「何をやっているんだ!」

俺はあいつに叫んだ。あいつは自分の子供の首を絞めていた。まだ言葉もろくに話す事が出来ないちいさな飛雄の首に、力を籠めていた。苦しそうに飛雄が呻き声を上げる。俺は妻を突き飛ばし、飛雄を抱きしめた。けほけほと咳き込む、くっきりと首に手の跡が残っていて痛々しい。「飛雄、しっかりしろ!」ぺちぺちと飛雄の頬を叩くと「おとー…さ、」力無く飛雄が声を上げる。大丈夫、息もしている。

「お前何を――!」

声を上げた時既に妻は居なかった。消えた妻も心配だったが、腕の中でぐったりとしている飛雄の方が心配で、すぐさま俺は車を出して病院へと向かった。この選択が間違いだったなんて思っていない。
その日家に帰ったら電話が鳴って「――奥さんがお亡くなりになりました」なんて言われるとは思っていなかった。

損傷は激しかったらしい。大型のトラックに自分から突っ込んで行ったらしい。赤信号の人通りも車通りも多い交差点だ。何人も人がその姿を目撃していた。「まるで誘われるように道路へ歩いて行った」歩行者の殆どがそんな事を言った。自殺だったのか、俺には分からない。そんなにも、飛雄が嫌いだったのかと俺はあいつに問いたかった。






飛雄がだいぶ大きくなった。母は居ないが、それでも元気に育ってくれた。俺も精一杯飛雄を愛した。当たり前だ、子供を嫌う親は居ないのだから。妻を思い出しては首を振り、その記憶を振り払った。
――この頃から、飛雄は宙に視線を向ける事が多くなった。特には気にしていなかった。独り言が多くなって、変な事を言うようになってから少し気に留めるようになった。それは俺の父が不思議なものを見る目を持っていたからだ。嫌な予感は、していた。





「――お母さん、なんだ」

飛雄が笑った、俺に向ける笑顔だった。お母さんがいつも、俺を守ってくれるんだ!無邪気に言う飛雄に恐怖を覚えた。あれが、あれが飛雄を守るはずがない、寧ろ。俺は震えあがる。父に電話しなければ、震える手で俺は電話のボタンを押した。「飛雄、なにか視えるらしいんだ」そう力無く言う俺に父はすぐ行くと電話を切った。早く来てくれ、もし飛雄の側に居る母とやらがあいつなら、今度は確実に殺す気だ。死んでもまだ、飛雄が憎いのかと俺は死んだ妻に問うた。










「大丈夫だ、それは飛雄を傷つけないよ」

父が言った。飛雄の側に居るそれは妻ではないらしい。ただ、母ではあると。子を守るのが親の役目だ。父はそう言った、俺もそうだと思っている。寝息を立てる飛雄にブランケットを被せて父の話を聞いた。

「これは、お前さんに言って良いか判断出来ない話だが」
「いい、母と騙るその正体はなんだ?」
「それは母としか言いようがない。見た目は化け物そのものだがな。正直飛雄がそれを認識出来無くてよかったと安心している」
「大丈夫、なのか?」
「大丈夫さ、飛雄を傷つける事はまず無い」

父は言い淀んだ。飛雄を傷つけないというなら、何をそう言いづらそうにするのか。父は顔を歪ませ口を開いた。


「お前さんの嫁さんを殺したのはそいつだ」

子を苦しめる人間を恨んだ。そしてそいつは産みの親を殺したのだ。ああ、成る程。父が躊躇ってたのはそれか。妻の死体は損傷が激しかった、トラックに轢かれたと聞いたが、トラックにそれほどスピードは出ていなかったらしい。人通りや車通りが多いとはいえ田舎なのだ。その時のトラックのスピードは道路の狭さも有り40〜50キロくらいのスピードだったらしい。それでも、妻の四肢はばらばらになった。見るも無残なものだった。喰いちぎられたかのようにばらばらで。

「際限無い愛情ほど、怖いものはないな」

父は笑った。どちらが幸せなのか判別は付けられないな、そう言って目を伏せた。俺は飛雄が懐いて「母」と慕うのならそれで構わないと思った。子を守るのが、親の役目なのだから。俺はそれを母と認めてやることにしてやった。
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