【絆される噺】


あの雪の日は、奇跡だったんだと思う。
あれからバレー部に顔を出す事も無くなり、飛雄と数ヶ月顔を合せなかった。秋が過ぎて冬になって、すっかり不眠症を患って精神力が落ちて。具合がずっと良くならなくて。楽しかった筈のバレーも、なんだか嫌なものに変わってしまって。頭の中がぐちゃぐちゃだった。そんな渦中で、俺は飛雄と顔を合わせた。積もる雪に埋もれて、月明かりが静寂な町を照らす中、もう会いたくないと思っていた飛雄に逢ってしまった。
会ってしまったら、俺は折角自覚して遠ざけて打ち消した感情がまた戻ってきてしまうのではないのかと恐れていたのに。

俺は普通を装う、飛雄は前の様に俺に接する。ほっとした。拒絶の表情を見せられたら、俺はきっと酷い事になっていただろう。俺の背中を追いかけていた飛雄が戻ってきてくれた、と俺は喜んだのだ。喜んで、俺はその時諦めた。今更馬鹿じゃないのか、傷つけておいて飛雄が普通だったから以前のように戻ろうだなんて虫が良すぎる。言い聞かせる。でないときっと俺は、同じ事を繰り返してしまうだろうから。

飛雄の馬鹿みたいな素直さに、絆される訳には行かなかった。はず、なのに。










「ほんと、やんなっちゃうよね…」

すやすやと俺の腕で丸くなって眠る飛雄を、愛おしく感じてしまう。いとも簡単に、暴かれてしまった感情を、どうすればいいのだろうか。このまま飛雄にぶつけてしまってもいいのだろうか。飛雄を抱き寄せる。あの日の、雪の匂いがした。
意識が遠退いて行く。心地よい感覚、すとんと眠りに落ちる事なんて殆ど無い。なんて高性能抱き枕なんだろうと俺は笑う。あーあ、なんかもう手放せる気がしないや。おやすみ、俺はまどろみに沈んだ。






◇◆◇



すっきりとした目覚めだった。時刻は5時半、起き上がるとまだぐっすりと寝ている飛雄が身を捩じらせた。さて、どうしようかな。今日休みじゃないし、まだ早いけど学校行く準備もしなきゃだし。でもなぁ…飛雄が握り締める俺の服を見て苦笑する。子供みたい。


「飛雄、手離して」
「……ぅ」
「とーびーおー、ちょっとでいいから起きてー。ちょっと手を離すだけで良いから」
「…ぉ、かわさ………?」

薄く目を開く飛雄におはようと声を掛ける。目を擦りながら「……おは、ようございま……」なんて言う飛雄が可愛いと思ってしまう俺はきっと末期だ。飛雄の頭を撫でて「手、服から離して?」というと少し不満そうに、それでも素直におずおずと手を離した。


「ん、ありがと」
「…もう、行っちゃうんですか」
「まだ早いでしょ。準備するだけだよ」
「飯食ってきます?多分用意してくれてるんで」
「…そうだね。いつもは気持ち悪くて食べられないけど、今日体調ばっちりだしね」

そうですか、嬉しそうな飛雄の顔。なんでお前が嬉しそうな顔するんだよ、と笑いながらデコピンを御見舞してやった。

「飛雄、手貸して」
「はい」

飛雄の手を取る。うん、ちゃんと人並みの体温があるね。「寒くない?大丈夫?」なんて声を掛けると飛雄はキョトンとした顔をした。


「…及川さん、具合悪いんですか?」
「は?なんで?体調良いって言ったじゃん」
「だって、なんか変です及川さん」

そりゃあ、心配の声を掛けてくれますけどそんな優しい表情してないって言うか。なんか甘やかしてるみたいな。飛雄にそう言われ俺は固まる。ああ、そっか。いつも意地悪な事ばっかりしてたから俺の接し方に違和感を感じているのか。ごめんごめん、俺は飛雄の頭を撫でる。

「今更ごめん」
「――は」
「ごめん」

飛雄を抱きしめる。本当に今更だ、拒絶して遠ざけたくせに逃げていたくせに今更縋ろうだなんて。それでも自覚してしまった、堰止めていた思いは最早加速するしかない。力いっぱい飛雄を抱きしめると「はは、やっぱり及川さん熱有りますよ」と飛雄が笑いながら言った。


「身体、すげぇ熱いっすよ」

黙れよクソガキ。力を緩め身体を離し飛雄の顔を見る、真っ赤だった。お前だって異常に体温高いけど。俺は笑ってやった。

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