夜の一部に成り果てた


「え、飛雄どこ行った?」

呆然と、何も居なくなった床を見る俺達。俺は目の前が暗くなった。ちょっと、待って。あいつ、影山、俺を助けて、それ  で?

「国見、腕!」

顔を歪めて、岩泉さんが腕を押さえた。ダラダラと血が床に落ちる。いや、それどころじゃない。そんなものは、どうだっていい。俺は、立ち上がろうとする。『駄目よ国見ちゃん。ただの怪我じゃないんだから無理しないで!』という朱音に「五月蠅い!」と怒鳴った。目を見開く及川さんと岩泉さん。余裕がない。はやく、なんとかしないと。影山を、たすけないと。だれか、だれか。夜織さん、を――



「呼んだか、国見」
「――夜織、さん…?」

振り向くと夜織さんが居た。狐面は、頭の横に。紅が、無表情の夜織さんがそこに佇んでいた。俺は、腕を伸ばす。

「…誰ですか、貴女」

ギッと、岩泉さんが夜織さんを睨む。及川さんは俺を抱きかかえる。警戒。と違和感。あれ、そういえば二人とも夜織さんが視え、て?
夜織さんが笑った。困った様に笑う。「まぁ、こんな格好の女が突然寺子屋に現れたら、さぞ吃驚するだろうな」と笑った。

「さて、悪いな国見。遅くなった」
「ぁ、夜織…さん、か、影山が」
「落ち着け、大丈夫だ」

夜織さんが近付く。及川さんの力が、強くなった。それを見て夜織さんは困った顔をする。「そんなに警戒せずとも、私は国見の知り合いなのだがな」そう言いながら夜織さんは及川さんに構うことなく俺を抱き上げた。

「、夜織さ」
「喰われたところ、感覚がないだろう?でも、すぐに感覚を戻さないと」
「一生戻らなくなる、ですよね。大丈夫です。…多分」

漸く俺は、自分の左腕に目を向けた。とんでもない出血量。白い制服が真っ赤とか笑えない。多分、物凄く痛いだろうが耐えよう。するり、雪のように白い夜織さんの手が左腕を擦る。――瞬間、激痛。「…っ」と歯を噛み締め耐える。頭を撫でられる。痛みが、和らいだような気がした。

「さて、おい朱音」
『彼岸の君、お久しぶりね…』

力なく朱音が笑う。
ふわふわ舞う朱音を見て、及川さんと岩泉さんが目を見開いた。…やっぱり視えているようだ。俺は「ええ、と…この人たちは…」と口を開く。

「あー…すまん。私のせいだな。私はそこらのソレと逆で、狐面を着けないと認識されてしまう性質でな。後で視えなくなる呪(まじな)いをしてやる。まぁ…説明は、国見に任せる」
「…面倒だから押しつけましたね」
「いや、私が言ったところで信用なぞされぬだろ。それで朱音、何があった?」
『何があった、と言われてもね…何なのよアレ。あんなの見た事無いわよ。あんな大きくて存在感もあるヤツなのに形が無い化け物だなんて。ああ、違うわね。多分大本は有るんでしょうけど、影を纏い過ぎ。なんなのアレ』
「先程影山、と聞こえたが…影の子が捕まったのか?」
「…えっと…そう、です。俺が、捕まったのを、助けて…それで影山が」

夜織さん、影山の事を知っているのか。ということは、つまり影山は俺と同じということ、か。

「ま、国見が呑まれるよりずっとマシだったな。影の子は多少【出来る】からな」

不幸中の幸いか、と呟く。「雛鳥」夜織さんは古宵を呼ぶと俺の頭に止まった。

「お前、向こう側に繋げられないだろ?」
『ごめんなさい』
「いいや、それでいいんだ。きっと。それでは雛鳥…ん?なんだ名前を貰ったのか。ふむ、古宵…なんだ、良い名前じゃないか。ふむ、それでは古宵。氷雨を呼べるか?あれなら、あちら側の路を繋げられるだろう」

指を差し出すと、古宵は夜織さんの指に飛び移った。キィキィ、と啼く。

「さて、お前さん達耳を塞げ。こやつら影鳥の本気の声は本当に酷いぞ。鵺の声より不気味のくせに、とんでもない音量だからな」

首を傾げながらも俺達は耳を塞ぐ。『ほら、ちゃんと塞ぎなさい!徹も岩ちゃんもよ!!じゃないと気絶するわよ!』という朱音の言葉にたじろぎながらも及川さんと岩泉さんが耳を塞ぐ。

「夜織さんは」
「私は構わん。ははは、慣れだ慣れ」

慣れで大丈夫なら、そんな気絶なんて大げさに言わずとも。なんて思った自分が馬鹿だった。轟音。体育館全体が揺れた。いや、頭が揺さぶられたのか。平衡感覚を失う。なんだこれ。え、啼き声?目が回る。俺達の姿を見て、夜織は口を開いた。どうやら笑っているようだ。この人、耳塞いでないくせに平然としてる。朱音も、ふらふらと地に着く。
暫くして、段々と声が小さくなる。と、同時に夜織さんの笑い声が耳に届く。

「…夜織さん、どうなってるんですか」
「ん?こやつの聲か?」
「違いますよ。まったく…」

床にぶっ倒れた朱音を見る。『ぃああ…どんな聲、して…んの…よ…』憐みの目を向ける。及川さんも岩泉さんもふらふらだった。どんな超音波だ。

「烏のお山からここまでそうかからないだろ…と、早いな」

ダンッ!!
と音が響いた。キュィイイ!!と古宵が啼く。聞いたこと無いような高い聲だ。そして唖然。でかい鳥がいた。古宵より立派な角、大きな翼。黒。真っ黒の、車くらいの大きな鳥。

「氷雨、先程振りだな。ちと面倒事が起こってな。それも影の子に。力を貸してくれるか?」

目は無い。が、ジッと、こちらを見る氷雨と呼ばれた…影鳥だろう。もしかしたら、古宵の親なのかもしれない。こんなに大きくなるのかと呆然となる。

『なんと!トビオ殿に何がございましたか!?』

あ、本当に喋るんだな。なんて思った。しかも思っていたのと何か違う。バサバサと翼を羽ばたかせる氷雨に「やめろ埃が舞う」と文句を言った。


「影の子があちらに呑まれたようだ。影の子だから、多少は大丈夫だろうが」
『トビオ殿は暴力的ですからな!はっはっはっ!化け物なぞ、そこらへんの鉄パイプでめった刺しですぞ!』
「いや…お前」
『いやしかし、よろしくないですなぁ…本当に…良くないものが居られるようで』
「…ふむ。氷雨、路を開け。直接乗り込んで連れ戻して来る」

なぁに、久しぶりに暴れてやるさ。と夜織さんが嗤った。ぞくり、背筋が凍る。ああ、この人はやっぱり、ヒトじゃないんだなと理解する。

『…ふぅむ…影はわたくしどものテリトリーだというのに…わたくしめが路を繋いでは、そちら側に行けないではございませんか』
「ひとりで構わん。なんだ、不満でもあるか?私一人だと」
『…いや、まぁ…夜織殿…』
「俺も行きます」

口を開く。『ぬ?』と氷雨はこちらに顔を向ける。俺を助けて呑まれたのだ。俺が、行かないと。

「いいや駄目だ。特に国見は駄目だ」
「なんでですか」
『国見ちゃん駄目よ。やる気満々の彼岸の君に生身の人間が着いて行っちゃあ。この馬鹿でかい影鳥だって、彼岸の君が力不足だから、とか思ってるわけじゃないんだから』
『わたくしめ、普通の影鳥より小さい方なのですが…』
「でも」
『でもじゃないわ。破壊神の近くに居たら本気で死ぬわよ』

洒落にならないくらい、あっちこっち破壊するんだからこのお方。と呆れ顔で言った。「それでも」と俺は口出しをする。わかっている、俺なんかただの邪魔者になるくらい。それでも。

「…はぁ…駄目だ。国見は本当に駄目なんだ」
「なんでですか」
「お前は」

胸ぐらを掴まれる。ぐいっと引っ張られた。「え」という声をあげることも出来ないまま夜織さんの顔が近付く。首を、噛まれた。皮膚に、穴が開く感覚。

「いっ!?」
「…ん」

なんか、血を 抜かれる感覚。
数秒して、夜織さんが離れた。ぺろり、舌を出す。何も言えず首を押さえる。

「やっぱり…な。うむ。国見は駄目だな」
「……は」
「お前さんは、私たちのようなモノからみて、御馳走なのだよ」

だから、大人しくしていろ。と頭を押さえられる。

「すぐ戻るさ」
「…わかり、ました」

うむ、良い子だ。と頭を撫でる。納得は、頭ではしているけど…やっぱり複雑だ。
からんと下駄が鳴る。氷雨が翼を広げる。


「さて、では行ってくるよ」