これは死神としての仕事だ。団結力が鍵となるこの任務に、決して私情を挟んではいけない。公示と私事を、混同させてはいけない。
そんな事、死神になった頃から分かっいた筈なのに。それなのにもう一人の私が、わざと桃ちゃんを危険な目に遭わせようとしている。

「雛森!虚がそっちに行ったわよ!」
「はい…!」

私と乱菊さん二人で一体。桃ちゃん一人で一体。と、計二体のこの巨大虚は、その大きな体格のせいでもあるのか、随分と手強かった。
乱菊さんは私が怪我をする事を恐れている。故に、ずっと私の援護をしてくれていた。一方桃ちゃんは、一人で巨大虚と戦闘中。苦戦を強いられているのは一目瞭然だったが、乱菊さんは私を護るのに精一杯だった為、助けに行く余裕など最早有りはしない。
私も、敢えて助太刀なんてしない。乱菊さんには悪いが、今はこのまま弱者を演じておこう。私を援護するのに必死にさせて、そのまま桃ちゃんを見放―……。
其処まで思考を働かせ時、余りの己の愚かな考えにハッとした私は、咄嗟に口元を押さえ、自身に戸惑いを覚える。

まさか此処まで、自身が堕落していただなんて。

「唸れ、灰猫!」
「…!」

乱菊さんの声と、目の前にいた巨大虚の喧しい咆哮に我に返る。我に返った時には、既に巨大虚は跡形も無く消えていた。どうやら私が自己嫌悪に陥っている間に、乱菊さんが倒してくれたらしいと、今になって把握する。

「大丈夫?ぼーっとなんかしちゃって」
「あ、すみません。大丈夫です」
「そう?ならいいんだけど」
「それより早く残りの虚を「乱菊さん!!」

背後から巨大虚と戦闘中だった筈の桃ちゃんが、何処か慌てた様子で此方に駆け寄って来る。虚は、倒せたのか。少々ボロボロの彼女を視界に認めた乱菊さんは、少し眉を顰めながら「あんたボロボロじゃない…」と紡いだ。

「それより、早く虚を追い掛けなきゃっ…」
「…虚?あんた倒したんじゃ…」
「それが致命傷は与えたんですが、そのままあの森林の中に逃げちゃって…」

彼女は申し訳なさそうな顔をしながら、前方を指差す。するとその瞬間、確かに彼女が指差す先に在る森林の方から、虚の咆哮が聴こえた。

「…あそこね。行くわよ」
「はい!」

瞬歩を使って、逃げたあの虚がいるその森林へ急ぐ。元々不安定な空模様は、不気味な灰色雲に覆われていた為、森林の中に足を踏み入れれば、其処はまだ昼間だと言うのにも関わらず、思っていた以上に薄暗かった。
それぞれの木の上にタン、と着地する。複雑に列を作っていた沢山もの木々が、無残にもへし折られているのが視界に入り、虚は間違い無くこの近くにいると確信した。

「…乱菊さん」
「……えぇ、恐らくこの近くにいるわ」

曇りと言う理由もあるのだが、木洩れ日すら無いこの森林は相当気味が悪い。虚はその薄暗さを利用して何処かに隠れているつもりなのだろうが、やはり特殊虚ではない為に、気配まで隠す事が出来ていない。そう考えると、改めて虚は馬鹿なのだと思い知らされた気がした。…その時だった。

「乱菊さん危ない!!」
「!」

桃ちゃんの大きな声と同時に、乱菊さんの背後から、致命傷を負ったあの巨大虚が、腕に生えた鎌みたいな鋭い兇器を振り翳す事で襲い掛かって来た。けれど流石は副隊長とでも言うべきか。乱菊さんは咄嗟に木から飛び降り、間一髪の所で避ける。代わりに折角立派に育ったであろう木が、虚の攻撃に当たり、薙ぎ倒される事で犠牲になってしまったが。

「…後ろから攻撃だなんて随分と卑怯な虚ね」
「乱菊さん怪我はありませんか!?」
「あたしは平気よ。それよりあんたは自分の身を心配しなさい」
「…でも、」
「弾け、飛梅!」

すると、瞬歩で虚の真上に上がった刹那にそう唱えた桃ちゃんの斬魄刀から、忽ち円を描く焔の塊ができ、それを虚の頭に目掛けて思いっきり振った。すると、見事飛梅を直撃した虚の頭の一部が粉砕し、虚は咆哮を上げる事すら叶わぬまま、瞬く間に消えていく。その余りにも呆気の無い幕の引き方に、私は少しばかり奇妙さを感じた。
桃ちゃんが額の汗を拭いながらふぅ、と、ようやくく倒せた事への安堵の溜め息を吐く。それを私は怪訝な眼差しで見ていた。だって、本当に呆気無さ過ぎる。まるで誰かがこのような展開へと仕向けたかのような。
すると、乱菊さんが「ナイス雛森!」と言いながら、斬魄刀を鞘に納める桃ちゃんの元へ駆け寄った。

「えへへ、これで漸く任務終了ですね」
「えぇ、後は向こうに戻って早く隊長に報告しなきゃ」
「はい!」

取り敢えず一段落一段落。なんてぐ、と背伸びしながら踵を返す乱菊さんの横を、桃ちゃんは微笑みを浮かべながら着いて行く。その彼女の容貌は、散々私に向けてきたあの鬼の形相などを連想させないくらい、良く被れた仮面だった。
不意に、一歩も動く気配を見せない無言状態の私に気付いた乱菊さんが、疑問符を浮遊させて軽く首を傾げた。

「どうしたの○○?」
「へ?」
「顔、怖いわよ」
「あ…いや、ただ…」

はっきりとしない私の物言いに、乱菊さんは更に疑問符を浮かべる。奇妙に呆気無いだとか、単に私が考え過ぎなだけなのだろうか。なんて思った時、ばちり、と桃ちゃんとの視線を交錯してしまう。相変わらず私にだけ向ける時の視線は、身も凍るような冷たさを持った、蔑視の視線だ。私は負けじと睨み据える。
そもそもあんな巨大虚をあんな呆気無く倒してしまえたなんて、それ程桃ちゃんにとっては雑魚以外の何者でも無かったと言う意味になる筈。なら何故、あの場で倒さなかった?何故、一度逃した?何故、逃したと伝えに来た時には既に虚は森林の中にいた?虚が森林の中へと逃げ込む際に、桃ちゃんは何をしていた?
険悪な雰囲気が、私と桃ちゃんの間に流れる。ああ、分からない事だらけだ。本当は意味なんて無いのかもしれないのに探ってしまう私を、人は捻くれ者と言うのかもしれない。
そう言えば何故乱菊さんは何も問い掛けてこないのだろう。私と桃ちゃんの事を。別に問い掛けてほしい訳では無いのだが、気にならないのだろうか。あんな、あんな場面を目にしときながら。

「……いえ、やっぱり何でも無いです」
「…そう?」
「はい。時間無駄にさせてすみません、尸魂界に戻りましょう」

斬魄刀を鞘に納めて、桃ちゃんから視線を逸らすや否や、早くこの気味の悪い森林から抜けようと歩き出す。そんな私の背後からは、相変わらず彼女の射るような鋭い視線を感じたが、全て無視した。
乱菊さんの言う通り、今は一刻も早く尸魂界に戻って任務に成功した事を冬獅郎に報告しよう、なんて、心の片隅で呟きながら。


……その、刹那だった。



「う゛っ…」



声にならぬ声が、確かに後ろから聞こえたのは。同時に、何処と無く不穏な雰囲気を感じて、背中に全神経が集中する中、恐る恐る振り返った私の瞳孔に映ったのは、後ろから胸元を斬魄刀で貫かれた、


桃ちゃんの姿だった。



最果ての悪夢

(物語は残酷を繰り返す)