酷く身体が冷たかった。それこそ、凍てつくような寒さ。気温が低いとか、そういう意味ではない。俺はきっと、いろんな人間にとって取り返しのつかないことをしてしまったのだ。それを漸く自覚した。震える俺の手を、今にも泣きそうな藤乃が包み込むように握りしめる。

「飛雄、」

私が飛雄の支えになるよ。今度こそ、私頑張るから。だからねぇ、飛雄。
弱弱しく俺の手を握る藤乃は、俺と同じように震えていた。俺の心臓が、音を立てる。それは、壊れた音。誰に、何を言われたのだろうか。きっと部の誰かがコイツに余計な事を言ったんだろう。コイツに、コイツが俺に何ができるというのだ。鬱陶しいと思う反面、俺は藤乃を振りほどけなかった。切り離してしまえば、藤乃は楽になれるだろう。でも、臆病者の俺には、そんなことできなかった。こんな形は間違ってる、そんなの頭では理解しきっている。でも、俺の身体は、心はしれを拒否した。
ゆっくりと、俺は藤乃の身体を抱き寄せる。

「藤乃」

痛いのは、どっちも同じなんだな。
藤乃の目から涙が零れても、俺はそれを拭うことはできなかった。


◇◆◇


そうだなぁ、1年の頃は飛雄も素直で可愛くていい子だったと思う。まだあどけない表情で、今となっては卒業してしまった及川先輩について行っては「サーブトス教えてください!」なんて言って。心の底からバレーが好きで大好きで。それが、いつからだろうか。飛雄が苦しそうにバレーをするようになってしまったのは。いつから、彼はそうなってしまったのだろうか。
中学最後の公式試合、飛雄が上げたボールは弧を描き、そしてそのまま地面に落ちた。誰も、彼のボールを打とうと思わなかった。トントントン…と床に落ちるボール、飛雄の表情。
いつかこうなってしまうことは、予想できていたはずだったのに、私は…私は飛雄に何もしてあげられなかった。彼を、助けることはできなかった。

飛雄の心がボロボロになってしまった。

こうなってしまったのは一体、誰のせい?
疑問だけが頭を駆け巡る。私たちが1年の頃、頑なに飛雄を拒み続けた及川先輩のせいだろうか。飛雄は天才だと、彼の才能に嫉妬した人たちのせいだろうか。飛雄を切り捨てた、チームメイトのせいだろうか。それとも――何も出来ずにただ見ているだけだった私のせいだろうか。
痛々しく俯く飛雄を見続けることが出来ず、私はそっと彼から目線を外した。




あの試合の直前、苛ついたバレー部の後輩が私に言った。

「お前影山の幼馴染なんだろ?あいつ何とかしろよ!」

アイツのせいで、俺たちは散々だ!と怒り狂う生徒をバレー部が数人がかりで抑え込む。泣きそうになる私に、国見君と金田一君が駆け寄る。私は俯く。
私に、どうしろというのだ。私は女で、飛雄は男で。私はバレーの事なんて全然わからない。そもそも幼馴染だからといって、彼は私の事なんて全く見ていないのだから。そう、いつだって彼は周りなんて見えていなかった。そう、それを早い段階で気付いていれば。でも、そんなの今更。
心配そうに背中を摩る国見君に、私はか細い声で「大丈夫だよ」と告げた。

ねぇ、どうしたら一番最善?


傷ついた飛雄を見て、私は今度こそと決心する。大丈夫、私は絶対に飛雄の味方だよ。今度は何があっても、私が飛雄を支えるから。



◇◆◇


「最近さ、高槻って影山と一緒にいるよな」

気怠そうな国見君が頬をつきながら言う。どの部活も3年は引退しているため、いつもなら昼練で居なかったはずのクラスメートのほとんどがクラスに居た。国見君も当然、そのうちの一人で。「金田一君は?」と聞くと「あいつバレー部にちょっかい出しに行った」とつまらなそうに答えた。金田一君、バレー部大好きだもんね。

「国見君は?」
「俺は良いよめんどくさい。なんで引退してからもバレーしなきゃいけないんだよ」
「でもバレー好きでしょう?」
「俺のことは良いからさ。さっきの疑問は無視?」

えっと…うーん…私は悩む。形容しがたいのだ、今の私と飛雄の関係は。言葉では、言い表せないような、そんな私たち。「なにそんなに悩むことがあるの」と言う国見君。意を決して私は口を開いた。

「飛雄と、まぁお付き合いみたいな形になって」
「は?」

国見君が呆然と私を見つめる。目を泳がせて数秒、やっぱり国見君の口からは「え?」という言葉しか出てこなかった。私は苦笑する。

「え、どういうこと?」
「付き合うっていうのとは、またちょっと違う気がするんだけどね。私、今度はちゃんと飛雄の傍に居ることにしたの」
「…なぁ、アレに関しては高槻が気にすることじゃないと思うんだ。あれは影山が悪いし、俺たちだって…きっと悪かったんだ。正そうとしなかった、ちゃんと向き合って話そうともしなかった俺たちが。あのときの後輩の言葉を気にしてるんだったら忘れろ。高槻は何も悪くない」
「何も悪くない、なんてことないよ」

私が悪くないなんてこと、ない。だって私はずっと、ずっと飛雄のことを見ていたのだから。こうなることを予期していて、それでも私は何も出来ずに立ち尽くすしかなかった。もし、私が飛雄になにかしてあげていたら、結果は変わっていたのかもしれない。そう思わずにはいられない。私が、私のせいで。

「あのさ、高槻は…影山の事――」

私には、質問されたくないことだ。国見君の口に手を当てる。国見君って、なんでも見透かしてそうで怖いんだよね。でも、私は

「私は飛雄の幼馴染。それだけだもん」
「…そう。でもあんまり無理はするなよ」
「ありがとう」
「…高槻、あのさ」

「おーい高槻、影山が呼んでるぞー」
「あ、はーい」

国見君ごめんね、ちょっと行ってくるね。私は席を立った。じっと私を射抜く国見君の瞳に、全部ばれているような気がしてやっぱり少し怖かった。




◇◆◇


俺が言えた義理ではないが、高槻も影山も本当に馬鹿だと思う。なんで、高槻が無理をしなければいけないんだろうか。いつもみたいに装っている高槻の笑顔は、どう見たって無理して笑っていた。そうしてしまったのは影山と、間違いなく俺たちだ。そう、俺たちが悪い。それを必死になってなんとかしようとしている高槻に口を挟む権利は俺たちにはない。本当に、馬鹿だ。

「めんどくさい…」

色んな思案が頭の中を巡る。考える気が無くても、色々と考えてしまうのは仕方がないことだ。部活を引退して、時間が有り余っている。やることがない。暇だからと言って金田一と一緒にバレー部に顔を出す気力なんてない。気力以前に、気分の問題だけど。


「国見君、部活ないのなら帰ればいいのに」

放課後まで机で寝なくても…と高槻は苦笑した。

「高槻はなんでこんな時間まで?」
「飛雄の補習待ち」
「…こんな時期までテストの補習受けてて、アイツ高校入試大丈夫なの?…ってアイツ推薦か」
「え、あ…飛雄推薦じゃないらしいの」

は?と俺は机から顔をあげた。あいつ、推薦貰ってないの?「白鳥沢からは、推薦来なかったんだって。青城には…元から行くつもり無かったみたいだし」と高槻が言った。推薦なしでアイツが行ける高校ってあるの?アイツの馬鹿さはよく知っている、破滅的だ。

「白鳥沢一般で受けるって」
「受けるのが恥ずかしいレベルの頭だろアイツ」
「ははは…、あとは烏野?って言ってたかな」
「からすの?なんでまた…。高槻は?」
「え?」
「高槻はどうするの。影山と同じ高校?」
「……そう、なるかな」

俺は知っていた。高槻の志望校はずっと前から青城だったはずだ。高槻の表情を見てもわかる、高槻は無理をしている。はぁ、情けないな。どいつもこいつも。

「高槻、影山が来るまで話ししようか」
「え?いいよ、国見君は気にしないで帰っても」
「俺が喋りたいだけだからさ」

すこしでも、高槻の気が晴れたらななんて思う。まぁ俺と喋っていたところで気なんか晴やしないだろうけど。実際のところ、これは高槻の為ではない。自分の為なのだ。どいつもこいつも馬鹿ばっかり、本当に嫌になる。高槻も影山も、俺も本当に馬鹿だ。
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