【死んだ人の話】


「岩ちゃん、帰ってくるの遅いよ!!」

及川さんウサギなんだから、寂しくて死んじゃうんだからね!そう言う及川を玄関先で張り倒して踏みつぶし、自分の部屋へと入った。荷物を置き、手を洗う。着替え…は、そのまま風呂でいいか。なんて考えてると背中に衝撃が走り思わず「ぐぇっ!」と蛙が潰れたような声を上げた。

「岩ちゃん酷くない?流石に踏みつぶすのはどうかと思うよ」
「家帰ってきて一番にうぜぇ顔見たら流石にそうなるわ」
「癒しの徹君だよ!?」
「死ね」

及川の頭を掴み、背中から引きはがそうとするが「いーやーだー!」と腰に抱きついて離れない及川に肘を落とした。それでも離れない及川に溜息を吐きながら仕方ないとリビングへと向かう。


「…酒臭っ」
「飲んで来たからな」
「誰と!?」
「松川」
「え、まっつん?俺も行きたかった」
「お前の事気にしてたぞ」
「えっ、及川さんモテモテ?」
「死ね」

お前探してる奴結構居るんだぞ、花巻からも連絡入ってたからな。そういうと及川は無言で俺の腹に顔を押し付けてきた。おら、なんか言えこの野郎。と俺は及川の頭を叩く。

「…ほとぼり冷めるまで家の外出ないもーん…」
「俺んちに引き籠るなよ…」
「流石に自宅には居れないじゃん」

実家も無理でしょー?なんて顔を上げて俺を見上げる及川に溜息を吐いた。


「バレーしてた及川徹は死んだんだよ」
「言っといてやったぞ」
「誰に!?」
「だから松川」
「まっつんかー…まっつんなら本当の事言っても…あ、やっぱりだめ。言わないで」


再び俺の腹に顔を押し付ける及川の頭に手を乗せる。そのままやんわりと髪を撫でると、及川は少しだけ視線をこちらに向け、気持ち良さそうに目を細めた。








及川徹がメディアで引退宣言をした当日、こいつは俺の部屋に押し入って来た。そりゃあひでぇもんだった。俺が家に帰ってきて最初に見たのは、ドアノブが破壊された玄関だった。なんとかぶら下がっているような状態のドアノブをそっと掴み、ゆっくりと玄関を開ける。…空き巣か?部屋は真っ暗だった。ゆっくり足を進め電気を付ける。そして絶句。リビングのソファですやすやと寝息を立てる及川を発見した。俺は及川の前でしゃがみこんだ。いや…なんとなく分かってはいた…そうだよな。俺は頭を抱える。

「てんめぇ…こっちとらあっちこっち探し回ってたんだぞ…」

俺だけじゃねぇ。松川も花巻も、あの牛島だって探し回ってたんだ。こんな灯台もと暗しみたいな場所に居るんじゃねーよ…つーか俺んちの玄関破壊してんじゃねーよクソが。目を瞑る及川の頭を掴み、3秒後絶叫が響き渡った。死んじまえこの野郎。



「走りまわったら疲れちゃったんだよ。わー岩ちゃんの匂いだー!なんて思ってたら安心しちゃって」
「お前キモさが増したな。つーかあの玄関なんだよ!」
「普通さ、ポストの中に鍵とか隠しとかない?開かないから壊しちゃったよ」
「お前やってる事可笑しいからな」
「てへぺろ!」
「許されると思ってんのかこの野郎…」

いだだだだ!久しぶりの及川さんに優しくしてよ!なんて馬鹿みたいな事言う及川にヘッドロックを掛けた。こっちとら苦労してたんだよ!

「で、」
「で?」
「引退、すんのか」
「……」

むすーっとした顔をする及川。「だって岩ちゃんに言ったじゃん…」ぼやく及川に俺は頭を悩ませる。それは、この前のあの電話の事だろうか。「死にたくない」なんてふざけた当たり前の事を言ってきた、あの日。




「バレー大好きなんだよ」
「おう」
「でもさ」

高校の時、あの続きは聞かなかった。及川が笑って、口を閉じたからだ。その続きを、今になって聞くことになるとは。



「だいすきなんだよ岩ちゃん。あの頃はさ、バレーの方が好きで好きで仕方なかったんだけどさ。あはは、今になって気付いた。バレーの方が、じゃなかった。岩ちゃんが傍に居たからバレーに集中出来てたんだ。あれから、ほんとつまんなくなっちゃった。チームに牛島と飛雄が居るからだったのかもしれないけどさ、居心地悪くて。頑張ったんだ、数年頑張って…死にたくなっちゃった」

及川が笑った。でも、疲れきっていたように見えた。あのバレー馬鹿が、バレーに苦しめられるなんて思いもしていなかった。


「俺が死ぬ時は、看取ってくれるんだよね?」
「んな約束した覚えはねェよ」
「あの時の「ばっかじゃねーの、死ね」は肯定の意味に捉えてたんだけど」
「そーかい」

俺は及川の頬に手を滑らせた。触れた頬に、及川は一瞬身体を固まらせたがすぐに笑って頬を擦り寄せた。猫みてぇ。


「死ぬのか」
「うん」
「…そーかよ」

俺は及川の後頭部に手を回し、自分の方へ引き寄せた。そのまま、噛みつくようにキスをした。「あ、死んだ」と及川が笑った。
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