Artemis and Orion



"私は確実に狙いを定める弓矢の名人"
"容易い事です"


アルテミスの矢は愛しいひとを
射てしまったのだろうか






もうすぐインターハイ予選という事もあって、部活での練習は普段以上に熱が入っていた。気づけば夜も更けていて、自主練と称するにはオーバーワークすぎたと反省する。それでも「まだ足りないよ!」と駄々をこねる及川を引き摺り、部室へと放り投げた。


「もうちょっとだけやりたかったなぁ」
「オーバーワークだっつーの」

着替えている間もぶつくさ文句を言う及川をどうやって黙らせようかと思案する。もう一度殴れは黙るか、俺は拳を握りしめると及川が「そういえばさ、」と口を開いた。握った拳の力を抜く。


「岩ちゃん知ってる?このくらいの時間になるとさ、屋上に女の子が現れるんだって」
「は?」
「幽霊じゃないかって噂。あ、偶に一人じゃなくて何人もの影が見えたって言う人も居るみたい。岩ちゃん、ちょっと見に行ってみない?」
「ばっかじゃねーの…つーかマジ早く帰んぞ…」

部室の壁に掛かった時計を見上げる。及川も俺と同じく視線を上に向け「げっ!かーちゃんに怒られる!」と声を上げた。さっさと帰る支度をし、部室のドアに鍵を掛けた。ガチャッと響く冷たい音。さて…俺と及川は向き合い、拳を握りしめ


「…じゃーんけーん!」










「あー…くっそ…」

「俺の勝ちー!じゃあ岩ちゃん体育館の鍵職員室までよろしくー!あ、俺お腹すいちゃったから先にコンビニ行ってるね!」ばいばいきーん!とアホ丸出しでウィンクをし、走り去った及川に殺意が芽生えた。いつも変な駆け引きを持ちかけては及川が勝手に自滅していたが、今日はなんの小細工も無しにストレートで負けた…。鍵を手に、俺は職員室へと向かう。そういや、課題出てたな…あのプリント何処やった?鞄の中を探るがそれらしいものは無かった。ついでに取りに行くか。俺は職員室のドアを開ける。


「すいませーん、体育館の鍵返しに来ました」
「おー、珍しく及川じゃないのか。今日はまた随分遅いな岩泉」
「すんません…」
「大会も近いもんなぁ…でも、あんまり遅くまで練習はいかんぞ」
「うっす。あと、教室に忘れ物したんで、取りに行っても良いっすか?」
「おー、行って来い」
「あざっす」

及川を待たせているが、まぁ良いだろう。そんなに時間がかかるわけでもない、それにどうせアイツは一人で肉まんでも食ってんだろう。俺も腹減った、なんて思いながら教室へと向かう。
なんだか、廊下の電気を付けるのは申し訳ないと思った。宿直の先生には言っているから、電気くらい付けてもなんの問題もないだろう。でも、月明りが廊下を照らし、電気が必要ないくらいに明るかった。俺は、月の光の中を歩く。


「なんつーか、夜の学校って不気味なイメージだけど」


幻想的だよな、この光景。なんて、
そんな俺の独り言は静寂に飲まれた。急がなきゃいけないはずなのに、俺はゆっくりと廊下を歩く。あと、何回この廊下を歩けるのだろうか。数えればとんでもない海すうだろうけど、俺達はもう3年で。そんな数字にはきっと意味なんてないんだろう。…なんで俺はノスタルジックになってんだ。首をぶんぶんと振り、頭に浮かんだものを掻き消した。そして、ゆっくりと辿り着いた自分の教室のドアを開ける。

教室も、あかるいな。

窓側、前から3番目の席。俺は机の中を漁る。ガサガサと手を突っ込み「あったあった」と小さく呟きお目当てのプリントをバッグの中に入れた。よし、帰るか。ふと、俺を照らす月を見上げた。――見上げて、停止した。隣の校舎の屋上、月明かりのおかげで視界がクリアで、俺の視界のど真ん中に映る人影。制服姿の、女子。




――知ってる?このくらいの時間になるとさ、屋上に女の子が現れるんだって




及川の言葉を信じたわけではない。幽霊だなんだと非科学的なものを信じるような人間ではない。夢が無いと言ってしまえばそれまでだが、いや幽霊に夢も何もないだろう。兎に角そんなものは信じてはいなかった。

俺は走る、隣の校舎へ続く渡り廊下を駆け抜ける。危なく通り過ぎそうになる階段を駆け上がり、上へ上へと上る。ダッシュし過ぎて部活並みに息が上がるが、それでも俺は駆ける。
俺はそう、怒鳴ってやらないと気が済まなかったのだ。幽霊なんてものは信じない、ならばあそこに居るのは人間だ。男子生徒だったら、これはこんなに怒りに震えていない。そう、こんな時間に一人でいるであろう女子生徒が許せなかった。
屋上へと続くドアの前で立ち止まり、息を吐く。ドアノブに手を伸ばし握り締めた。ゆっくりと、捻る。鍵は掛かっていないようだ。当然だ、だってこの先には人が居るのだから。ガチャリ、冷たい音が響いた。ドアを押しだす。




月が、綺麗だった。
遮るものは何もない。昨晩雨が降ったにも関わらず、空には満天の星空。まだ乾ききっていない雨水が床一面に広がっていて、夜空を鏡のように映していた。そして、真ん中に彼女が居た。教室で見た人間がそこに居た。髪の長い女子生徒だ。背を向けている為、顔を見る事は出来ない。表情なんて分かりっこなかったが、きっとのんびりとした奴なのだろう。こんな時間に、こんなところで一人でいるのだから。俺は口を開いた。

「おいっ!」


ぱしゃり、水音が響く。女子生徒からの反応は無い。ガン無視かコイツ。ぱしゃり、また一歩俺は足を進めた。近づいてみて、その女子生徒が空を見上げていることに気付いた。
そら

水溜り
も月と星が在るだけだ。
「おい」俺は再び声を掛けるが、やはりそいつからの反応は無かった。手が届く距離まで近づき、俺はそいつの肩を掴んで無理やり自分の方へと向かせた。

「おいお前、こんな時間まで女子一人で何してる!」


さらり、腕に女子生徒の髪が掠る。目が、合う。闇。いや、満天の星空を瞳に写し、夜空のような瞳だった。俺の思考は停止する。しかしそれは一瞬だ、俺の意識は次の瞬間には戻りその女子生徒の手を掴んだ。酷く冷たい、こいつ…いつからここに居る?彼女が、ゆっくりと口を開いた。鈴のような声だった。


「お月様と交信中
お話し中
です」



……
………、俺は思考を停止せざるを得なかった。こいつ、今平然と何を言った?お月様と…なんだって?思わず「は?」と間抜けな声を上げてしまった俺は何も悪くないはずだ。


お月様
アルテミス
交信中
お話し中
です」


おい、なんかさっきと変わったぞ。俺は呆然と、力が抜けて女子生徒から手を離した。ゆらり、女子生徒の髪が揺れる。女子生徒が首を傾げ「アルテミスを…知らない…?」とつぶやいたのが耳に入った。知るかそんなもん。それから「アルテミスというのは」と彼女が口を開きつらつらと喋り始めた。それは、大凡俺が理解しかねる内容だった。月の女神がどうとか、ギリシア神話がどうだとか…まるで意味が分からない話だった。というか、コイツヤバい。そう思ってしまった俺は一歩後ずさる。先ほどの「こんな時間まで女子一人で何してる!」なんて言葉は月の光に溶かされてしまったようだ。よし、



見なかったことにしよう




俺は背を向ける。すると背中に軽い衝撃。もう嫌な予感しかしないが、顔だけをそちらにゆっくりと向ける。制服の裾を、女子生徒に握られていた。おい、待て。


「まだお月様
アルテミス
狩人
オリオン
の話の途中です」
「勘弁してくれ…話に全く着いて行けない」


ぎゅっと俺の制服を握って話そうとしない女子生徒を如何しようかと考え、まぁ最初考えていた事と少し違うがいいか、と俺は女子生徒の腕を掴んだ。そうだ、コイツを置いて帰るわけにはいかない。引き摺るように俺はその女子生徒の手を引く。「え、あ…ちょ…まだ」とか何か言いたげだか無視だ。
見知らぬ可笑しな女子生徒を家まで送っているやるという気は無い。かといってほっとくわけにもいかない。このまま職員室に放り投げればいいだろう、俺は女子生徒を引き摺る。屋上の鍵?知るか。俺は速足で職員室へと向かい、思い切りドアを開いた。バンッ!という音が響き中に居た教師が驚いた表情をこちらに向ける。五月蠅くしてすんません。俺は女子生徒を前に突きだす。


「い、岩泉?どうし…って安心院?」
「すいません、こいつ屋上に居たんですけど」
「ああ…それを岩泉が回収してきたのか。安心院、今日は天文部の活動は無かったと思うが…」

安心院と呼ばれた女子生徒の背中を見る。安心院は真っ直ぐと教師の顔を見ているようだった。声が、響く。

「先生すいませんでした。今日は月も星もすごく綺麗だったもので、どうしても天体観測をしたくて…。部長には許可を頂いて、天体望遠鏡もお借りしたんですけど。そう言えば夜活動の申請を出していませんでした。すいませんでした」

頭を深々と下げる安心院。さっきの電波発言は何処へやら。しかも天体望遠鏡なんてものは屋上には無かったはずだ。屋上にあったのは、こいつの姿だけだった。つまり、嘘という事で。「ちゃんと申請は出せよ」と先生は笑った。「ごめんなさい、でも色んな星座が見れて勉強になりました」おいこいつは誰だ。さっきのお月様と交信とか言ってた女子生徒はどこへ消えた。きっと人当たりの良い表情でも浮かべているのだろう安心院に俺は顔を引き攣らせた。

「まぁ天体観測もいいが、そろそろ帰らんと両親が心配するだろ?帰った帰った!」
「はい、すいませんでした。今度はちゃんと申請出しますので」
「おう、岩泉も、安心院の回収ありがとうな」
「……い、え…」






職員玄関から外へと出る。相変わらず月は明るかった。隣の安心院を見る。

「どうしましたか、岩泉一先輩」
「…いや…」
「そうですか?」


不思議そうに首を傾げる安心院、俺が首を傾げたい。はぁ、と溜息を吐く。とんとん、とリズムよく安心院が駆け出した。「おい」俺は声を掛ける。結局こうなるか。


「送る」
「結構です」
「こんな時間に女子高生一人、あぶねぇだろ」
「大丈夫ですよ、ちゃーんと人がだれ一人いない道を通りますから」

お月様が、教えてくださいますし。指を唇に当て、楽しそうに言った。お、おう…俺は今どんな表情をしているのか。取り敢えずあまり関わり合いたくないとは思った。

「さて、岩泉一先輩。及川徹先輩は大丈夫ですか?」
「大丈夫ってなん……あ」


やっべ、及川のこと忘れてた。俺はバッグからスマホを取り出す。予想通りメッセージの嵐だった。そりゃあそうだ、あれから軽く30分経過している。俺は通話ボタンを押す。「それじゃあ私は失礼いたします。さようなら岩泉一先輩」そう背中を向ける…あ?俺は違和感を覚えた。電話が繋がる。「岩ちゃんなにしてんのさ!!もう!!」と及川の声が耳を通り抜けた。

「おい、安心院」
「はい?」
「なんで俺と、及川の名前を知っている?」
「金星の彼に聞きました」
「は」
「それじゃあ、星の導きがありましたら、またお会いいたしましょう」

そう言って安心院は闇の中へと消えた。「おーい、いわちゃーん?」と及川の声が静寂に響いた。


「及川」
『なに、岩ちゃん』
「幽霊より怖いもんに会った」
『…は?』

一番恐ろしいのは人間だ、と誰かが言っていたが全くその通りだと思った。



◇◆◇



「で、昨日は何が合ったのさ」
「一体俺に何が起こったのか、俺が聞きたい」

昼休み、俺は及川達と飯を食っていた。「昨日がどうしたんだー?」と花巻が少し興味を見せる。パンを一口齧り、俺は口を開く。

「よっぽど幽霊のがマシだと思った」
「昨日の帰りからコレだよ。岩ちゃんほんとにどうしたのさ。頭打った?頭大丈夫?」
「お前に心配されるんだから多分駄目なんだろうな」
「どういう意味だこら」

俺は昨日の事を思い出す。本当に意味の分からない奴だ。「アル…アルテミスと…んだっけ…?」とぼそりつぶやくと「アルテミス?」と及川が反応を見せた。なんだお前、知ってんのか。俺は視線を向ける。


「アルテミスって月の女神だよね?」
「もう一匹いなかったか?」
「もう一匹ってなに。…アルテミスだったら、オリオンじゃない?」
「あ、それだそれだ」
「なんで岩ちゃんがそんなの知ってんの?」

それはこっちのセリフだ。「だってー女の子が好きそうな話なんだもん!」ウィンクする及川に俺たち全員が引いた。

「アルテミスって、オリオン殺しちゃったんだよね。ついうっかり」
「なんだその恐ろしい話」
「騙されたってのもあるんだけどねー」

と、昨日安心院の口から出る予定だったであろうアルテミスとやらとオリオンとやらの話を及川がつらつらと口にした。ほんとなんでそんなもん知ってるんだ。「結構星とかにまつわる話すると女の子が惹かれるんだよ!?」なんて言う及川に「引かれるのまちがいじゃねーか?」と松川がツッコミを入れた。


「で、なんで突然そんな話?」
「月と交信してた奴にそんな話をされた」
「…大丈夫?」
「それは俺にじゃなくて安心院に言ってくれ…」

俺は顔を覆った。俺は、アイツと会話できる自信がない。はぁー…と思い溜息を吐く俺に「なぁに岩ちゃん、恋煩い?」となんでそこに行きついたのかわからない阿呆なことを及川が言う。「いっそ恋煩いで悩みたかった…」俺は机に額を置いた。

「岩泉かなりキてるね?珍しい」
「その安心院って子に精神力ガッツリ削られたわけだ」
「世に言う、あれだ…電波ってやつだ…俺はもうあいつと会話しない」
「岩泉がそこまで言うとは…なんか気になってきたぞ…」

俺の精神力はすでにボロボロだ。「何故か俺と、及川のフルネームを知ってたんだよな」そうつぶやくと「なにそれ、知り合いなんじゃないの?」と聞かれた。知らん、あんな奴俺は知らない。もし知ってたら、絶対に忘れられない部類の人間だろ。俺は顔をあげる。

「なんか、金星に聞いたって言ってた」
「…よし、岩泉。そのこと忘れようか」
「なんか危ない奴に思えてきた」
「最初からあぶねー奴だって言ったろ」
「及川さんその安心院ちゃん超気になるー」
「じゃあ話でもしてみろ。頭狂ったって俺は何もしないからな」
「どんだけ危険人物なのその子…」

ていうか金星に聞いたってなんだよ…。













「え、安心院?安心院昴だったら俺のクラスですけど」
「金星ってお前か金田一」
「は?金星…?」

部活中、及川が「俺たちの事先輩って呼んでたんなら2年か1年だよねー。ねー金田一!」と丁度目の前に居た金田一に問うと、驚くほどあっけなくその人物を特定できた。金が付くから金星なのか金田一…。割と安易で吃驚した。


「安心院昴、天文部。俺と同じ1年5組で…すっげー頭いい奴です。人当たりも良くて、誰とでも仲良くできるやつですよ」
「違う奴だ」
「岩ちゃん言い切らないでよ。安心院って苗字の子他に居る?」
「一年には居ないッス」
「ほら岩ちゃん」
「誰とでも仲良くなれる性格じゃねーよアレは」

月と交信…月と交信…頭の中でその言葉がぐるぐると回る。呪いかこれは。誰とでも仲良く、できねーよ!しかし金田一が口にする特徴は、昨日の夜俺が屋上で出逢った安心院という人間の特徴と合っていて…。そんなのと仲良くなれるクラス、いかん後輩のクラスを変に考えては失礼だ。…いや、でもあの電波と、仲良し…


「金田一、洗脳されてらっきょになるなよ…」
「は!?岩泉さん!?」
「…岩ちゃん…大丈夫…?」

駄目かもしれない




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アルテミスとオリオンの逸話(捏造あり)
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