遺せないぼくらの足跡


一度だけ【其れ】を視た。バレー部に正式に入部をする前、日向と校庭で練習をしていた時。あれは、満月の時だったか。空を見上げて、揺らぐ影を、屋上のすぐ縁を立つ影を視た。

――制服の、女子?

風に吹かれ、なびく赤いリボン。今の、烏野の女子の制服とは違う、古めかしい制服。ああ、あれは…そうか。俺はそれを睨みつける。あれは、ヒトじゃない。「おい影山!今日はもう帰って明日めちゃくちゃ早く来て練習な!おい、聞いてんのかー!?」なんていう日向の頭を殴る。その時、目を離し、再び上を向いた時には既に、その影はそこには居なかった。





それから暫く経ち、朝、校舎に入る前、ふと上を向くとそれは居た。気だるそうに、校庭を見渡す女子生徒。一度、屋上に行った時鍵は開いていなかった。それどころか「立ち入り禁止」の張り紙が扉に貼られていた。なら、あの生徒はどうやって、屋上に入ったのだろうか。

「――あ?」

その女子生徒の頭上を、小さな子供が飛んでいた。それは、おぞましく血まみれで。俺はヒュッと息を吸った。微かに聞こえるのは「おねえちゃん」という言葉。
『おねえちゃん、どうして』と血まみれの其れが問うた時、女子生徒の口が動いたように見えた。何を言ったのかはわからない、が多分、その血まみれの子供の問いに答えたのだ。そう思った。

女子生徒が、下を向く。俺と、目が合った。俺は口を開く。聞こえはしないだろうけど、それでも口を動かした。

「おまえ、後ろのそれは」

ひらり、女子生徒は翻す。姿が見えなくなってしまった女子生徒に「おい!!」と大声をあげた。周りに居た人間が「なんだ?」と俺を見る。そんな視線に構うことなく俺は玄関へと向かう。鉢合わせ、出来るだろうか。そんな不安をよそに、案外簡単にその女子生徒と出会った。先程屋上に居た時の髪型と少し変わっていた。後ろにはしっかりと【其れ】がいる。ぽたぽたと、床に血が落ちる。…見つけたところで、どう声を掛けていいのか。俺はじっと彼女を見つめていると、俺の視線に気づいたのか、彼女が振り返る。

わらう。
それは、かなしそうにわらった。

〈…おねえちゃん…〉
「おはよう!」

女子生徒の服を、弱弱しく掴む其れ。…なんだ、この…良く解らない感覚は。彼女の背中を見送りながら、俺はその場に佇んだ。あれは、なんだ?




▼▲▼


「私と、【私の妹】になんの用?」

虚ろな目をする神影鏡花に息を飲む。妹、神影鏡花の妹。俺はジッと、足元の血まみれの小さな【其れ】を見る。見た目こそはおぞましいが、悪意は無い。其れと目が合う。何も、言わない。


「…俺が元々気になってたのは、こいつじゃない」
「あ、そう。ああ、なんだっけ?満月の夜に出る黒いセーラー服の女生徒?お生憎と、入学してから殆ど毎朝屋上には行ってるけど、視た事は無いよ」

これでいい?と不機嫌を隠さずに神影鏡花は言う。俺は押し黙る。そう、元々気になっていたのは夜に現れる女生徒であって、こいつの妹ではない。でも、だからと言って見て見ぬふりは、もう出来ない。

「なぁ」
「なに?もう帰りたいんだけど」
「お前はそれでいいのか」

姿かたちからして、神影鏡花の妹が死んだのはだいぶ昔の話だろう。多分、ずっとこの神影鏡花の妹は神影鏡花に憑いている、ずっと。それを引きとめているのは、紛れもなく神影鏡花だ。


「…それでいいのか…って言われても」

漸く、神影鏡花の表情が変わった。不機嫌そうな顔から、少し困ったような、悲しいような顔。

「だって、私が妹を殺したようなものだもの。恨まれたって、仕方ない…仕方ないはずなのに」

<おねえちゃん>と声が響く。顔を下に向ける神影鏡花と神影鏡花の妹の視線が合うことは、無い。


「私の事<おねえちゃん>って呼ぶばっかりで恨みの言葉一つ、言わないのよこの子」

恨みは無い、悪意もない。後悔は―――ある。縛られているのは神影鏡花か、神影鏡花の妹か。気になるのは、神影鏡花の妹がとても悲しそうな顔をしているという事だ。


「お前の妹は」
「あー!影山!!」

廊下に声が響く。ゲッ、と俺は声の発信源に目をやる。「お前!遅いぞ!!澤村さんが探して来いって」と日向が駆け寄ってくる。

「影山君部活頑張ってね。それじゃ」

まったく気持ちの篭っていない言葉を投げかけられる。ちょっとまて!と俺は神影鏡花の腕を掴む。

「お前、明日屋上居ろよ」
「朝練は?」
「いいから!居ろよ!!」
「……わかったよ」

観念したように、神影鏡花は頷いた。俺は腕を離す。「影山このやろー!」と日向が俺の背中に突進してきた。身体がよろける。

「かげや…あれ?神影さん?」
「日向君、教室ぶり。ごめんね?影山君ちょっと借りちゃって」

笑みを貼りつける。…仮面みたいで、気味が悪いと思った。にこにこと笑う神影鏡花に、日向も笑う。なんで、気づかないんだろうか。こんな、作り笑い。

「神影さん影山に用が…えっ、こ、告は」
「違う違う。ちょっと野暮用!でも終わったから。日向君部活頑張ってね!」
「うん!じゃーね神影さん!」
「うん、影山君も。ばいばい」
「…ああ、また明日」

また明日という言葉を口に出した時、睨まれたような気がした。そりゃあ釘を刺したんだから、睨まれるよな。ハァ…と息を吐く。

「影山、神影さんと知り合いなのかよ」
「お前こそ」
「俺神影さんと同じクラスだし、隣の席だし。結構仲良いし!」

どーだ!羨ましいだろ?と笑う日向を取り敢えず殴っておいた。こいつ、ムカつく。何もわかってないくせに能天気でイライラした。でも、そうか。日向と同じクラスで、隣の席…か。


「お前、何組だったっけ?」
「1組だっつーの!…おま、まさか神影さん狙」
「日向ボゲェ!」









▼▲▼


私は息を吐く。ドッと疲れが押し寄せた。予想外だったなぁ…【この子】が視える人が居るだなんて。

<おねえちゃん>

声だけは、聞こえる。でも姿は視えない。私は笑う。なんで、貴女だけ視ることが出来ないんだろうね。影が蠢いた。私の足に纏わりつく。邪魔だよ、と私は振り払い踏みつぶした。


「邪魔、ほんと邪魔。全部消えてよ」

ぐしゃり、潰れた音。何度も何度も何度も―――何度も踏みつぶす。跡形もなく潰れて消えたその後を、睨みつける。あーあ、朝も帰りにも汚しちゃったよ。


「はは、は」

笑う。あーあ、もう本当に可笑しい。なんで、私は。【私は死んでしまったのだろうか】


<おねえちゃん、どうして>


「嘘も八百、嘘も方便」

影山飛雄ってば、何もわかってないなぁ。と私は嗤った。
影が、揺らめいた。



◇◆◇人物紹介◇◆◇
【影山飛雄】
烏野高校1年3組、バレー部
生まれつき視える人間
そう言った類のモノには物怖じしない
慈愛の赤に吠える」でも登場
こう言った類のモノによく首を突っ込む