どうしても欲しいというなら


ふむ、暇だ。ゆらゆらと足を放り宙を遊ばせる。一度山へ帰ろうかと思いながらふと、昨日の少年を思い出す。視える人の子。胆の据わった子だ、それに聡い。あれならば、すぐに喰い殺される事は無かろう。蒼も気に掛けているようだし。雛鳥もいる。…やっぱりこの場を少し離れてもいいだろう。
身体を起こし、ふわり、堕ちた。

「うわっ」
「なんだ、蒼。いたのか」

降りたらすぐそこに蒼が居た。「おま、屋根の上に登ってたのか…危ないだろ!俺が!」しらん、気配消してそこに居たお前が悪い。

「ところでどっか行くつもりだったのか?」
「暇すぎて死にそうだから一度山にでも帰ろうかと思ってな」
「え、国見少年は?」
「雛鳥が居る。多少のヤツなら問題なかろう。お前も居るようだし」
「俺、そんなしょっちゅう同じ場所いねーし。まぁあの鳥なら確かに多少の澱みは大丈夫だろうけど…お前心配じゃねーの?」
「あ?」
「ああいう人間、割と好きだろ?」

首を捻る。まぁ嫌いではないが…かといって特別好いているかと言ったら昨日の今日だ。そんなこと全くないが。

「お前は人間大好きだからな」
「…まぁ、否定はせんが」
「国見少年は多分お前を頼るぜ。事有る毎に」
「構いはしないが」
「多分懐かれるぞ」
「…?」
「いやなに、俺のひぃじーさんの二の舞になるんじゃねーかと思って」

ふむ、私は納得した。こいつは本当に人が良い。はははは、私は笑う。怪訝そうに私を見る蒼を私は撫でた。

「国見は聡い子だ。あれのようにはならんよ」
「いや、阿呆爺の方じゃなくてお前だよお前」
「私?」
「人間基本馬鹿だし、忘れるの早いし、忘れないにしても記憶が薄れるのは早い。でもお前らは違うだろ」
「…いや、変わらんと思うが」
「いいや、特にお前は純粋だから」
「…心配いらんよ阿呆」

傘を開く。肩に掛けくるくると回す。
からん
下駄が鳴る。

「関わり過ぎるとつらいのはお前だよ」
「慣れたさ」

置いて逝かれる寂しさには、随分昔に慣れてしまったよ。そんなの今更だ。それを恐れて独りで居る方がよっぽど寂しいだろう?

「ヒトとの縁は大切にするべきだよ。一期一会、儚いからこそ愛おしい」
「…あー、もう…ほんとお前良い女だよ…俺の嫁にならない?種族の違いとか気にしないし」
「お前なぞ御免被るわ」

お前の爺の方が言い方マシだったぞ、この屑め。
蒼を背に、私は歩きだす。

「マジで帰るの?」
「3日もしないうちにこちらに戻るさ。…さて、影の子は元気かのぅ」
「くっ…お前の中の好感度第1位は影の子か…」
「安心せい。お前は何時まで経っても最下位だ」








▲▼▲

さて、昔話をしよう。馬鹿な男の話をしよう。

「なぁ、俺と一緒にならないか?」



私は鬼、彼奴は人間。それも私のようなモノを祓う神宮司という家系の人間だ。そんな男が度々私の森に来てはそんな言葉を吐くのだ。
出会いは至極簡単。退治に失敗して右往左往していた奴を助けた、ただそれだけだ。すると奴は眼を輝かせて私の手を握った。

「俺の命の恩人!名前は何と言う!?」

なんともまぁ、人懐っこい事。はち切れんばかりに腕を振られつい答えてしまった。言うつもりは更々無かったというのに、無邪気とは末恐ろしい。

「夜織か…変な名前だな」

こやつ、そこらへんの鴉の餌にでもしてくれようか。苛ついた瞬間である。そこから聞いても居ないのに彼奴はべらべらと自分の身の上話を語りだした。神宮司という祓い屋の家系なのだが、兄が優秀すぎて俺は疎まれている、だとかこの前も小さな澱みに足を掬われて死にそうになっただとか。お前祓い屋に向いてないんじゃないのか、なんて言うと「あ、やっぱり?」なんて笑うのだ。意味がわからん。

「兄みたいにさ、ばっさり行けないんだよな。だって可哀想だろ?」
「祓うときそんな事を考えているのか。可哀想なぞ、思うもんではないだろう」
「澱みとかだと、確かにそんな感情生まれないけど…なんかさ、そこらへんの小人とか、普通に喋るんだ」

なぁ?と手に乗せたヒトガタに話しかける。木霊は彼奴に懐いてるようだった。祓い屋が妖怪の類に懐かれるとは…ここ数百年で初めての光景だ。ついでに言うとそいつは言った言葉をそのまま返すだけで喋れはしないぞ。


「夜織も祓い屋なのか?」
「…いいや、ちがう」
「違うのにそんなに強いのか…どうしたら強くなれる?」
「しらん」

そんなバッサリ切り捨てなくても。と彼奴は肩を落とした。私は、別にこいつが強くなる必要、無いと思った。木霊が彼奴の周りにわらわらと集まるのを見て、心底そう思った。









「――おまえ、鬼か」

月の綺麗な夜だった。彼奴に似たような匂いがした。でも彼奴ではない。鋭い眼。ああ、こやつは、彼奴の言っていた兄か。

「お前が弟を誑かしていたのか」
「誑かすとは」
「片っぱしから消す必要はないだろ、と怒鳴られた。全く持って意味がわからん。人の世に仇名すモノはすべて消すべきだろう」
「…本当に、彼奴は祓い屋に向いてないな」
「俺もそう思うがな」

札を構える。ふむ、どうしようか。更々消されるつもりはないが、かといって傷つけるわけにもいかぬし。逃げるか。
バサバサと鴉が羽ばたく。

「――覚悟」
「するのはお前だァ!」

ガスッ
鈍く何とも言えない音が響いた。私は眼を丸くする。

「兄さん何やってんだ!」

腐った太い木の枝を構える彼奴がそこに居た。いや、お前が何をしている。呆気にとられる私と、腐ってても強度はあったのか、頭を押さえる兄。そして仁王立ちの彼奴。異質な光景。

「な、に邪魔をする。是は鬼だぞ」
「……えっ、鬼?夜織鬼なのか?」
「…応」
「………夜織、だと?」


…夜織…と声を籠らせる兄を余所に、彼奴は声を上げる。「鬼?角無いじゃないか」「いや角は隠して」「隠せるのか!?」「…応」「じゃあちょっと出してみろよ、じゃないと鬼って分からない」こやつは阿呆なのか、阿呆だったか。仕方なく隠していた角を覗かせるの「おお!本当に鬼なのか!」と声を上げた。このド阿呆め…。

「しかし兄、夜織は鬼だったとしても良い奴だ。俺を助けてくれた。付け入る隙を窺っていた、なんて言われたらそれまでだが夜織は良い鬼だ」

これの兄はさぞかし頭が痛かろう…阿呆過ぎて。私は溜息を吐く。

「……なるほど、夜織…お前が…」
「…お前はお前で何を納得している?」
「ここで祀られているのは鬼だと聞いた。夜織という名の夜叉だと」

いや、そんな崇高なものではないが。ただ昔から、村の連中とは交流があっただけで。そう言えばなにやら供物やらが小屋の前に置かれていた事があったが…いや祀られてはおらんぞ。

「いや、お前らの勘違いだ」
「いいや、下の村人に口うるさく言われた。夜織様に手を出したら村八分にして八つ裂きにしてやる、と」

物騒極まりない村人どもだ。そういえば作物が育たないと嘆いていたから夜な夜な畑に水をくれてやったんだった。雨を降らす力は流石にないからなぁ。井戸から水を汲んで撒くのは少々骨が折れた。

「八つ裂きは御免だ」
「人間が一番残酷と聞くが…真(まこと)だな」
「全くだ」

ハァ、と溜息を吐き「お前の存在は見なかった事にする」と言った。まぁこっちとしてはありがたい話であるが。良いのか?と首を傾げると「構わん。害が無ければ空気とさほど変わらん」…その言い草はどうかと思うが。まったく、時間を無駄にした。と奴はめんどくさそうな顔をして帰って行った。なんだったのだ、まったく。

「…鬼…夜織が、おに」
「お前はなに狼狽ておる」
「……おに…」

腕を組み云々と唸る彼奴。コイツも連れて帰れよ。もう姿が見えなくなった彼奴の兄に悪態を吐いた。


「おい、呆けてないでさっさと帰れ阿呆」
「あー?…おう…」
「なんださっきから鬱陶しい」
「いや…うん。ちょっと話を聞いてくれるか?」
「は?…まぁ良いが」

そう言うと、彼奴は私を真っ直ぐと見つめた。なんだ、彼奴がまるでわからん。じいっと見返すと彼奴は口を開いた。


「久しぶりに家に帰ったんだ。あ、最近はずっと下の村に住んでいるんだ。で、家で両親に会って話しをしてきた。一緒になりたい女が居るんだが、と。両親は馬鹿息子に嫁!大層喜んだのだが…ここに来て問題が発生した。…なぁ、鬼と人って一緒になれるのか?」

目眩がした。おいおい待て。私の考えが正しければ

「ちなみにその鬼と言うのは」
「夜織だけど」

…眼が据わったのがわかった。何を勝手な事をこいつは言っているのだろうか。理解不能である。こやつ真正の阿呆だったか。頭が痛い。

「なぁ、どうなんだ?」
「寧ろお前はどう思ってるんだ」
「え?いや俺は全く問題ないんだが。夜織が鬼だろうが関係なく好いている」

人と私たちでは生きる世界が違う。そんなもの祓い屋の彼奴なら百も承知のはずだが…。目眩。とんでもない阿呆だ。救いの無い阿呆だ。私は頭を押さえた。

「人間は人間同士で生きるのが一番いいと思うが」
「俺はお前が好きなのだが」

しらん。というかコイツ何言ってももう駄目だろう。何が好きだ、阿呆め。

「私はそれほどお前を好いていないが」
「じゃあ毎日会いに来る」

すでに毎日来てるではないか。という言葉を飲み込む。
それから数十年、やつは本当に毎日私の元に来ては「俺と一緒にならないか?」なんて言葉を吐きだすことになる。それこそ…奴が動けなくなるまで。








▲▼▲


「本当に、彼奴は阿呆だったなぁ」

今、あの村は無くなり少し大きな町になった。そんな町を見下ろす。なんだか色々思い出してしまうな、ここに来ると。木霊が私の肩に乗る。

「アレは阿呆だ。ド阿呆だ」
<阿呆、ド阿呆!>

聲が木霊する。自分で言った言葉に笑ってしまった。
死ぬまで彼奴は「夜織が好きだ」なんて言っていたな。ド阿呆め。人間の嫁さんが可哀想じゃないか全く。まぁ、奴は嫁を大層大切にしていたが。そんな嫁さんに先立たれて、独りで生きて…。

最後の最後に残した言葉が私の名前だと知るモノは私だけだ。