そういえば、飛雄が「及川さんがサーブトスを教えてくれない…」としょんぼりしていた気がした。及川さん、俺に冷たいんだ。といじける飛雄の姿を見て、私は及川君に殺意を覚えた。だがしかし、今日教室に来てみてどうだ?及川君の様子は可笑しかった。そう、及川君はこの頃苛々している。周りの人は、気づいていないようだけど私の洞察力をなめないでいただきたい。偶に見せる暗い表情が、なんだか恐ろしかった。あれは、放っておいたらいけないヤツだ。ふぅ…私は溜息を吐く。及川君なんて、ほっとけばいいのに私は馬鹿だなぁ。去年1年で私はだいぶ及川君に絆されてしまったらしい。そう、私は彼の友人なのだ。

「ねぇ、及川君」
「なに、八雲ちゃん」
「何があったか、私に話してみて?」
「…え?」







◇◆◇


ウシワカに勝てない日々。そして背後から迫ってくる影山飛雄という存在が恐ろしくて仕方なかった。アイツは毎日のように俺に「サーブを教えてください!」と駆け寄ってくるのだ。怖い、俺は影山飛雄が怖かった。あの天才はきっと、軽々と俺を飛び越えて行ってうしまう。ああ、いやだ。
それに、あいつは八雲ちゃんの幼馴染らしい。ずるいずるい、ずるい。俺は去年から八雲と知り合いになって、友達になったというのにアイツはずっと昔から、俺の知らない八雲ちゃんを知っているのだ。羨ましい、ずるい…ずるい。

そんなどす黒い想いを隠しながら生活していた筈なのに、俺の目を真っ直ぐと見つめる八雲ちゃんにはすべてお見通しだったようで。「何があったか、私に話してみて?」なんて言う八雲ちゃんに全て吐き出したくなった。劣等感も、どす黒い想いも、弱い自分全部を。ああ、でもやっぱりやだな。こんな俺を、八雲ちゃんに見せたくない。こんな気持ち知られたら、俺は。

「バレーの事?」

うん、そうだね。最近全然上手く出来ないんだ。サーブもミスってばっかりで。

「ウシワカ?に勝てないって聞いて。でも及川君、練習頑張ってるもの。今年は、きっと」

頑張ったところで、天才には追いつけないんだよ。そう、俺はいつだって蹴落とされる人間だった。

「それと…飛雄の事?」

身体が、熱くなった。八雲ちゃんの口から、その声でアイツの名前を呼ばないでほしい。仲が良さそうな2人、夕暮れ、一緒に帰っていた。思い出す。ああ、やだなぁ。頭が痛い。駄目だ。俺はもう

「及川く」
「うるさいよ!八雲ちゃんには関係ないだろ!」

しん、と教室が静寂に包まれた。マズイ、と思った時にはもう遅かった。ひそひそと話し始めるクラスの人間。女子が、八雲ちゃんを睨んでいた。違う、悪いのは八雲ちゃんじゃない。おれが
「なぁに、喧嘩?」「及川君怒らせるとか、不思議ちゃんなにやっちゃったの?」「くすくす」「ははっ、うける」「不思議ちゃん最近調子乗り過ぎなんじゃない?」「及川君かわいそー」雑音、雑音、雑音。
八雲ちゃんに聞こえる様に喋る女子たち。なんで、なんで八雲ちゃんがそんな事言われないといけないんだ。全部俺が悪いのに、なんでいつも。

「八雲ちゃ――」
「…そう」

ふいっと顔を背けられた。瞬間、俺は氷水を全身に掛けられたような、酷く冷たい感覚に襲われた。感情を映さない顔、八雲ちゃんと目が合うことなく…八雲ちゃんは席を立ち何処かへ行ってしまった。嘘、だ。嫌われた。嫌われた嫌われた嫌われた。どうしよう、後悔が一気に押し寄せる。ああ、このまま死んでしまいそうだ。

その日、放課後まで八雲ちゃんと視線が合うことは無かった。



◇◆◇


私の沸点は、そう低くは無い。そう思っていたんだけれど、クラスの女子の愉しい愉しい陰口のお陰で会話を中断せざるを得なかった。後悔が押し寄せる及川君の目を見て、多少心苦しくはなったんだけど、このまま教室で会話を続けられるわけも無く、私は一言「…そう」と言って話を切り上げてしまった。その時の及川君の泣きそうな表情が…何ともいえず罪悪感が押し寄せる。

その日1日及川君は生気が無かった。ごめん、話を切る前になにか気の効いた言葉でも掛ければよかった。中学生だもんね、色々考えちゃうよね良く知らないけど。放課後になって着替えもせずにカバンを持って外へ向かう及川君を目で追いかけた。あ、流石にあの状態で部活はやらないよね。私は慌てて及川君を追いかけた。玄関前で、及川君の背中を捕まえた。

「及川君、ちょっと話そうよ」
「…八雲…ちゃん…」

泣くのを必死に我慢するような、そんな表情。「今日は本当にごめんね」と謝り続ける及川君の手を取り、私は無言で歩きだした。学校近くにある公園、随分低いブランコに二人して腰掛ける。ぽつりぽつり、及川君が言葉を漏らす。

「いくら頑張っても、ウシワカには勝てないし。あの天才みたいなアイツが怖くて仕方ない。あいつ俺に言うんだ「サーブ教えてください」って。多分俺がアイツに勝ってるのってサーブくらいだし…アイツなんでも出来ちゃうし。八雲ちゃんと仲良いし」
「…ん?」
「練習全然上手くいかないし。八雲ちゃんの口から飛雄って名前出てくるしむかつくし。飛雄がずっと前から八雲ちゃんと仲良かったなんて考えただけでイライラするし悔しいしムカつくし。八雲ちゃんに嫌われたと思って俺本気で死にたくなったし!」
「落ち着いて及川君」

マシンガントークになるのやめて。なに、なんで私及川君にこんなに好かれてるの?意味がわからない。ぐずぐずと泣きだしながらブランコの立ちこぎを始める及川君。ちょっと、危ないよ。ギィギィとブランコの動きに激しさが増す。

「もう本当だいすきだよ八雲ちゃん!ばかぁあああ!!!」
「落ち着けと言ってるでしょう!!」

あ、声が漏れた。及川君が宙を舞った。ふわり、空へ。ちょ、私は慌てる。ブランコに吹っ飛ばされたのだ。緩やかに及川君が落下する。ぶへっ!と地面に叩きつけられた及川君に「うわぁああ!?及川君大丈夫!?」と慌てて近寄った。ううう、と鈍く動く及川君。大きい怪我はないようだ。ひとまず安心。及川君が顔をあげ、ぐちゃぐちゃの顔で私に言う。

「八雲ちゃん」
「はい」
「すきです」
「…はい」
「だいすきです」
「……」
「飛雄の事名前で呼ぶの止めてください」
「無理です」
「……」
「無理」
「じゃあ俺の事名前で呼んでください」
「………」

なんだこれ、心の底から恥ずかしい。甘酸っぱい青春の1ページみたいな展開、本気で恥ずかしくて死にたくなる。じっと私を見つめる及川君の視線に逃れられるわけも無く、私は泥で汚れた及川君の顔に手を伸ばす。するり、及川君の頬を撫でる。

「徹君」
「もう一回」
「とおるくん」
「…呼び捨てで」
「……とおる」
「もういっかい」
「とーる」
「…もういっ」
「しつこい!!」

えへへへ、へにゃり笑う及川君に私は顔を背けた。顔が熱いとか、そんなのきっと気のせいだ。