【雪に溶ける人の噺】



今更だけど、俺は甘えているのかもしれない。きっと、あいつは気づいていないだろうけど。俺は、あいつの、飛雄にとって意地の悪い先輩でなければいけない。そう、それは意地。今更俺は何を自覚しろというのだ。


「飛雄、ねぇ飛雄」


俺の服を握ってすやすやと眠る飛雄を揺らす。これは起きないかなぁ、なんて今日も俺は諦めた。開け放たれたカーテン、微かに開いている窓から時折風が舞い込む。今日も月が俺達を見下ろしていた。飛雄を抱きしめ、ぼーっと月を見つめる。
寝る前にはガタガタと震えていた飛雄の身体は、普通の人の様に熱を持っていた。それが普通なのに、飛雄にとっては奇跡と呼べるもので。飛雄の顔に手を置く。うん、どこもちゃんと体温がある。それに酷く安心した。あんな飛雄を、あまり見たいとは思わないから。


今日で3回目だ。
何かをするわけではない。
俺の具合が悪くなってぶっ倒れそうになっているところを飛雄が掻っ攫って行くのだ。まるで誘拐犯だと俺は笑う。この誘拐犯は俺を誘拐するといつも「今日泊っていってください」と言うのだ。選択肢なんて、有って無いものだ。俺の手を震えた手で必死に掴んでくるのだ。その、氷の様な冷たい手で。「俺だって、具合悪いんだけどなぁ」なんて、飛雄を抱きしめて2人で倒れる。安心した飛雄の表情は見たくなかった。あんな表情を見せられては、突き離せないじゃないか。
そう、離れがたい。

自然と、俺は寝れるようになっていた。人の体温が近くにあれば、寝れる体質なのだれろうか。今の飛雄に体温はあっても、普段は氷のように冷たいし、じゃあ俺の熱冷まシートなのだろうか。ああ、でもやっぱり体温ある飛雄の方が良い気がする。ゆるり、月から目を離し飛雄に目を向ける。


「…おい、かわさ」
「なにお前、起きてたの?」
「……いま」
「半分どころか2/3寝てるね。いいよ起きなくて、そのまま寝な」
「………おいかわさん、は」
「ん?」
「おいかわさん、また眠れないんですか」

俺は笑った。大丈夫、ちゃんと寝れるから。俺は飛雄の頭を撫でる。まったく、男相手に何をやっているんだろうか。どっちも180cm超えの男だ、ベッドなんか狭くて仕方がない。人生どうなるかわからないね、なんて心の中で笑う。


「及川さん」
「何、もう寝なよ。まだ眠いでしょ」
「あんまり、月見ないでください」
「は、」
「月見てる及川さん、怖いんですよ」
「何が怖いの」
「…月の光に、溶けてしまいそうで」
「なにそれ」
「消えそうで、いやです」

飛雄には俺が儚げに見えるらしい。ぐりぐりと俺の胸に顔を押し付ける。なんだこの駄々こねっ子のような、寂しがり屋な子供の様な奴は。「飛雄前さ、ノスタルジックな及川さん好きって言ったじゃん」どうせ覚えてないだろうけど。俺の言葉に「トスなんちゃらですか?」なんて反応した飛雄に少し吃驚した。憶えてるんだ。あといい加減トスじゃないってば、何度言ったって教えてやんないよ。


「あの日、及川さんを見てなんか変な感じがして、上手く言えないっすけど。あの時はまだ、良いって思ったんです。でも今日も、前の時もそうだ。月見てる及川さん、なんかこう…ふわっと消えそうで」
「意味わかんない。俺行方不明にでもなっちゃうの?」
「跡形も無く消えそうで」
「お前やっぱ俺に恨みでもあるんでしょ?遠まわしにそんな事言われてる感覚になる」
「違います」

俺に抱きつく腕に力が籠った。「ちがう、ちがいます」うわ言のようにそれを繰り返す。まったく、なんなんだよこいつ。


「ねぇ飛雄」
「なんですか」
「そんなに俺の事すき?」
「すきですよ」

でも、と飛雄は続ける。


「トスなんちゃらになってる及川さんは、きらいです」


それだけ言うと飛雄は目を閉じて、寝息を立て始めた。ほんと、嫌なヤツ。奥底から熱が込み上げてくる。今更、なんで自覚させられなければならないのだ。これは、この感情はとっくの昔に外へと追いやったじゃないか。

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