Pegasus



「岩ちゃん安心院ちゃんに何したの?」

及川が首を傾げる。あの日以降、安心院は俺を見つけると威嚇してくるようになった。俺の姿を見つけようものならサッと物影に隠れじーっとこちらを見つめてくる。距離を詰めようとするとダッシュで逃げる、安心院の半径2メートル以内に入れない。無理に距離を詰めるとまさに野良猫の様にシャー!と声を上げるのだ。近くに居た猫が逃げ出していた。さてどうしたものかと思案する。「ちょっと、岩ちゃーん?無視しないでよー」うるせぇ及川、考え事してんだ邪魔すんな。岩ちゃん岩ちゃん、いわちゃーん。あまりにもウザ川がうざったいので仕方なくこの前の出来事を話した。


「あの岩ちゃんが女の子の素肌に触れるだなんて」
「その言い方止めろマジやめろ」

及川じゃあるまいし。どういうことだ岩ちゃんコラ。及川がぶつくさ言ったが無視する。あ、前方に安心院を発見。既に俺を睨んでいる。俺は及川をそのままに駆けだす、と安心院も駆けだした。「岩ちゃーん!?俺置いて行かないでよ!!」後ろから及川も駆けだす。割と小さめの女子を身長約180cmのガタイの良い男子2人が追いかける。制服着てなかったら完全に通報物だ。つーかアイツ足早ェ!運動部が追いつけないってどういう事だ!ぜーはー息も絶え絶えに速度を緩める。安心院は既に居なかった。


「岩ぢゃ…疲れ、げほっ」
「お、いくそ川…なにげほっ、バテてんだ…」


岩ちゃんそれ人の事言えないから…。ふーと息を吐き呼吸を整えた。マジでアイツ何者だ。「朝練前に良い走り込みになったね…」肩を落として及川が笑った。ふと、俺は疑問に思う。


「安心院、なんでこんな朝っぱらから通学路に居るんだ?」

その疑問に答えられるのは、きっと黒マントくらいだろう。溜息を吐いて俺達は歩きだした。








◇◆◇




「随分と、むくれてるじゃないかスピカ」
「部長、私はスピカじゃありません」

悪い悪い、安心院君。それで君さぁ。部長の言葉に私は顔を背けた。部長は笑う、それはもう愉快そうに笑った。

「不愉快です」
「部長にそんな事言わないでおくれよ」
「不愉快ここに極まります」
「そこまでか」

困った困った、可愛い後輩に嫌われるのは嫌だなぁ。全く困った風ではない部長に私は頬を膨らませた。部長は何枚も上手なのだ、私が冷静であったとしても飄々とそれを押しのけて行く。「それでさ、安心院君。岩泉君の事だけれど」部長の口から出た名前に、私は固く口を閉ざす。


「そんなに嫌かい、彼の事」
「はい」
「嘘は禁止だよ」
「嘘じゃないです」
「へぇ」

「じゃあいいさ、避けまくってる君の代わりに僕が岩泉君に伝えてきてあげよう。「嫌いだから、もう私に構わないでください。と安心院君が言っていた」とね。そうすれば安心院君も彼に気にせず高校生活を送れるだろう?」丁度彼も近くに居たし、伝えてくるよ。くるりと私に背を向けた部長のマントを掴んだ。こういう時の部長はだいきらいだ。「どうしたんだい安心院君」声は少し弾んでいる、わかりきっているクセにいじわるなのだ、この部長さまは。


「…きらい」
「さっき聞いたよ」
「……じゃ、ないです」
「そう」
「楽しそうですね部長」
「いや全然?」

このうそつき部長め。マントで表情こそは見えないけど、この人はいつだって楽しそうなのだ。私は息を吐いて部長へと目を向けた。


「あんまり、近付きたくはないです」
「なんで?」
「よくわからなくなるから、です」
「何がだい?」
「自分が」

ふぅん、君はきっと難しく考えすぎなんだろうね。部長がそう言った。難しく…考える?私は首を傾げた。

「愛は時に理解しがたいからね、君にとっては初体験だろ?うん、どきどきするね」
「部長の言い方、嫌です。変態に聞こえます」
「安心院君は荒れていると辛辣になるねぇ。ふふふ、愉快愉快」
「やっぱり楽しんでるじゃないですか」
「まぁね」

いやー、人と人との巡り合わせは本当に面白いよ。で、君は自分に素直になったらどうだい?その言葉にまた頬を膨らませた。私が自分の意に反してる、みたいな言い方はよしてもらいたい。別に私は。


「あの日あの夜、君は何を見た?君の言うアルテミスは何と言った?」
「何も見てないですし、何も聞いてません。そもそも私は邪魔されました、岩泉一先輩に邪魔されました。交信おはなしもなにもしてません」
「嘘吐き。確かに君は聞いたはずだし、見たはずだよ」

まぁアルテミスじゃないけだろうけどさ。部長はそう言って笑った。聞いたし、見た。部長が言った通り、私はあの日あの夜、夜空も水たまりも輝く屋上で確かに私は見た。


――声がした、人の声だ。
邪魔しないでください、私今真剣なんです。その声を私は無視した。――おいお前、こんな時間まで女子一人で何してる!大きな声に無理矢理向かされた身体。月の光に照らされる人。そういえば、部長が言っていた。「スピカきみは近々アークトゥルス運命の人に出逢うよ」そんな馬鹿な話。ある、わけがない。そんなものを私は認めていない…運命なんてそんなもの。

それでも、私は出逢ってしまったのだろう。そのアークトゥルス運命の人に。



「アークトゥルスとスピカというよりアルテミスとオリオンじゃないですか…」
「素敵な事を言うね。男女逆にはなってしまうけど、安心院君はアルテミスに射抜かれたオリオンか」
「私は死んでません」
「死んじゃうかもね」
「そんな物騒な」
「愛に溺死」
「部長恥ずかしいですよそれ」

くすくすと部長が笑った。まったく…笑い事じゃないですよ。私は肩を落とす。ゆったりと私を侵食する毒は、もう身体から抜くことは出来なくなっていた。知らないふりを、しようと思っていたのに。



「安心院君、初恋っていつだった?」
「つい先日です」

それは予想外だったらしい部長が「え」と声を上げた。だから、言ったじゃないですか。自分がわからなくなるって。だって、こんなの初めてだもの。





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ポエマーちっくで恥ずかしい部長と安心院ちゃん
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