俺のクラスには「不思議ちゃん」と呼ばれる女の子がいる。教室の隅の席で、いつも物静かに休み時間は専ら文庫本に目を落としている。見た目は、クラスの他の女子に比べてしまえば確かに地味だが清楚というのだろうか、どこか大人びた眼鏡の女の子だ。放課後はよく学校の図書室や、町の図書館とかに居るらしい。それだけならば唯の絵に描いたような文学少女だけれど、それでも彼女は「不思議ちゃん」と呼ばれる。
そう、「不思議ちゃん」は何時だって独りだった。他の女の子たちは休み時間ごとに集まっては楽しそうな会話をするのに、彼女はいつも独りだった。クラスの人間は、彼女の存在を認識しない。そして彼女もそんなクラスの人間を気にする様子もなく、どうしようもなく独りきりだった。
いつも、彼女の周りだけ時間が止まっているかのように静かで、それを見てなんでだろうか。どうしようもなく泣きたくなるのだ。

「篠宮さんまた一人ぼっち」
「友達いないんでしょ」
「不思議ちゃんだもんね」

くすくすと、クラスの派手めの女子グループが彼女をみて嗤った。彼女に聞こえるくらいの声で話す女子を、彼女はまるで気にしていなかった。彼女は何時だって、そうだった。馬鹿みたいな連中を気にも留めないで。でも、それでも俺は不快に思ってしまったのだ。

「ねぇ、何読んでるの?」

先ほど彼女を嗤っていた女子たちが息を飲んだ。少しだけ、教室の雑音が小さくなったような気がした。視線が、俺の背中に刺さる。俺はそれを気に留めない。
手に持つ文庫本から視線を上げる彼女と目が合った。少し気怠そうな不機嫌そうな、そんな表情。俺はにっこりと笑う。彼女の瞳をちゃんと見たのは、これが初めてかもしれない。透き通るガラス玉のようで、綺麗だななんて思った。
俺は彼女の机に腕を置き、腰を下ろす。俺が彼女を見上げるような形になった。俺の行動に彼女は少なからず驚いたようだ、少し目を見開いた。そりゃあそうだろう。クラスメイトとはいえ、殆ど会話したことが無い男子が突然話しかけてきたのだから。でも、俺はそんなことお構いなしで口を開く。

「俺、本読むの好きなんだよね」

大嘘吐きだ。本なんて、国語の授業で教科書を読む、それだけで十分だ。嘘を吐いて、必死に彼女と話せる話題を思い浮かべる。必死に、嘘を吐く。でも彼女の瞳を見ていると、なんだかすべて見透かされているような、そんな感覚に陥る。いや、きっとバレているのだろう。こんな浅ましい俺の考えなんて全部。

「ねぇ、おすすめの本とか教えてよ。あ、知ってるけど俺の名前は及川徹、去年も同じクラスだったから覚えてるよね?篠宮さん」
「え、と…うん、及川君」

よかった、篠宮さんの中で俺が「記憶にない知らない人」だったらどうしようかと思った。流石に記憶にないなんて言われたらへこむところだった。俺の事を知らない女子はこの学校には居ないだろうな、なんて岩ちゃんに殴られそう泣けど、それでも俺はそういう人間だと自覚している。それでも、彼女は驚くほど周りに無関心だから、少し心配していた。そっか、俺の事、知っていてくれてるんだ。


「ね、友達になろうよ」

我ながら、なんと子供らしい発言なのだろうと思った。俺は手を差し出す。少し間をおいて「…うん」と頷き俺の手を握る彼女に、俺は嬉しくなった。



◇◆◇


漸く私は中学生になった。鬱陶しかった小学生時代、6年生の子は1,2年生の面倒をちゃんと見てあげましょうねー!なんていう教師達に何度イラっとしたことか。それでも、私は耐えたのだ。私は良い子ちゃん、優等生で大人しい子。それを必死に演じていたのだ。たかがクソガキ共に私の作り上げたイメージを壊されるわけにはいかなかった。
小学校の卒業式、私は泣いた。両親は大層吃驚していた。そりゃあ感情の起伏が乏しい娘だ、まさか小学校の卒業式で泣くなんて思っていなかっただろう。「これで…クソガキどもの面倒を見ずに済む…」なんて泣いて、そして笑いながら呟いた私に両親は笑った、とても乾いた笑いだった。

後は中学の3年間を乗り切るだけだ。そう、ゴミみたいな義務教育が終わるまであと3年。ひどく子供らしいと思われてしまうかもしれないが、私は高校デビューというものに心の底から憧れていたのだ。
まだ私が小学…何年の頃だかは忘れてしまったが、近所に面倒見の良いお姉さんが居た。中学までは大人しくて、それでいて可愛らしいお姉さんだった。それが高校生になって、真っ直ぐだった黒い髪の毛が、クリーム色になっていてふわふわとしていた。それを見て私に衝撃が走る。なんというか、当時の私にはお姫様のように見えたのだ。

「おねーさんすごく可愛い!」
「ありがとう!高校生になったら髪弄ろうって思ってたの」
「かわいい!すっごくかわいい!私もやりたい!」
「八雲ちゃんは高校まで我慢!」

それから、私は早く大人になりたいと思うようになった。今となっては高校生もまだまだ子供だよなぁ、なんて思ってしまうが小学生の私には高校生というものはとても大人に見えて、羨ましくて羨ましくて仕方なかったのだ。ちなみに大学生になった近所のお姉さんはバイトやらサークルやらで忙しいらしい。たまに目撃するお姉さんを見ては、私は羨望の眼差しを向けるのだ。

時間の流れは残酷だ。誰だろう、時間なんてあっという間に流れる。なんて言った人は。私はこんなにも時間を持て余しているというのに。中学1年を静かに生きた。そりゃあもう省エネ人間のごとく、私は面倒事を避けまくった。グループになって休み時間にお話をする女子が鬱陶しくて仕方ない。なんでああ、集まってないといけないのだろう。トイレ一緒に行こう?意味が分からない。ああやって、何をやるにも誰かと一緒、なんて生活私には耐えられなかった。そうやって、友達作りも避けていたら、なぜかついたあだ名が「不思議ちゃん」だった。もう意味が分からない。やること無いから図書室の端から本を借りまくって読んでいただけなのに。せめてこう、私が今キャラづくりしてるような「文学少女」なんてあだ名がついてくれたら万々歳だったのに。「不思議ちゃん」だなんて嫌でも浮いてしまうじゃないか。

2年になって、なんだか陰口を言われることが多くなった。「友達いないぼっちの不思議ちゃん」ほっとけ!今日もクラスの派手目の女子が私をくすくすと笑いながら陰口を言う。いや、もう全部聞こえてるから陰口じゃなくて悪口か。友達いなくても私は特に気にしていないし、表面上のちゃらちゃらした友達取巻きにしてる女子の言葉はなんだか…面白いくらいに中身がない。特に気に留める事も無く私はこのつまらない中学生活を送るつもりだった。…だった。

「ね、友達になろうよ」

クラスのイケメンボーイ(割と校内では有名人らしい、私は興味ないから知らないけど)が私の目をじっと見る。にこにこと笑うその人に、私は眉をひそめた。何故こうなった。女子の…特にさっきまで私の悪口を言っていた女子からの視線は痛かった。

平穏が崩れる音がした。

なんだ、なんのイベント分岐なんだ。手を差出し、なんだか可愛らしい笑顔を向ける「及川徹」という人間に私は頭を痛めた。私は、求めてない。こんな、甘酸っぱい恋が始まる予感!みたいなフラグ望んでません。
だからと言って、この手を取らないわけにもいかない。彼、及川徹という人間は(多分)女子に大人気の男の子。そんな彼が差し伸べた手を、振り払ったらどうなる?リンチされる、絶対「あんた及川君の好意踏みにじって何様のつもり?」とかすっごいくだらない理由でリンチされる…!いやでもまて、この手を取ったところで流れは変わらないんじゃないか?あれ、可笑しいな。私の人生つんだ?リセットボタンは何処?
訳が分からないまま、私は何時の間にか及川徹の手を握っていた。あれ、手が勝手に。心の底から笑みを浮かべるような、太陽のように笑う及川徹に、私はただ乾いた笑いを上げるだけだった。