ささやかな抵抗
あの子が、帰ってこなかった。
何も聞こえない朝、一人目を覚ます。私を呼ぶ声は、きこえない。
「…影山君、何かしたのかな」
いつもなら聞こえる声が聞こえなくなるのは、気持ちが悪かった。視えない姿、声だけ聞こえるという状況の方がよっぽど気持ちが悪くて気味が悪いというのに、私の耳はあの子の聲に慣れてしまったから、言い様のない違和感が体中を巡っていた。
「ずっと、いっしょ…」
そう言ったのは彼女だった。永遠に一緒に居れる訳がないのに、そう妹は言う。それでも、あの子はその願いを叶えた。死んでなお、あの子は私の側に居る。
「呆気なさすぎじゃない…」
もう、妹は何処にも居ないのだろうか。ねぇ、返事をしないということはそういうこと?私は一人、天井を見上げて笑った。呆気ないなぁ。
「……」
そんな感じで感傷に浸っていた筈なのに、さて学校へ行ってみたら普段どうりあの子の声が聞こえてきた。私のノスタルジックな朝はなんだったと言うのか。玄関で「よぉ」と声を掛け通り過ぎようとする影山君の首根っこをひっつかむ。
「ちょっと、あの子居るの?」
「声聞こえてんだろ」
「そうじゃなくて!家で聞こえないからてっきりあんたが消したのかと…」
「お前一人で帰ったからコイツ一人じゃ帰れなくなったんだろ」
なにその私が置いて帰っちゃったから、みたいな言い方。「俺朝練行くから」とスタスタと歩いて行ってしまった影山君の背中を見送り、私は呆然とする。
「え、なに?」
状況は、殆ど何も変わって無かったらしい。
▼▲▼
「神影さんおはよう!」
「…んー、おはよう日向君…」
「あ、れ?神影さん元気ない?」
「だーいじょーぶー…」
色々考えてたら時間がかなり経っていて、朝練が終わって教室に入って来た日向君に心配そうな顔をされた。別に体調不良とかじゃないよ、と頬をつけていた机から上体を起こす。
「ちょっと朝から疲れただけ…」
「俺も疲れた…今度練習試合あるから猛練習中なんだけど」
「へぇ、練習試合」
「青城と!」
「割と強いところじゃなかったっけ、そこ」
「らしいね!だからほんと猛練習中…影山厳しくてつらい…」
主に罵声が、という日向君に笑う。私と喋った時は全然感じなかったけど、やっぱりそんな感じの性格なんだ。顔つきの悪さといい合ってるわ、影山君。「ド下手くそボゲェ!」「日向ボゲェ!」「アホボゲェ!」とか凄い言われた。なんて、影山君罵りの言葉ボゲェしかないのか。
「でも楽しそうだね、日向君」
「おう!中学の時はまともなバレーって出来なかったから、ちゃんと部活としてバレー出来るってすげー楽しい!」
まともなバレーが出来なかったってなんなのだろうか。疑問に思いつつも「そっかー」なんて答えていたらチャイムが鳴った。先生が教室に入ってきて話は中断される。
「で、影山の話の続きだけど」
「いや、続き話さなくていいよ」
日向君も日向君で文句が言いたいらしい。休み時間、まだ昼休みではないというのにもぐもぐとパンを食べ始める日向君に視線を向ける。
「はへやまはほげぇほげぇふるさふて」
「食べるか話すかどっちかにしなさい何言ってるか全く聞き取れない」
影山がボゲェボゲェ五月蠅くて、かな。よく聞き取れたな、と自分でも驚きながら飲み物を飲む。暫くもぐもぐと食べ続けた日向君は途中で止まり「で、影山が」とどうしても話したいらしい。日向君って影山君大好き人間なの?日向君も日向君で語彙力が少ないのか、小学生のような罵りが始まる。ははは、私は聞くふりして右から左へ流す。
「ねぇ神影さん、元気出た?
「え?」
「いやー、なんか神影さんつまらなそうな顔ずっとしてるから。俺何話していいかわかんないけど、神影さん影山の事知ってるみたいだから影山の愚痴言ったら共感とかしてくれるかなー、ちょっとは気が晴れるかなぁ、なんて思って」
「…そこまで、仲良くないけど」
「昨日話してたよね?」
「昨日初めて知り合ったんだけどね」
「んえ!?」
そ、そっか…昨日初めて知り合ったのか…じゃあこんな話してもつまんなかったよな。と焦り始める日向君。例え前からの知り合いだったとしても日向君の話は面白くなかったよと心の中で言う。
「でも、まぁありがとう」
「ごめん、なんか逆に気を遣わせた?」
「全然?」
暇つぶし程度にはなったしね。日向君は嬉しそうな顔をした。
▼▲▼
「…なんで、弁当箸じゃなくてフォーク?」
日向君がお弁当の包みを開いて声をあげた。「夏のフォークじゃん…」と呟く日向君に由梨が「なになに、妹?」と声を掛ける。私は身体を揺らした。
「そう、妹。夏っていうんだ」
「日向夏…ひゅうがなつ…」
「俺ひなた」
「知ってるよ、ひゅうがくん」
「おれひなた!」
「何あほなことしてるの由梨に日向君」
いや、やるべきでしょ今のやりとり。と意味がわからないことを言う由梨。はいはい、弁当食べようねーと私はお弁当に箸をつけた。
「まぁ、食えるからいっか」
「妹可愛い?私一人っ子だからわかんないや」
「夏かわいいぞー。おにーちゃんあそぼー、ってよく来るし」
「おにーちゃんとかおねーちゃんって呼ばれるの憧れる。ねっ、鏡花」
「んー…そう、だね」
わいわいと話す由梨と日向君を横目に私は無理矢理お弁当のおかずを口に突っ込む。ぎりぎりと、心臓が痛くなる感覚。おねーちゃん、妹。その言葉が、抉る。
「私も一人っ子だから、妹とかよくわかんないや」
吐き気を催す。