【おちたはなし】

いつから気になったのかは忘れてしまった。割と名が知られている無口無表情少女、2年7組の烏丸弥生。俺は彼女が気になっていた。
確かに彼女は無表情だった。いつ彼女を視界に捉えても、いつも同じ無表情なのだ。接点が無いからというのもあるけど、彼女の声を一度も聞いたことが無い。
…正確には聞いたことがなかった、過去形である。


俺が彼女を好きになった決定的な出来事はあの日の事だ。

春休み中の事。授業は当然休みであるが部活は当然ある。何故かいつもよりテンションが2割増しの木兎さん。特にテンションの高い木兎さんに付き合うのはかなり疲れる。休憩時間、俺は体育館から出て校舎裏の影に腰を下ろした。草が生い茂る場所、風の通り道で丁度日陰、かなり涼しい穴場だ。持ってきた飲み物を口に含みふぅ、と一息ついた。

ガサガサガサガサ

向こうの方から草をかき分ける音がした。たまに猫がフェンスの穴を通って学校の敷地内に入ってくるから猫かな、なんて建物の陰から顔を覗きこませると、フェンスの穴を通って来たのは猫…と、人間だった。…え。あの穴人通れるの。
草まみれになった人は、某有名な無口無表情少女、烏丸弥生だった。…何してるんだこの人。大変気まずいので息を殺し彼女(と猫)を見る。

「エリー、良い道知ってるね」

にゃー、と猫が鳴いた。エリー、猫の名前か。というかしゃべ…。烏丸さんは猫を抱きあげ、笑った。普通に、笑った。なんだ、普通に笑うんじゃないか。俺は呆然とする。学校で見る彼女はいつも、無表情で。

「ふふふーエリーはかわいいね」

すりすりと猫と戯れる烏丸さんを見て、なんだろうか。撫でまわしたくなった。なんだあの可愛い生き物は。誰だ無口無表情人間って言った奴は。いや、校内では確かに無口無表情ではあるが。

「さて、エリー今度は何処へ行く?」

するり、烏丸さんの腕から抜け出した猫はゆっくりと歩き出し、それに続き烏丸さんも歩きだした。「エリー、今日のおやつはいつものにぼしに鰹節が追加だよ」「にゃー」…なんだあれ。え、猫とピクニック?呆然と彼女たちの背中を見送る。
…猫と遊ぶ烏丸さん、あれ幻だったのかな…。
はっ、と気づく。ヤバイ休憩時間終わってるんじゃ。急いで体育館へ戻ると「おっせーぞ!あかーし!」と待ち構えていた木兎さん。

「すいません」
「おー…?お前どうした?」
「何がですか」
「顔赤いぞ」

は、と顔を触ってみる。…若干熱い様な気がした。「なんだー熱中症か―?水分とれ水分!」なんて言われる。ペットボトルの中身を、一気に飲み干した。

「大丈夫か?」
「大丈夫です。ちょっと、可愛らしい生き物に心奪われてただけなんで」
「は?猫とか?」
「…ええ、猫でした。凄く可愛い」
「へー赤葦猫好きなのかー!」

まぁ、とボールを手に持った。

「笑うと、可愛いやつです」
「え、猫って笑うの」
「笑いますよ」

笑みが零れる。「あかーしなんか楽しそうだな!」なんて木兎さんも笑う。なんであんたが嬉しそうなんですか。まったく。「機嫌の良いあかーしボールくれー!」なんて跳ねる木兎さんにボールを上げた。休憩入る前より全然、調子が良い。


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