君の最後の夏休み
まだ、憶えている。
あれが君と過ごせた、一番最後の夏だ。





からっと乾いた空気が、心地よい、暑い日だった。
みーんみんみんみん、と騒がしい蝉の声も、また風情がある。
扉を開け放っているから、縁側から爽やかな風が吹き込んできていて、ちりりん、と風鈴が可愛らしい音をたてて揺れる。
隣に寝転がっている君を見やると、ちょうど目が合った。

「やっぱり畳って気持ちいいね」

元からそれほど大きくない瞳を、更にきゅっと細めて君は笑う。どきりと高鳴った心臓をバレないように、そうでしょ、なんて笑い返した。
指を通したらきっと気持ちがいい、柔らかで繊細な髪が風に揺れる。僕は、つい伸ばしそうになってしまう指を、密かに握り込んだ。
君の肌は、夏休みの間に少しだけ焼けた。赤くなった鼻の頭をからかいたくて、よく見たくて、寝転がっていた身体を起こす。

「なにぃー?」

僕を、文句を言うように悪戯っぽい笑みを含んだ君が見上げる。

「日焼け、可愛いな〜って」
「なんだそれ」
「そのまんまの意味だよ! すき!」
「はいはい。いい加減にシツコイ」

毎日のように伝えている本心は、今日もさらりと笑って流されてしまう。でも、それで良かった。
本当に冗談だと思われているのだとしても構わないし、もし本当は本気だと気付いているけれど、見ない振りをしているのだって構わなかった。
でも多分、僕の予想だと、きっと君は気付いた上ではぐらかしているんだと思う。
それで良かったから、尚更僕もからかうように、冗談のように伝えている、というところもあった。きっと、そのことも君は分かっている。
ということを、僕も分かっている。
駆け引き、とはまた違う。暗黙の了解染みたものが僕らの間にはある。
また揺れた髪が、日の光をあびてきらきらした。やっぱり我慢できなくなって、くしゃりと頭を撫でた拍子に、指をさりげなく髪の毛に通す。
夏なのに、なんだか涼やかだ。思ったより乾いていた髪の毛が指先をくすぐった。
気持ち良さそうに少し目を細めた君に、また心臓が跳ねる。

すると、不意に、蝉の声が止んだ。

ただ風だけが音もなく二人をなぞって、通り過ぎていく。
なんだか、こんなことが昔もあった気がする。でも、あんなに小さかった僕も君も、こんなに大人に近付いた。色んなことを覚えたし、色んなことを忘れてしまった。
思えば、君が夏休みに療養のためこの街に、僕の家に来るようになって、今年で十回目だ。
それならば、この燻らせていた想いも、十年目だ。
訪れた静けさの中に、君と僕だけがいた。
そうだった。君への想いを正しく自覚したのも、幼き頃の、こんな、時間だった。

「…どうしたの?」

無言でいる僕を、不思議そうに見つめる君は、ずるいくらいに無邪気で、可憐で、僕の心臓を心地よく、痛いほどに締め付ける。
消えてしまいそうだ、と感じた。
この風に掻き消されてしまうかも、と不安に襲われるほど、君の存在は不確かで、儚いものに思えた。

「ごめん」

そのまま、優しく覆いかぶさる。日に照らされてきらきらしていた君に、影がかかった。
その目が、見開かれたのが、いやにゆっくりに思った。抵抗はされなかった。びっくりした表情で、でも真っ直ぐに僕を君は見つめている。
僕はゆっくりと目蓋を閉じて、静かに口付けた。
一瞬で、身体を離す。触れたか触れないかギリギリの、でも確かに重なり合った、そんなキスをした。

「…やっぱり好きだよ」

伝えてしまった。本気のトーンで、目を見据えて、告げてしまった。
なんだか、今伝えなければいけないような、そうしなければもう二度と伝えられなくなってしまうような、そんな焦燥感に駆られてしまった。負けてしまった。
じわり、じわり、と歪んだ視界のせいで君が見えない。声も、聞き苦しいくらいに震えてしまって、喉が締め付けられて、歯を食いしばった。
ぽた、ぽた、と涙が零れ落ちて、畳に点々と染みた。

「ばかだなぁ」

雫がどれだけ落ちても、まだ滲む視界の先に君を見やると、君もまた泣いていた。
否、涙は出ていなかったけれど、泣いているように、僕には見えた。

「もうすぐ、私、死んじゃうんだよ」

やさしく微笑みながら、噛みしめるように告げられた言葉に、僕は小さく頷く。

「わかってるよ。でも、…っ、でも、好きなんだ。やっぱり。ごめん。…すきだよ、本当に、本気なんだ」

どんどん細くなってしまった身体を、やさしく抱きしめた。小さな手が背中に添えられて、ぽん、ぽん、と僕をあやす。
原因が分からないままに弱っていく君を、今年も、見守ることしか、僕にはできない。病気に苦しむ君に、僕は何もしてあげられない。
好きだよ、好きだよ、なんて伝えて、君を困らせてばかりだ。
むしろ君の笑顔や、言葉に元気をもらってばかりで。

「ありがとう」

そんな不甲斐ない僕に、君は言う。
初めて、僕の告白に、応えてくれる。

「死んじゃうなら今がいいなぁ…って、
思っちゃうくらい、しあわせ」

僕もこのまま一緒に死んでしまいたい。そうできたら、どんなに幸せなことだろう。どんなに幸福だろう!
恐ろしいくらいの、衝動に近いくらいの激情が、僕の中を駆け巡って、でも言葉にはならずに嗚咽に変わる。
そうやってまた泣いている僕に、君は笑いかけた。

「やっと、ちゃんと言ってくれたね」




あの時、君は、泣かなかった。けど、泣いてるみたいに声が震えていた。
そういえば、君が涙を流すところを僕は一度も見たことがなかった。もう、どう頑張っても、見ることもできない。
もしかしたら、泣きたい時も、泣くことができなかったのかも知れない、と思っていたし、後々分かった事実そうであった。生理的な機能が、君からは奪われてしまっていた。
それなら、君が泣けなかった分を、一生を掛けてでも僕が泣きたい、と思った。


静かな夏は終わってゆく。
いつまで経っても、この静かな時間の中で、僕は一生過ごしていきたい、と思うままだった。思うまま、時間だけが無情に進んでいった。
ずっとずっと、あの乾いた空気と、切ない風の中、さらりとした畳の上で、抱き合っていたかった。
君は最期まで「死にたくない」と言わなかった。僕も「死なないで」と伝えることはなかった。
それで良かったのかは、今でも分からないままだけど、今年も、多分来年も、そのままなんだろう。
僕は、あの時の君の言葉に、
「僕もこのまま一緒に死んでしまいたい」
と思ったままだ。今でも。きっとこれから先も。
多分僕の生涯も、本当の意味では、君と一緒に終わりを迎えていた。
それでも、掠れた文字で綴られた、
「ごめんね。わたしもすきだよ」
の言葉に、僕はずっと囚われて、いきたいと思うんだ。







bkm
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