静かな喧騒



朝の早さを物ともせず、早朝ロードワーク中に本条はひょっこりと現れる。「おはよう、白布君」と近付く彼女の姿に溜息を吐く。春先と言えども、まだ肌寒いというのに本条はいつまでたっても寒そうな格好で外に出てくるのだ。

「本条」
「さ、走りましょう」

え、と言葉が詰まる。走りましょう?本条も走るのか?その格好で?みるからに部屋着であるし、靴だって…まさかのこの時期のサンダルだ。というか素足なのか…。見てるだけで冷えてくる。

「走るのはいいけど、家に戻ったらちゃんと汗ふけよ。そのままにしてたら風邪ひくからな」
「大丈夫よ、風邪は馬鹿がひくものだわ」

俺の中でお前は大馬鹿者だよ。そんな事を思いながら、ゆっくりと、俺達は駆け出した。数分後、遥か後ろに居る本条を見て「ああ、だろうと思った」なんて思いながら俺はゆっくりと走り過ぎた道を戻るのだった。





◇◆◇



「……おはよう、白布君」
「ああ、2回目のおはよう。やつれてるぞ」
「自分が運動不足だということに今日漸く気付いたわ」

まぁあれだけ勉強漬けで、まったく運動するイメージの無い本条だ。当然と言えば当然である。…200メートルもしないうちに根をあげるとは流石に思っていなかったが。疲れてたんなら別に一緒に登校しなくてもいいんじゃないか?俺は朝練行くけど本条は別に用なんてないだろ?と聞くと本条は口をもごもごさせた。

「…いやなら、いいわ」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ気にしないで。私が好きで朝この時間にこの道を歩いてるだけなんだから」

まぁ俺は別にいいんだけど。この時間は、割と好きだし。ただ、なんとなくよろけながら歩く本条を複雑に思う。「ちょっと、明日はジャージ着てちゃんと運動靴履いて行くわ」なんて言う本条をやんわりと止めた。本条の苦手部類だ、無理するな。


「私の苦手な科目は体育よ」
「だろうと思ったよ」

そんな会話をしていると、横を誰かが通り過ぎた。あ。と声を上げようとして慌てて口を噤んだ。牛島さんだった。指定のジャージを着て、ロードワーク中だろう。速い、兎に角ペースが速い。「あれくらい走れたらいいのにね」なんてぼやく本条に「いやあれは無理だ」と口を出した。俺だって無理だ。いつの間にか姿が見えなくなった牛島さんに小さく息を吐いた。良かった、本条が牛島さんの顔を憶えてなくて。いや、それもどうかと思うが。ちらり、本条の表情を窺うが、いつも通りだった。

「どうしたの?」
「いや別に」

まってー!若利く―ん!!と横を通過する人。ぎくり、身体が固まった。先輩達、この時間に走り込みしてるのか…ではなく。ゆーっくりとまた本条の表情を窺うが「朝から元気ね」と言うだけだった。牛島さんの下の名前知らないのか。良かった。通り過ぎた人が「アレ?」と足を止め後ろを振り返った。

「昨日入って来た白布賢二郎君?」
「あ、ハイ。おはようございます先輩」
「朝早いねー!俺は今日たまたま早く行ったら若利君に捕まったんだけど。隣の子は、女王様だ」

女王様?本条は顔を歪ませていた。その様子に「ごめんごめん!本条さんだよねー!」と先輩が笑う。

「俺2年の天童覚!本条さんはうちの妹と同じクラスだよね」
「……え、天童さんの...お兄さん?」
「そうそう!あいつ本条さんと仲良くなりたいらしいから、よかったら仲良くしてやってよ!あと白布君!」

ビシッと指を指される。なんだろう、この天童先輩とやらのテンションについて行けない。隣の本条もたじたじである。

「な、なんですか」
「頑張って!」
「はい?」
「うちの妹、ちょっとアレなところがあるから!頑張って!!」
「…はぁ…?」

じゃあ俺行くから!と天童先輩は走り去った。暫くの無言の後「…行きましょうか」という本条の言葉に俺達はまた歩き始めた。


「天童先輩の妹って…昨日の、壁に隠れてた」
「ええ、多分天童さんでしょうね。同じクラスに天童はあの子しかいないし」
「何を頑張れって言うんだ…?」
「さぁ…?」

その時はまだ天童先輩の妹のが一体どういった人物なのか、俺はまるで理解していなかったのだ。




◇◆◇



校門をくぐった辺りで、白布君と別れた。特進と普通科の校舎が違うため、別々の方向へ歩く。今日は疲れたわ。まだ1日の始まりだというのに。誰も居ない教室に一人、腰掛ける。バッグから読みかけの本を取り出す。天童さんのお兄さん…まるでイメージが違ったわ。
思い出して、少し笑う。ちらちらと私の顔色を窺う白布君。白鳥沢で有名な「牛島」の名前を知らないわけないじゃない。フルネームで憶えているわよ。

「くだらない私の嫉妬を気にして、白布君たら…」

天童さんのお兄さんの「若利君」という言葉を聞いた時の白布君…身体を石の様にさせて…ふふふ、笑いが零れる。別に、牛島若利が嫌いなわけじゃないのよ。…ちょっとだけ、嫌いだけれど。本の内容なんて、頭に入らないままページを捲る。


「あ、本条さん…!おはようございます!」
「天童さん、おはようございます」

2番乗りに教室に足を踏み入れたのは天童さんだった。そわそわしながら、天童さんは自分の席に着いた。…どうしましょうか。今朝、天童さんのお兄さんに言われたことを思い出す。私別に、友達が要らないわけじゃないのよね。ただ、私と仲良くなったところで…。

「あ、あの!本条さん!」
「はい?」

悩んでいたら、いつの間にか天童さんは目の前に居た。

「本条さんのお友達の白布君って、バレー部に入ったんですよね?」
「ええ、そうよ。天童さんのお兄さんもバレー部なんですってね」
「な、え…なんでそれを」
「今朝、天童さんのお兄さんに話しかけられたわ」

天童さんは何故か目を見開いた。動揺したような様子に首を傾げる。

「え、ええと…私の兄はどうでしたか」
「…そうね、こう言って良いのかわからないけれど…あまり天童さんと似てないわね」
「それ聞けて安心しました。あんなのと似てるなんて言われたら」

あんなの、自分の兄をあんなの呼ばわり。口元は笑みを浮かべているけど、目はまったく笑っていない天童さんの様子に、私は笑ってしまった。


「な、なに笑ってるんですか!」
「ふふ、いいえ。面白いなと思って」
「え!?」
「お兄さん、良い人だったわよ。天童さん、私と仲良くしたい様だからよろしく、って言われたわ」

顔が赤く染まるのを見て、また笑ってしまった。なんだろう、今までクラスメイトとこんな友達のような会話、したことがなかったからとても不思議。どれだけ私が人間付き合いしていなかったのか浮き彫りになる。先日、私は自分で否定してしまった案を提示してみる。きっと、楽しそうだから。

「天童さんの言う通り、私の友達バレー部なのよ。ねぇ、よければ一緒に見学に行かない?」
「…………え。私と、一緒に?ですか?」
「ええ、お兄さん応援しに行ったら喜ぶと思うわよ」

何故か渋い顔をされた。「いや?」と聞くと、天童さんはうろたえる。眉間にしわを寄せて。

「本条さんと、と言うのはとても嬉しいのですけど…兄の応援…は…ちょっと…」
「お兄さん、嫌い?」
「いいえ。あんな脳筋馬鹿興味無いので嫌いという感情も湧き上がりません。若利さんも同レベルですね。いえ、兄以上ですね。あの人バレー馬鹿でほんと頭にはバレーしかないですから。ほんと脳筋」

…のうきん、ってなにかしら?首を傾げる。まぁ、良い意味合いではないのでしょう。そう納得する。天童さん、牛島さんと知り合いなのかしら。「あ、すいません!本音が出てしまいました!」なんてぺこぺこ頭を下げる天童さんにいいのよ、と笑う。

「私も牛島さん好きではないのよ」
「あ、そうなんですか!若利さんと接点あるんですね、本条さん」
「いいえ、話したことはないわ。あの人有名人だから名前を知っているだけ。…あの人の名前、白布君の口から良く出るから好きじゃないのよ」

私も少し、本音を漏らす。カタカタ、と油の切れた人形のように天童さんが固まった。…あら、そういえば…この流れ、何かに似てるわね。
天童さんがにっこりと笑う。首を傾げながら、私も笑う。


「えへへへ」
「ふふ、ふ…?」
「白布君とやらは、やっぱり私の敵です」

なにか、よからぬスイッチでも触れたかしら。「本条さん、用事が出来たので私少し失礼しますね!本条さんとこんなにお話できてうれしかったです!それではちょっと失礼します」とスタスタと教室を出ていく天童さんの背中を見送る。…取り敢えず、白布君、頑張って。と心の中で白布君にエールを送った。


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牛島厨の白布君と嫉妬する本条さん
本条厨で白布君に嫉妬する天童栞さん

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