Spica



放課後、俺は教室の自分の机にうつ伏せていた。今日は体育館使えなくて部活無しだった筈だ…良かったと心底思う。今の俺は全く使い物にならないだろう。つか明日からどうする…今日一晩でなんとか、切り替えるか。ゆらゆらと頭を揺らしながら顔を上げると「おはよう岩ちゃん」にっこり顔の及川がそこに居た。なんでてめぇ居るんだよ。「丁度前通ったら珍しく岩ちゃんが寝てるから」そうかよ。俺は溜息を吐いた。



「岩ちゃんどうしたの?」

最近岩ちゃんが不思議で面白いねぇ。俺を頭をツンツンと突く及川に向かって思いっ切り腕を振った。「うわっ危な!岩ちゃんバカ力なんだからやめて!」知るか、俺にちょっかい出してくるんじゃねぇよ。わしゃわしゃと「岩ちゃーん、元気出してよー」なんて頭を撫でるもんだから気持ち悪くなって思いっ切り及川の頭を殴った。


「マジ殴りやめて!」
「てめぇが気持ち悪い事するからだろうが!」
「慰めてただけじゃん!」
「ああ?」
「ていうかどうしたの本当に。俺てっきり安心院ちゃんのところ行って告白でもしてきたかと思ったのに」

ぐっ、次吐こうとした暴言を飲み込んだ。及川の言う通り、いい加減色々面倒になった俺は確かに自分の想いを安心院にぶつけようと思った。思って――それは叶わなかった。


「振られた?」
「そもそも言わせてすら貰えなかった」
「え」

「どういうこと?」「どうもこうも、そのままの意味だ」さっきあった出来事を思い出して、俺は顔を歪ませた。






◇◆◇



「安心院、俺は」
「岩泉一先輩」

お前が、という言葉を発せなかった。遮る安心院の声に口を閉じる。「私はですね」真っ直ぐと安心院が俺の目を見つめた。夜の様な真っ黒な瞳が、俺を射抜く。


「私は運命なんて信じてないんです」
「それは前に聞いたな」
「私、部長にスピカって言われてるんです」
「…は?」
「岩泉一先輩、前私が言った話忘れました?」

…記憶を手繰り寄せる。スピカ…簡単な話しか憶えていない。アークトゥルスとスピカの話、たしか夫婦星だって聞い――あ、あの黒マント確かスピカがどうとか――。運命なんて信じない、その言葉は遠まわしに。


「運命なんて、しんじないです」

なんでそんな顔真っ赤にして言ってんだよお前。その直後俺は安心院に腹パンされ、全速力で逃げられた。振られたのか振られてないのか分かりやしない。




◇◆◇



「脈ありで良いんじゃないの?」
「…どうだかな」
「なんでそこでネカティブ!?安心院ちゃんツンデレなんだよ!絶対!!じゃなきゃ顔真っ赤に」
「怒りに震えてたんだろ」
「岩ちゃんもっと自分に自信をだね…」

あーだこーだ言う及川の言葉を右から左へと流す。んな事言われてもなぁ…「ていうか放課後即行で安心院ちゃんのところ行くべきだったでしょ!?」「行ったっつーの…」及川に言われなくても行った、が、1年のあいつのクラスに既に安心院は居なくて「あ、岩泉さん…安心院?なんか不機嫌そうに即行出て行きましたけど」なんて金田一から聞いて、だから沈んでたんだっつーの…。不機嫌そうって脈も何もねぇだろ。

「うーん…安心院ちゃんもわかんないなぁ…」
「不機嫌そう、ってことは嫌だったんだろ」
「そもそも岩ちゃん告白してないじゃん」
「人の心読めそうだから感づいたんじゃないか」
「黒マントじゃないんだから…」

無言、もう帰るかと立ちあがった時「あ、岩泉さん」ドアからひょっこり国見が顔を覗かせた。「あれー?国見ちゃんどうしたの、部活無いって伝えておいたよね?」「部活の事は聞いてます。ちょっと届け物を…」俺ら以外居ない教室に足を踏み入れ、国見は俺に二つに折られた紙を渡された。


「なんだこれ?」
「俺も良く解らないです。中身見ていいとか言うから見ちゃいましたけど俺はさっぱり」

というか誰からだ、そう聞くと「安心院からですけど」その言葉に俺の身体は固まった。「岩ちゃん早く見なよ!」及川の声に、二つに折られた紙を開く。





アルテミスの矢は愛しいひとを
射てしまったのだろうか




「…ん?」
「わけわからないでしょう?岩泉さんなら分かります?」
「…あー」
「え、岩ちゃん通じた!?」

あー…情けなく声が出て顔を下に向ける。くっそ、こんな紙切れ1枚で不意打ち過ぎる。「じゃ、俺の用はこれだけだったんで」国見はさっさと教室を出ようとする。

「国見」
「なんですか?」
「安心院まだ居たか?」
「俺にそれ渡してどっか消えましたよ。今日は天文部も、例のオカ研も部活動無いようでしたし」
「…そうか」
「ま、荷物持ってませんでしたけどね」

即行で教室を出た安心院、でも国見と会った時は荷物を持っていなかった。部活動は無い、だけどあいつにそんなものは関係ないだろう。なんせあいつは屋上の鍵を個人的に持っている。よし、俺は立ちあがった。


「帰んぞ及川」
「…んぇ!?あれ、安心院ちゃん探す流れじゃないの!?」
「いや、いい」
「よくないでしょ!」
「いいんだよ、今は」
「…えー…」

不満そうな及川の声を無視して帰る準備をする。「じゃ、岩泉さんに及川さんお疲れさまでした」お辞儀をして教室を出て行った国見に軽く手を振り、俺達も教室を出た。さて、夜までどう時間を潰すか。






◇◆◇



以前にも見た風景だ。怪しい群団も居ないらしい夜の学校は酷く静かだった。廊下は月明かりに照らされて明るい。一応年の為に持ってきた懐中電灯も不必要だ。靴を履き替えて屋上へと向かう。面倒だったから職員室には寄らなかった、見周りには見つからないよう注意を払う。スマホが震えて『岩ちゃん、明日数Vある?明日絶対当たるんだけど』途中でメールを読むのをやめた。自分でやれクソ野郎。
さて、屋上へと出る扉だ。俺は深呼吸をした。ドアノブを捻る。がちゃり、鈍い音が響いた。押す。

あの日と変わらず満点の星空がそこにあった。
そして、あの時と変わらずぽつり、真ん中に佇む影。


「おい」

俺は一歩足を進める。ここずっと雨は降っていなかった、水しぶきが上がる事なく俺は歩みを進める。


「おいお前、こんな時間まで女子一人で何してる」

俺は止まった。少し距離を取ってそいつが振り向くのを待つ。「…、さいげんとか、嫌がらせです」ぽつり、言葉を零したのが耳に入った。嫌がらせ?何の事だ。「おい、安心院」名前を呼ぶと、安心院は俺の方へと身体を向けた。きらきらと、月の光で安心院の髪が輝く。



お月様
アルテミス
交信中
お話し中
です」

あの時より不機嫌8割増しの安心院の顔。なに不貞腐れてんだよ。


「お月さまが言った通りになっちゃいましたねぇ…ほーんと、お月様
アルテミス
さまさまです」
「あ?」
「こっちの話です」

さて、私の話でもしましょうか。安心院が口を開いた。「は?お前の話?」ええそうですよ岩泉一先輩。なんで私が先輩の名前とか知ってたのかも含めて。


「…お前の言うお月様
アルテミス
に聞いたんじゃないのか?」
「投げやりになりましたね岩泉一先輩、まぁ当たらずも遠からずって感じですかね。私はお月様
アルテミス
にある一つの事しか聞いてませんから」
「…?」
「とりあえず、そうですねぇ…私の初恋話でもしましょうか」

癒意味が分からない。なんで俺がお前の初恋話を聞かないといけないんだよ、仮にも告白しようとした男だぞ俺は。「さて、私の初恋は高校入学してすぐです。遅いとか思ったら部長他オカ研の皆様に呪ってもらいますからね」脅しが怖い。つか最近じゃねーかお前の初恋。なんだ、やっぱり遠まわしに振られてんのか俺は。


「偶然だったんです。担任の先生に隣の席の奴にプリント届けてやってくれ、今日から部活らしいから多分体育館に居るぞ、じゃあ頼むな。なんて面倒な事を頼まれまして。隣の席が金田一君だったんです。金星とか嫌がらせでつけましたよ、だって私真っ直ぐ帰ろうと思ったのに面倒な事頼まれちゃって。ぜったい本名で呼んでやらないって心に誓って」
「金星って悪口なのか」
「悪口ではないですけど、人としての認識をあやふやにするというか」

アークトゥルスとか黒マントに呼ばれてるけど、なんだ人として認識されていないのか。「あ、部長は別ですよ。あの人は色んな人にあだ名付けるのが好きなんです」ああそうかいどうでもいい。


「仕方なく金星君にプリントを届けに体育館まで行きました。覗き込むとバンバン床にボールが叩きつけられてて、怖いことこの上なかったですね」
「そうか…?」
「当たったら死ぬんじゃないかって思いました。ドアの近くで壁によっかかってた国見君にプリントを押し付けてさっさと帰ろうとしました。帰ろうとして――見つけてしまいました」

何故か重い溜息を吐いた。「一目ぼれとか、そういうの絶対に起こさない人間だと自分で思ってたのに…」キッと睨まれる。…自惚れて、良いのだろうか。

「上がったボール打ち込んだり、ぎりぎりのボール拾ったり。全然バレーわかんないですけど、すごいって思ったんです。綺麗に決まると、すごく嬉しそうにする顔が頭に残って」
「安心院」
「名前は、国見君に聞きました。キョトンとした顔して「及川さん目当てじゃないんだ」とか言われて理解不能でした。あ、どうでもいい話でしたね。名前聞いたところで私はどうする事も出来なかったです。大体3年の先輩で、全く接点ない人にどうやって話しかけろっていうんですか」
「おい安心院」
「部長に相談したらすごい弄られるし。だから一番信用できるお月さまに相談しましょうって」

そこから理解できないんだが。はは、苦笑の声が漏れた。「なに笑ってんですか、顔真っ赤ですよ岩泉一先輩」うっせ、お前も人の事言えねーからな。


「さて、私はとある日の夜屋上に出ました。ねぇお月様
アルテミス
、好きな人ができました。どうすればいいですか?そう聞くとですね、笑うんです。笑って『後ろをご覧』って言うんです。――まったくいじわるです。なんか好きな人がいて、なんか怒ってて引き摺られて」
「…、」
「屋上から出る時『君の好きにすればきっとうまくいくよ』だなんて助言になんて無い助言を頂いて。アルテミスって部長にそっくりなんです」
「最悪じゃねーか」
「……ふふ、そうですね」

漸く、安心院が笑った。ていうかなんだよ今の話。お前、俺が前ここで逢う前から…って事だろ。

「運命って言葉が嫌い云々って話は」
「その言葉使って部長私いじめてくるんですよ、嫌になります。中身小学生みたいな事言うんですよ」
「…容易に、想像できたな」
「岩泉一先輩も、だいぶ振りまわされたようですね」


ああ、そりゃあな。あいつ全部知ってて面白おかしく助言してたのか。まったく…。俺は安心院の頭に手を乗せた。拒絶反応は無い、そのままふわふわと撫で続ける。


「別に、俺の告白遮る事なかっただろ」
「恥ずかしくて死にそうだったんです、ツンデレとでも思っててください」
「おう」

静寂が俺達を包む。なんだこの気恥ずかしさ、あー…自分の頭を掻いて「なぁ安心院」俺は口を開く。


「好きだ」
「…私の方が先に好きでした」

あーそうかい。じゃあ俺の方がお前の事好きだぞ、なんて言うと「…わ、わからないじゃないですか…私は多分宇宙規模ですきですよ。しかも初恋ですよ幼稚園の時先生がすきー!とか言わなかったんですよ…!」なんの話だよ、クツクツと笑いが込み上げてきた。


「な、なに笑ってんですか岩泉一先輩!」
「いい加減そのフルネーム呼びやめろ」
「……」

頬を膨らませる安心院に「まぁいきなりとはいわねーけどさ」俺は安心院の手を引き屋上を出ようとする。


「ほら、帰んぞ。送ってやる」
「…わかりました、はじめさん」
「ぶっ!」

ドアに顔面ぶつけた。おま、いきなり…!「ふ、ふふふ。はじめさん漫画みたいな事を…ふ、ふふふ」肩を震わせて笑う安心院のでこにデコピン食らわせて俺は先に屋上を後にした。くっそ、顔熱い。
























「助言をありがとうございました」

月に向かってお辞儀をする。まぁ助言という助言ではなかった気がしますけど。もう部活の無い日に一人屋上に来ることは無いでしょう。

お月様
白鳥さん
、夜遅くまで付き合わせてしまってすいません。でも、もう大丈夫ですから」

そう言って私ははじめさんの後を追いかけた。










「……バレてたか…」
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