羽化を拒否して眠りにつく


「ねぇ××」

私がまだ人間で、幼子だった頃の話だ。ボロボロだった私は、とあるモノを見つけた。人食いの物の怪が居るとされる林に入り、私は探した。物の怪を。そして出逢う、望んだモノに。裸足の足は、血塗れだった。途中で転んで、あちこちから血が出ていた。物の怪にも襲われた。でも辿り着いた、ソレに。


「わたしはおかしいの?」


そのヒトが私を撫でた。何故、貴方が泣くのだと私は問うた。「世は不完全で、歪だからだ」とそのヒトは言った、赤い髪と長い角を持つヒトがそう言った。



――異形のモノだと虐げられた私は、ある日人を辞めた。それが自然であるかのように。私は鬼になった。1000年以上、昔の話だ。





▼▲▼


あれから数日、俺は夜織さんの姿を見ていない。困ったような表情をして、小さくて聞きとる事の出来なかった、俺の知らない"誰か"の名前を悲しそうに愛おしそうに呼んで、それだけだった。変な事を、聞いてしまっただろうか。考えが足りなかったとは思った、後の祭りだという事も理解している。
――夜織さんが、ヒトを辞めた理由。


『生まれながらにして、純粋な鬼なのかと思っていたわ』
「朱音」
『国見ちゃんおはよう』

ふよふよと宙を浮く朱音、あれ?及川さんは?なんて聞くと『えー私別に徹にずっとひっついてるわけじゃないもーん』と顔を背けられてしまった。まだ喧嘩してるのかここの2人は。

「朱音が折れるべきだと思うけど」
『国見ちゃん、今まで自分がどんな苦労してきたのか憶えていないの?』
「さて?夜織さんや朱音や古宵の事が真っ先に思い浮かぶからね」
『国見ちゃんらしからぬ明るい性格…』

大変なことは確かに沢山あったけれど、それでも楽しい事や大事な事もあったよ。そう言うと朱音は頬を膨らませた。


「あ、岩泉さん」
「国見か」

『あ、岩ちゃーん!』と朱音は岩泉さんの腕にひっついた。それに全く反応しない辺り、夜織さんのまじないは聞いているのだろう。結局昨日の夜、まじないを受けたのは岩泉さんだけだった。

「朱音が腕に抱きついてます」
「げっ!」
『げっ!って何よ岩ちゃん!』
「及川居ねーよな…」
「居ないんで大丈夫です」

それ聞いて安心した、と岩泉さんは腕を振り回した。『きゃぁああ!?』と声を上げる朱音は岩泉さんから離れた。「離れたか?」と聞く岩泉さんに俺は頷く。


「及川が妙に気に入ってるみたいだし、なるべく火の粉は被りたくねぇ」
「わかります。でも岩泉さんは及川さん相手にするだけで良いじゃないですか。こっちは及川さんと朱音2人相手にしなきゃいけないんですよ?岩泉さん、及川さん2人同時に相手するって想像してください」
「死ぬな」
「ええ、死にます」
『なに辛辣な事言ってるの国見ちゃん』

ほんと、及川さんに似て相手しづらい。更に意地張ってる朱音がしょっちゅう話しかけてくるからめんどくさい。

「なんでそんなに頑ななの朱音。俺にはちょっかい出してくるくせに、及川さんは駄目なの?」
『国見ちゃんは"そう"でしか生きられないから仕方ないとして、徹は違うのよ?』
「慣れちゃえば同じじゃん」
『慣れようとする行為が愚かだわ』

「なぁ、朱音」

あ、及川さんが後ろに居る。及川さんはじっと朱音を見ていた。朱音は気づいていないのだろう。『なによ、国見ちゃん』不機嫌そうに聞いてきた。俺は口を開く。


「人を好きになった事、ある?」


朱音の顔が歪んで、そのまま朱音は消えてしまった。朱音の後ろに居た及川さんと目を合わせる。及川さんは困った様に笑った。あーあ、やっぱりそう言う事なのか。岩泉さんも呆れ顔だった。














「一線は越えるな、そう言いたいんだろうねぇ」

及川さんは笑う。「そういえばさ!」まるで打ち消すかのように明るい声を上げる及川さんに「無理にテンション上げるなよ」と岩泉さんが呆れながらに言った。


「道路モヤみたいなの凄いね」
「目、合わせちゃ駄目ですから。何か聞かれても全部無視ですよ」
「え、潰したら消えたけど」

セッターは全員攻撃的、憶えておこう。「飛雄ちゃんって何?鉄バット持ってるんだっけ?俺も持ち歩こうかなー」危ないから止めてくれ、と岩泉さんと二人で必死に及川さんを止めた。バットそういう事に使うもんじゃないから。


「意外と大丈夫なもんだよ」
「俺初めて及川さんを凄いと思いました」
「…初めて!?嘘でしょ!?」

本当です、と俺は歩きだした。え、ちょっと待ってよー!と及川さんは俺を追いかける。どういう組み合わせだ、俺と及川さんと岩泉さんが並んで通学路を歩いていた。


「で、なんとなく察しはついてるんですけど。岩泉さんも気づいてますよね」
「残念ながら、な…。俺見えなくても苦労しそうだよな…」
「諦めてください、及川さんの幼馴染になってしまった運命を呪ってください」
「及川さんに酷いね国見ちゃん!」
「で、なんですけど」

俺は及川さんの顔を見る。困った表情の及川さんが「なぁに?」と聞いてきた。俺は溜息を吐く。なんか、聞かなくても答え言っているようなもんじゃないか、その顔。「…なんでもないですよ」それだけ言うと及川さんは「ははは!」と笑った。


「国見ちゃんが聞きたい事、分かってるよ」
「…そう、ですか」
「仕方ないじゃんねー」


気になっちゃうんだからさぁ。そう笑う及川さんに俺と岩泉さんは溜息を吐くしかなかった。





▲▼▲


「お前は何をしている」
『…彼岸の君に言われたくないわ…』

どうせ、国見ちゃんに痛いとこ突かれてどっか雲隠れしていたんでしょう!とまるでわけのわからない事を言われた。おい、私は口を開く。


「言いがかりは止せ、私は今まで氷雨に捕まりあちらで酒…あー…」
『…あら、二日酔い?』
「三日三晩酒なぞ飲むものではないぞ…」
『本当にただの言いがかりだったわ…ごめんなさい』

み、水でも汲んできましょうか?という朱音にいい、と首を振る。あー…朝陽が痛いと感じるのは久しぶりだぞ。『もう昼過ぎだけどね』という朱音の言葉に私は頭を抱えた。


「すまん、本当に頭がどうにかなっているらしい。あの日から何日経った?」
『今日で5日目よ』
「…2日ほどの記憶がさっぱりないのだが…」
『ちょっと介抱する人間連れてくるわ。国見ちゃんでいい?』
「国見が二日酔いしたヒトの介抱が出来るのか?」
『できないの?』
「未成年だろ奴は…」

蒼ー…と力なく呼ぶと「なんだー?呼んだかー?」と扉から顔を出した。『は!?いつからそこに居たのあんた!』と声を上げる朱音。最初から居たぞそやつは。「はははは!夜織がそこまで潰されるなんて本当に珍しいよな!」と笑う蒼に手を伸ばす。存外、私は弱っているようだ。あー…と床に寝ころんだ。


「大丈夫か?」
「…2丁目の…」
「お?」
「2丁目の曲がり角…そこにある茶屋の…塩、だいふく……」
「あ、今日は饅頭じゃないのな」
『つっこむべきはそこなのかしら…?』
「漢方とか不味い不味いって言って飲まないからな夜織。意外と子供味覚なんだよ」
『あらやだ彼岸のお方、可愛らしい』
「…団子」
「大福が良いのか饅頭が良いのか団子が良いのかはっきりしろ」
「全部」

おい、と蒼が頭を叩いた。駄目だ、糖分が足りないのだ。「うー…」と唸る私に「わかったわかった、買ってきてやるから泣くな!な?」と今度は頭を撫でてきた。泣いてなどおらんぞ。『彼岸のお方、可愛い』なんて言う朱音に理解が出来ず、そのまま放置した。そして意識はまどろむ。






▼▲▼


あ、寝た。寝息を立て始めた夜織の頭を撫でる。こいつ、喋り方はああだけど、寝顔見ると幼いんだよなぁ…『神宮司の坊や、変な気は起こさないでよ?』なんて言う朱音に「起こさねーよ!」と声を上げた。夜織の身体が揺れる。あ、やべ別の意味で起こしちまう。ほれ、出るぞ。と朱音を連れ外へと出た。


『ねぇ神宮司の坊や』
「なんですか朱音さん」
『夜織様が元人間って、知ってた?』

俺は足を止める。呆けながら朱音を見ると『その間抜け面、知らなかったの?』なんて言われた。いやいや

「え、なんで今さらそんな話?」
『え?』
「え?」

ピタッと俺達の動きが止まる。何か食い違っているようだ。同時に口を開く。

「夜織が人間だったって知らなかったのか?」
『夜織様が人間だったって知ってたの?』

その話は、とても今更じゃないか?アイツがここに棲み始めてもう50年くらいは経ってると思うんだけど。『…え?』と首を傾げる朱音に、俺は首を傾げる。



「夜織は昔、烏野の村で生きていた人間だぞ」

もう1000年以上前の話だけどな。俺もじーさんの話聞いただけだし、じーさんもそのまたじーさんに聞いた話みたいだし。何処から何処まで本当の話か知らないけどな。安倍晴明とかが居た時代らしいぜ。偶に見る、特番のドラマくらいでしか見ねーよな!そういうと『神宮司の坊や、祓い屋の息子でしょ?』と呆れられた。俗世に染まりまくった祓い屋で悪かったな。俺は肩を落とし、苦笑を浮かべた。再び、口を開く。これは昔あった事実だ。




「異形の子が生まれたらしい」

赤い目を持った、肌の白い子供が。それを神の子と崇めるか、物の怪と蔑むかは、その時代によるよな。そう言うと全てを察したらしい朱音は身体を石の様に固まらせた。


「あれは人を怨まず、自分を呪った人の子だ」