夜の雛鳥


神社の裏手、外観は崩れそうな木造の物置のようだったもの。が、中に入ってみるととんでもなく生活感あふれる空間だった。台所あるし、囲炉裏もある。

「すげーだろ?神社の一画をリフォーム」
「良いんですか蒼嗣さん、神社の一画をこんな風にして」
「ここ俺の家の土地だし、ここはもう崇めているものが居ない蛻の殻だから別に何したって大丈夫大丈夫」

蒼嗣さんは愉快そうに笑う。俺は笑えない。目の前に座る夜織さんも笑わない。「そんなことより蒼」と夜織さんが口を出す。

「饅頭はどうした饅頭は」
「食い気かよ夜織」
「お前が町に降りるというから頼んだのに…」
「買ってきたっつーの!ほれ」

がさがさと音を立てる袋を受け取ると、それはもう幸せそうに夜織さんが笑みを浮かべた。この人饅頭が好きなのか。「あ、コイツ和菓子全般好きだからなんか頼みごとある時は和菓子献上すれば良いぜ」と蒼嗣さんに耳打ちされた。

「茶、入れてくる」
「おん」
「蒼が言いだしたのに何故私が淹れるのかは謎だが」
「俺が淹れていいの?」
「お前の茶は不味い」
「だろーな」

夜織さんは立ちあがり台所の方へと向かって言った。さて、国見少年。と蒼嗣さんが俺の眼を見つめた。

「災難だったなぁ、ゴミ屑みたいなやつでも結構でかかったし。なにアレ、学校に居た?」
「学校にも居たんですけど、あれより全然小さいヤツ。でもアレに会ったのは道端です。喰ってました」
「ほーん…澱みは学校みたいに人が集まる、特に子供なんかが集まる場所だと結構居るんだけど…喰われてたやつどっかから引き連れてきたんかねェ…ちぃと目を光らせておくかな。国見少年、怪我とかは?」
「腕が凄く痛かったんですけど、夜織さんに頭を撫でられたら綺麗さっぱり無くなりました」
「へへーん、だろ?だろ?」

蒼、何故お前が得意げなんだ。と台所に居る夜織さんの呆れた声が聞こえた。

「だって俺が教えたんだもーん。なぁ国見少年」
「えと、はい」
「だろうと思ったけど。はい国見、お茶」
「あ、ありがとうございます」
「お茶請けに饅頭も。あ、蒼は水な」
「ちょっと待って、なんで水」
「面倒」
「お茶2杯も3杯も変わんないだろ!?」
「存在が」

存在が面倒って…といじける蒼嗣さんを余所に、夜織さんは座り、ガサガサと饅頭の包みを開けていた。最早蒼嗣さんの声は届いていないようだ。折角だから俺も貰おう、と饅頭に手を出した。あ、これ駅前の美味しい和菓子屋の饅頭だ。

「んまい」
「そら良かった」

じゃ、俺帰るわ。と立ちあがる蒼嗣さんにえ、と声が漏れた。「だって、別に長居する気ないし。それ分かってたからコイツ水出したんだぜ?」と言う蒼嗣さんに「いや?単にお茶出すのが勿体ないだけだったのだが?」と夜織さんが一撃食らわせていた。

「夜織がひどい…ま、国見少年。楽しく夜織と会話して帰るといい。夜織、帰り国見少年送ってやれよ」
「応」
「え、ちょ…蒼嗣さん」
「大丈夫大丈夫、取って食おうなんて思う奴じゃないか…ら…。…うん夜織、お前若い子、少年とか好きだったっけ?」
「20代前半の割と口うるさい祓い屋の男なら好きかな。そりゃあもう蔵に放って置いて有象無象の餌にしてやりたいくらいに」
「すいませんでした蔵放置はやめてください」
「さっさと帰れこのゴミ屑」

へいへい、じゃーな国見少年。と本当に蒼嗣さんは帰ってしまった。え、本当に俺放置?饅頭片手に固まってしまった。

「さて、国見」
「はい」
「ああいうのは初めてではないようだが」
「…初めてではないです。昔から、見ない様にはしてきたんですけど」
「お前は賢い子だな。アレは…特に澱みは無視に限る。認識されなければアレは力を持たないからな」
「…今日はうっかりです」
「あれだけ大きけりゃ仕方があるまい」
「ありがとうございました。あのままだと、腕が無くなってました」
「構わないさ、結局私は何もしていないしな」
「いえ、助かりました。今度どら焼き持ってきます」
「いつでも来い」

最後、夜織さんの声が弾んで笑ってしまった。そのまま饅頭を食べてお茶を飲んで一息。…疲れた。疲労感が半場ない。ぽきぽきと骨が鳴る様子に、ふむ、と夜織さんが声を漏らす。

「えーと、あれは何処へやったかな…」

立ちあがり、箪笥を漁り始める。ここにーは…ふーむ。がさがさがさがさ。俺は首を傾げる。何を探しているんだろうか。暫くして「お、あったあった」と声を上げる。手には小さな箱。こちらに投げられ、慌ててキャッチする。

―――リン

音が鳴った。


「これ、は?」
「ん、鈴だ」

鈴…?箱のふたを開けてみると、透明な鈴だった。硝子製だろうか、割れそうで怖い。よくそんなもの投げたな。軽く振ってみと、音は出なかった。…?

「この世のモノではないものに反応する鈴だ。特に悪いモノには良く鳴る。浄化作用もあるから、弱いモノは近づかない。強いモノにはあまり聞き目がないから危険と感じたら取りあえず逃げろ」
「…貰っていいんですか?」
「だから渡したのだが」
「…ありがとうございます」

お礼はどら焼きで構わんぞ。という言葉に俺は笑ってしまった。「じゃあ今度買ってきます」と言うと夜織さんは笑った。

「夜織さんは」
「ん?」
「……いえ」
「言ってもいいぞ」
「喰ったり、しないんですか」
「――なんだ、」

スッと、手が伸びる。それは俺の頬を掠め、首 へ。

「喰っても、いいのか?」

嗤った。目が、赤い。血 の、ように。
三日月のように吊り上がる口から八重歯が覗く。
恐 怖は、


「――いえ、夜織さんは俺を喰わないでしょう?」

恐怖はない。
ふむ、と面白くなさげな表情をし、夜織さんの手は離れていった。実はちょっとだけビビってしまった。多分気付かれているだろうけど。俺はお茶を口に含んだ。

「人ではない事には気づいてるだろうなとは思っていたのだが…肝が据わってるなぁ、国見は」
「悪いモノと悪くないモノの判断は、出来るつもりです」
「ははは、案外私はその【悪いモノ】かもしれんぞ?」
「鈴までくれて何言ってるんですか」
「気を抜かせて喰う算段かも知れんぞ」
「喰いたいんですか」
「…いいや」

両手を上げて降参ポーズ、夜織さんは笑った。クツクツと、面白そうに笑った。

「本当に肝が据わっている。国見の言う通り私は人間なぞ喰わぬ。まったく…国見で遊ぶには数十年早いかな。子供らしからぬ子供め」
「ありがとうございます」
「私は今、褒めたのか…?」
「褒められた気がしたので」
「お前さん、生意気とは良く言われぬか?」
「わりと」

だろうな、と夜織さんは笑った。よく笑うヒトだ。夜織さんは、一体なんなのだろう。ここまで人間に近い【其れ】を視ることは殆どない。

「さて、あまり子供を遅くまで引き留めては悪いな。といってもだいぶ遅くなってしまったが」
「大丈夫です。両親の方が遅いので」
「…ふむ、家で一人か」
「、はい」
「ふーむ…」

ちょっと待ってろ。と今度は外へ出て行ってしまった。…また、何かを持ってくる気なのだろうか。寄せ付けない物をくれるのは助かるしありがたいが、俺は何かを還せる人間ではない。耳を澄ませる。話し声が聞こえた。誰か、居る?暫くして戸が開いた。夜織さんの手には…、?

「なんですかそれ」
「雛鳥だ」
「…おおよそ、鳥と判別できる処がないんですけど」
「翼が在るだろう?」
「……」

翼が在れば、なんでも鳥になるのだろうかこのヒトの中では。じっと夜織さんの手の中の其れを見つめる。黒い影のよう。翼が在って、鋭い爪を持つ長い足、眼は無いが鹿のような角が在る。何の雛鳥だ。大きさを無視すれば雛のような可愛らしさは全く持って無い。

「成長するとどれだけ大きくなるんですか」
「うん?人を乗せられるくらいだろうか」

思ったより成長する奴だった。それをどうしろと、なんて思っているとこちらに飛んできた。びくり、と身体が揺れる。其れはお構いなしで俺の肩に留まった。重さは無いし、鋭い爪が俺を傷つける事も無かった。

「…なんですか、これ」
「しらん」
「え、」
「名はしらん、私は影鳥と呼んでいるが。其れは元々異国の者だ。それが流れ着いて私の山に棲み付いていた。悪いものではない。寧ろ悪いものを喰らう影だ。お前さんの守り手には丁度良かろう」
「…連れて帰るんですか、これ」
「まだ喋れぬが言葉は理解できるぞ」
「喋るんですか」
「応とも。割と人懐っこいぞ」

指を近づけると擦り寄ってきた。確かに、人懐っこそうではある。見た目は、割と恐ろしめではあるんだけど。

「餌は自分で狩ってくるだろうが…好物は蜂蜜だ。スプーン1杯与えると喜ぶぞ」

ついでにこれもやろう。と渡されたのは壜、中身は琥珀色。連れて帰ることはすでに決定事項のようだ。

「話をしてやれ、まだ喋れはしないが話好きだからな。其れの親も五月蠅い位に喋るからな」
「雛鳥なのに、親から離していいんですか?」
「応、放任主義だからな」

いいのか、と思いつつ顔に擦り寄る其れに、まぁいいかと思ってしまった。慣れると可愛いかもしれない。

「さて、帰ろうか。お前さんの家に。独りの夜は昨日で終わりだ」