゃんが「日番谷くん」と呼ぶ度に。乱菊さんが「○○」と私の名を呼ぶ度に。そして冬獅郎が私を見てくる、その度に。本当は私を見ていても、その奥に潜むモノは実は私ではないのではないのかと、そうやって私は一人、時たま疑心暗鬼に陥るのだ。 「…あっ」 「っ!大丈「いや!!!」 不意に我に返れば、躓きそうになった私を瞬時に抱き寄せた彼を自ずと突き放していた事に気付いた時には、哀愁を物語る翡翠の瞳をした、酷く悲しげな表情を浮かべる彼が其処には居て。 「あ、ごめんなさい冬獅郎私またっ…」 目覚めた筈なのに、目覚めていない。それ程までにあの悪夢は、私をこうやっていつまでも蝕んでいく。 「……気にするな、○○」 そう言って冬獅郎は、儚げに微笑んだ。私は、ただただ顔を歪める事しかできなかった。鼻がつん、と痛む。視界がおもむろに滲んでいく。光景が霞んでいく。ゆらり、ゆらり。 そんな時だった。聞き慣れた二人の声が、背後から同時に重なり合って私の名を呼ぶのを耳に届いたのは。 「○○ちゃん!」 「○○!」 黒髮と金色を風と共に靡かせて此方に駆け寄って来る、桃ちゃんと乱菊さん。ただ此方に駆け寄って来るだけだと言うのに、私はと言うと自ずと足が一歩後ろに引いてしまう。 そんな私を、やっぱり冬獅郎は悲しそうな、悔いていそうな、そう言った類の感情を混沌としているのか、少し眉根を寄せる。そして一歩後ろに引いた私を見た彼女達の表情も、また。 「…リハビリって聞いてね、あたし達も何かできる事はないかなって思って来たんだ」 眉根を下げて、少し困ったように微笑む桃ちゃんの表情は、あの悪夢の中で見た彼女の、まるで悪女のような面影は何一つとして聯想されない。 「…隊長だけじゃ不安だと思ったのよ」 そう言って乱菊さんもまた、眉根を下げては少し困ったように微笑みを浮かばせて、それもあの悪夢の中で見た彼女の、それこそまるで悪魔のような面影も、何一つとして聯想されない。 「おい待て松本、それはどう言う意味だ」 「えっそのまんまの意…いえ何でもありません」 「まぁまぁ日番谷くん落ち着いて、ね!」 「…ったく」 溜め息混じりに冬獅郎はそう吐き出して、それでも私の体を支える腕は、確かに温かかった。冷たくなかった。泣けるくらいに、酷く温かかったんだ。 涼風が草原を漣のように揺らす。そうだ。この地は、桃ちゃんと無邪気に走り回った思い出の場所だ。夢の中で彼女が吐き出した言霊を思い出す。 「人って、哀しい生き物だよね」 「…ねぇ、桃ちゃん」 「…なあに?」 「人って、哀しい生き物かな」 私の言の葉は、どうやら風によって騒めく野原の音色によって掻き消される事はなかったようだ。しっかりと、彼女の耳へと届いたようだ。何故なら私のこの紡いだ言葉に、桃ちゃんは目を大きくさせては少し驚愕を食らったかのように私を見つめていたから。 次いで流れる沈黙は、然程長いものではなかった。桃ちゃんはゆっくりと私と冬獅郎の前を横切り、私の目前で両手を左右に精一杯伸ばして、あの悪夢に感じた冷たい風とは真逆なこの柔らかな風を全身全霊で感じながら、桃ちゃんは言った。 「人って、嬉しい生き物だよ」 偽り無き、仮面と言う名の笑顔などではなく、それこそ私が最も知る素敵な笑顔を咲かせて、彼女はそう言ったんだ。 そうか。人は、嬉しい生き物なんだ。 次いで不意に蘇ったのは、悪夢の中で吐き捨てた乱菊さんの言霊だった。 「あたしだって幸せになりたいのに、なのに何でいつもいつもあんただけ…」 「……ねぇ、乱菊さん」 「…なあに、○○」 「私が得た幸せは、乱菊さんから見たら不幸ですか。…不公平だと、思いますか」 彼女の失った幸せは、無様にもあの悪夢を見たお蔭で理解できた。とても苦しかったのだろうと、分かってしまった。失って初めて気付いた時にはもう居ない、その行方知らずの想いが。 乱菊さんは、私のこの言葉を聞いて暫時黙りこくる。きっと想い返しているのだろう。想いを馳せた彼との過ごした沢山もの数々の日々を。それが時と共に褪せては消え逝くのも、きっと乱菊さんは感じている。全て、分かっているんだ。 すると暫く黙り込んで居た乱菊さんが、不意に私の目前まで歩み寄った。そして驚いたのは其処からだった。突如乱菊さんは、乱菊さんのその豊富な谷間の中に私の顔をぎゅむーっと押し付ける形で、酷く優しく抱き締めて来たのは。束の間の行為に、不覚にも私は言葉を失う。 「良く聞くのよ、○○」 「…はい」 「確かにあたしはギンを失って、失ったからこそ気付かされた事がある」 「……はい」 「でもね、○○。幸せだとか不幸だとか、あたしはそんな事気になんてしてないわ」 そんな事気にしてたら一々死神なんてやってられないじゃない。 言うや否や、乱菊さんは私をその谷間から離し、それは嘸かし誰よりも美しい微笑みを咲かせた。それはまるで、一輪の花のように。 「それに誰があんたの幸せがあたしの不幸なんて言ったのよ!言ってきた奴此処に連れて来なさいあたしが引っ叩いてやるわ!」 「…夢の中の乱菊さんが言ってました」 「……悪いけどちょっとそれは流石に引っ叩いてやれそうにないわね」 言って困ったように乱菊さんはまた笑ったんだ。あの日見た悪夢が、おもむろに霧のように霞んで消えていくのが分かる。 ずっと私を支えてくれていた冬獅郎の手をギュッと握り締めた。その行為に驚いた彼は、両眼を見開かせる。彼の瞳の奥にいつまでも潜んでいるのは、私が任務に失敗をし、瀕死になっては昏睡状態へと成り果ててしまった、あの日。全ては自分のせいだと、ずっと悔やんでは後悔と言う名の邪念を、彼はいつまでも抱え込んでいる。 ああ、愛すべき冬獅郎よ。 「ねぇ、冬獅郎?」 共に断ち切ろう。 「…なんだ?」 このまるで鎖で繋がれては解いてくれない負の感情の連鎖を。 「私って、そんなに無様で醜い死神の落ち零れかな?」 今、此処で。 「……否」 共に、歩き出そう。 「お前は、俺にとっちゃ最高の誇り高き死神だ」 愚かでもいい。敗者でもいい。 全てを心に刻み付けて それでも私は、いつまでも 君達を信じる事に決めたよ。 |