気付いた時には私はボールを触っていた。すき、という感覚は分からなかった。ただ、これが私の全てなのだと、そう自覚した。ボールを触っている時は、多分楽しかったのだ。これが、私の人生なのだと。

ただ、何かが引っかかっていた。言い様の無い違和感。同級生を見る。今となっては見知った顔だけれど、違う。私は前からこの人達を知っている、知っていた。あの、意地の悪い先輩も、頼りになる先輩も、めんどくさがりな同級生も、なんだかんだで面倒見のいい同級生も…そう、私は知っている。



――私の知る彼が、いない



「痛っ」
「影森、どうした?」
「…なんか、足が痛い」

色んなものが、崩れ始める。



◇◆◇


「影森空さん、このまま激しい運動を続けていると歩けなくなります」
「え」

白衣の男性、医者に告げられた言葉に私の頭は真っ白になった。このままバレーを続けたら、歩けなくなる?横に座る母が震えた。

「生まれつき、そう身体が丈夫では無かったようですね。適度な運動は影森さんの身体を強くしたようですが、それが行き過ぎて酷使、という形に」
「あ、あの…このまま続けたら、いつ」
「…大目に見て中学卒業までですかね」
「そ、んな」

高校では、バレーはできない?ぎゅっと拳を握りしめる。しらない、そんなのしらない。

「歩けなくなってもいい。私は身体が動かなくまでバレーをします」

医者が溜息を吐く。分かっている、たかがバレーの為に人生を棒に振るのかと、目の前の医者はそう思っているに違いない。他人からしてみれば「たかが子供のスポーツ」なんて思われるだろう。でも、私にとって、バレーは

「これが、私の人生ですから」

母が、泣く。「この子の好きにさせてあげます」そう静かに言った。医者がやれやれと首を振る。「止めても無駄のようですね。…週1回は必ず病院に来ること。これは最低限の条件です」なるべく、進行を遅らせましょうか。カルテを睨みながらいう医者に私は感謝した。



◇◆◇


「なぁ、影森病院行ったんだろ?どうだった?」

心配そうな顔をする金田一に私は笑って「ちょっと着地ミスっただけ、全然大丈夫だったよ」と嘘を吐いた。ほっとする金田一に少しだけ胸が痛んだ。

「それより今日も練習付き合ってよ」
「お前女子バレのメンバーと練習しろよ」
「金田一と国見に打ってもらう方が練習になる。及川さんもいるし」
「男子バレに混ざるな…」

「まぁ、部活時間にはちゃんと戻ってるんだからいいんじゃない?」と後ろから声が響いた。

「まぁ、及川さんにひっつくのはどうかと思うけど」
「ひっついてない」
「ベタベタしてるじゃん」
「してない」
「端から見て、そうにしか見えない」
「してない!」
「おい国見、影森やめろ」

喧嘩腰の私と国見を金田一が叱る。いつもの日常。私の日常だ。この日常に、本来居る筈の人物は、居ない。

「ねぇ、影山飛雄って知ってる?」
「誰それ。金田一知ってる?」
「いや、知らない」
「……そう」

彼は、どこにいるのだろうか。私が居場所を喰らった彼の存在は。



「影森?」
「なんでもない」

なんだか不満そうな顔をする国見を余所に、私は教室の窓から広い青空を見上げた。


「…むかつく」


◇◆◇



「及川さ」
「やだね!」

ぐッ、と私はボールを抱きしめる。べーっだ!と及川さんは舌を出した。むかつく…!


「サーブ」
「やだね」
「サ」
「諦めなよ空ちゃん」
「む…」
「ていうか女子バレ戻りなよ」

ぺちん、とデコピンされたおでこを擦りながら「ちょっとだけ、見学します」と言うと溜息を吐かれた。及川さんは相変わらず意地の悪い人だ。意地と言うか性格が悪い。

「及川さんのイケメンっぷりを見学するのはいいけどね」
「…え?」
「ちょっと、心底不思議そうな顔するの止めてよ空ちゃん」
「頭大丈夫かなと思いまして」
「空ちゃんには言われたくない」

ほら、隅っこいなよ邪魔だから。ぺしっと軽く叩かれる。私は体育館の隅へ移動する。壁に寄りかかりながら、及川さんの練習をじっと見つめる。


「相変わらずだね影森」
「国見?」
「女子バレは」
「今日部活休み」
「あ、そ」

国見は私の横に腰掛ける。丁度いい位置にある国見の頭に手を乗せたら思いっきり払い除けられた。

「いい加減ここ来るのやめなよ」
「…嫌?」
「ここに来る影森は好きじゃない」
「、だって」
「及川さんは諦めなよ」

サーブ一回教えてくれるだけでいいのにな。む―…ずるずると下へ下がり国見の隣に腰かけた。

「やりたいこと、全部やりたいんだ」
「欲張りだな」
「仕方ないじゃん」

これが私の人生だから。私は死ぬまで、バレーをするんだ。私はこの時、確かにそう考えていたのだ。
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