「弥生、手」
「ん」

私たちは手を繋ぎ、一週間ほど前から一緒にご飯を食べている中庭へと向かう。馴れ初めを間違えてしまった感はあるのだが、今となってはどうにもならない。はてさて、どうしてこんな事になってしまったのか。発端は1週間と3日前に遡る。











2年7組クラス委員佐伯君が教卓の前であたふたしていた。何かと問うと「隣のクラスの配布物間違って持ってきちゃった…」との事。ちなみに私は無口であるが人見知りではない。そして佐伯君は自分のクラスの人間以外と全く話が出来ないとても人見知り人間である。そして私以外に佐伯君を気に掛ける人はいない。何故かというと佐伯君の影が薄いから。

2年7組クラス委員長、佐伯幸男(さえきゆきお)。幸薄男(さちうすお)というあだ名が定着している。幸せになりそうな名前なのになんたる不幸人間。別に虐められているわけではない。

話がズレてしまったが、そう、佐伯君は極度の人見知り。隣のクラスの人に話しかけるなんて絶対無理!な人である。「どどどどうしよう…」と慌てふためく佐伯君に私は親指雄立てる。

「えっ、頑張れ?」

ちがう私が行ってくる。ぶんぶん、と首を振りガッツポーズをすると「うん、頑張るよ…」とまだ勘違いをされた。可笑しいな、他の人ならこれで通じるのに。沈む佐伯君を横目に私は教卓に置かれた6組用のプリントとノートを手に持った。「えっえっ?」と佐伯君。行ってくるぜ、と目で訴えると「あ、うん…」と腕を差し出された違う持っていけという意味じゃない。げしっと軽く佐伯君を蹴飛ばし私は教室を出る。

2年7組クラス委員長、佐伯幸男。クラス一空気の読めない男。


そんな佐伯君を置いて私はすぐ隣、6組へ。丁度ドアにそのクラスの赤葦京治君が居た。丁度いい、と私はノートの角で赤葦京治君の背中…私の身長的には腰を突いた。「え」と声を漏らし赤葦京治君は振り返る。「ああ、烏丸さんそれ6組の」と何とも察しが良い。

「さっき行ったら7組分が有って6組のが無かったから」

それはウチの幸薄男が申し訳ない事をした。ぺこぺことお辞儀をすると「あ、大丈夫。持ってきてくれてありがとう。7組の分持ってきてあるから届けるよ」と何とも気が回る事。ぶんぶんと首を横に振る。ここで渡してくれれば持って帰るだけだ、隣のクラスだし。「大丈夫?」なんて言う赤葦京治君に任せろ!と首を振った。

「あとさ」
「?」
「付き合ってくれないかな」

こてん、と無表情で首を傾げる赤葦京治君に、こくんと頷いた。なにかお困りごとのようだと、と安易に頷いたそれが大きな間違いだった。


――赤葦京治くんが、笑った


なんともまぁ「少年」という言葉が似合うほどあどけなく、女子の私からして可愛いと思えるほどの屈託のない笑みを浮かべたのだ。自分の身体がぴしりと石のように固まったのがわかった。
赤葦京治君の噂は兼ね兼ね聞いていた。2年イケメン勢に鎮座する男子の一人。但し観賞用。無表情で口数が少ない、近づきがたい人だと。それがどういうことだ。とんでもない破壊力を持つ兵器を持っているではないか。

「ありがとう」

ここで私は気づいた気付いてしまった。赤葦京治君が言う「付き合ってくれないかな」はどこかにお供するという意味合いではなく、男女交際の「付き合う」ということに。ベタな間違いだが、いや間違えて当たり前ではなかろうか。そんな教室の前で「あとさ」なんてついでみたいな切り出し方で、しかも私みたいな無口無表情な人間に、いやそんなまさか。

「今日俺部活ないんだけど、一緒に帰ろう?」

照れくさそうに言う赤葦京治君。誰だ、赤葦京治は無口無表情と言った奴は。表情豊かではないか。呆然としながらも、断れる理由が無かった私はぎこちなく頷くとやはり赤葦京治君は嬉しそうに笑った。むぅ、見てるこっちが照れる。
居てもたっても居られなくなった私は、赤葦京治君から7組分の配布物を受け取り、逃げるように自分のクラスへ飛び込んだ。教卓前にはまだ佐伯君が立っていた。押し付けるようにこの幸薄男に配布物を押し付けると「えっ!?…わぁ!烏丸さんありがとう!」とにこにことするもんだから思いっきり蹴ってやった。お前のせいだぞ幸薄男このやろう。



どうする、打開策が見つからないぞ…いや、「頷いてしまったけど無かったことにしてくれ」と多少勇気は必要だが言ってしまえばいいか。罪悪感は生まれるが…うむそれがいい、そうしよう。腕を組みうんうんと頷いた。

ところで赤葦京治君はなぜ私の事を知っているのだろうか。隣のクラスだからと言って、交流があるわけでもない。私が赤葦京治君の事を知っていた理由は彼が女子の間で人気(観賞用)で割と2年の間では有名だったからだ。でなければ私は赤葦京治という人間を認識していなかっただろう。
一方私はただの無口無表情人間である。噂だってないだろうし、本当に赤葦京治君との接点は皆無なのである。…何故彼は私を知っている?この疑問は消える事は無かった。


そして放課後、7組の方が若干早く終わったので6組前の廊下の壁に寄りかかる。そして悩む。どうしよう、どのタイミングで言おうか。学校出てすぐ?2人が別の道行くまで凄く気まずい却下。じゃあ別れる直前か。

「烏丸さん」

ごめん、待たせちゃったね。と赤葦京治君が教室から出てきた。ぶんぶんと首を振ると「そっか、ありがと。それじゃあ帰ろ」と左手を差し出された。これは、あれか…あれなのか…。若干顔が引き攣るが私はそっと手を差し出した。流石にこれが握手だとは思わない。そのまま私と赤葦京治君は手を繋いで学校を後にした。



…予想はしていたが無言と静寂が続く。車の音が心地よいと感じる事があるとは誰が思った事か。でも排気ガス嫌い。「そういえば烏丸さん家どこ?」私は進む方向を指さす。「ならまだ一緒」と嬉しそうに微笑む赤葦京治君はまったく持って無口無表情ではない。

「烏丸さん。さっきは言葉足らずだったけど、俺烏丸さんの事が好き」

じわり、背中に汗が伝った。「頷いてくれた時、すごく嬉しかった」と、なんという拷問。こんなの「無かった事に…」なんて言えないではないか。

「ね、烏丸さん」

小さな公園前、人っ子ひとりいない。ぴたりと止まり赤葦京治君と向かい合う。吸い込まれそうな瞳、目を反られられない。

「なまえ、呼んでくれないかな」

ぎゅっと、私の右手を赤葦京治君の両手が包み込んだ。その手は、若干震えているように思えて。そっと私は口を開く。

「あ、かあしくん」
「うん」
「赤葦くん」
「なまえ、で」
「…けいじ、くん」
「うん、弥生」

俺、弥生の声初めて聞いた。なんて顔を赤らめて私の手を少し力を込めて握り締める赤葦京治君。その表情に、心臓を鷲掴みされた。からだがあつい。ぐわっってなる。なにこれ。足の感覚も手の感覚も何もない。

「俺、家こっちなんだ。弥生は真っ直ぐ?」
「……うん」
「送ってあげたいけどごめん。俺今いっぱいいっぱい」

正直私もだ。名残惜しそうに離れた手。手がひんやりとした。なんで、寂しいなんて思ってしまうんだろう。


「また明日、弥生」
「また、明日。京治君」

ばいばい、と手を振る。赤葦京治君はすたすたと行ってしまった。ふらり、公園へ足を踏み入れ、ブランコに腰掛ける。そのままゆらゆら。










ぼわっ!と顔が熱くなった。なにあれなんなのなんなんですか!?赤くなる赤葦京治君とか凄くレアなあれなんじゃないだろうか。うわぁあああ!居ても立っても居られない私は顔を覆い隠す。なにあれほんとなにあれ。破壊力高すぎる…!もうお断りの言葉は何処かへ消えた。

「ばかじゃないの…」

ぎゅーっとこころがあつくなる。
2年7組烏丸弥生。無口無表情人間。実は人並みに女の子しているジョシコーセー。赤葦啓二君の笑顔にノックアウトされた。


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