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近づくのが
とても怖いのです




入学式から早1週間、少しずつ高校生活に慣れ始める。相変わらず私の携帯電話は鳴りっぱなしだし、黒尾先輩がしょっちゅうクラスに来ては私をバレー部のマネージャーを、と勧誘し続ける。今日も昼休みに黒尾先輩に捕まった。


「あかりちゃーん、もう1週間だぜ?もうそろそろ折れてくんないかな?」
「いや、です。ぜったい」
「頑固だねェ…音駒マネージャーいないからほんと募集中なの」
「…他の人引っかけてください」
「引っかけとか言うな」
「リエーフ君」
「黒尾さん、あかり嫌がってるんでやめてください!」
「お前は俺の味方だと思ってた」
「俺はあかりの味方っす!」

ぎゅーっと私を背中から抱きしめるリエーフ君にも慣れてしまった。これは慣れるべきではないものだとは分かっているけど、それでもまぁ…慣れてしまったものは仕方ない。友達、第一号だし。


「でも、ほら部活にあかりちゃん居て、がんばれー!なんて言われちゃったらお前頑張れるだろ?」
「そりゃあいつもよりは頑張れますけど…」

…なんだか不穏な会話が流れ始めた。私は携帯電話を取り出す。ラインを送ろう。勿論、相手は夜久先輩である。…既に夜久先輩からラインが来てた。流石夜久先輩である。


<黒尾居ないけどそっち行った?>
<います。目の前>
<いまどこ?>
<1年の廊下です。少し不穏です>
<おk今そっち行く。がんばれ>


きっと数分もしないうちに夜久先輩は来てくれるだろう。夜久先輩は私のヒーローである。敵は黒尾先輩。リエーフ君はたまに言い包められて敵になる。今日とか、ほら


「あかり!」
「いや」
「まだ何も言ってない!」
「黒尾先輩の悪い顔でなんだかわかった」
「言うねーあかりちゃん」

ガシッとリエーフ君に肩を掴まれた。きらきらとした目に私はたじろぐ。「あかり!バレー部のマネ…っ!?」ふと手が肩から外れ、リエーフ君が後ろによろける。「げっ」と黒尾先輩が声を漏らした。



「おいお前ら、いい加減及川にちょっかい出すの止めろ。特に黒尾、毎日毎日及川のところ来て…ここ1年の教室だからな?」

目立つのわかんだろ。夜久先輩がそう言いながらリエーフ君の首を腕で締めあげていた。リエーフ君、顔が若干青い気が…気のせいかな。「えー…だってよぉ」黒尾先輩は声を上げる。


「夜久だってよ、あかりちゃんがマネやってくれたら嬉しいだろ?」
「それとこれとは話が別だ。嫌々やらせてなんになる」

御尤もな事を言う夜久先輩に黒尾先輩は口を尖らせた。ぐしゃり、黒尾先輩は私の頭を撫でる。

「あかりちゃんはさ、なんでそんなに嫌がるの?」
「黒尾先輩がいや、です」
「えっ」
「冗談です」
「…1週間足らずであれだけおどおどしていたあかりちゃんが、先輩にきっつい冗談言えるくらいに心を開いてくれて嬉しいぜ…心がすごく痛いが」
「俺が教えた」
「夜久てめぇ」
「どうして嫌がるか、ですけど」

私は口を開いた。
徹が大好きなものに、私は近づけない。こわい、あれが怖いのだ。丸いだけのただのボールが。叩きつけられるボールの音、徹の楽しそうな顔。私を冷たい目で見る、瞳。
バレーをやらないにしても、マネージャーなんかやって、しかもその事が徹にでもばれたりしたら。私は

「…こわい、です。兄が好きなものが」

手を、握り締める。顔を伏せる。怖いです、バレーに近づくの。私は弱弱しくそう言った。黒尾先輩が困った様に頭を掻いた。


「例えばさ、あかりちゃんのおにーさんがバレー部じゃなくてバスケ部だったら、あかりちゃんはバレー部のマネージャーやってくれてた?」
「…悩みますが、多分やってたと思います。リエーフ君も夜久先輩も私好きですし」
「あれ、俺は?」
「とおる…兄がバレーやってるから、私はバレーには近付きません。これ以上徹に何か言われるの本当にいや、です」

昔、一度だけ徹の大好きなバレーに興味を持って、岩泉さんに教わった事があった。ほんの少しだけバレーに触れて、ボールを触ってみて…その場面をうっかり徹にみられた事があって。…あの時の徹の目は、きっと一生忘れることは無いだろう。冷たいめを向けられた私はあの時、岩泉さんにボールを押し付けて家まで走って逃げた。目が、こわい。あの頃から、暴言を吐かれる事は幾度となくあった。でもあんな徹の目を見た事が無かったのだ。
もう、私はあれに近づこうとは思わない。
思わない、はずだけれど。



「ふーん」

そっか、じゃあ仕方ないか。
随分あっさりと黒尾先輩が引き下がった。その様子に私だけではなく、夜久先輩も吃驚していた。


「まずそっちから、だな」
「え?」
「こっちの話。あとさ、あかりちゃん苗字呼ばれるの嫌い?夜久があかりの事呼ぶ時」
「ん?俺?」
「おう、なんか少しだけ眉間に皺が寄るよな」

つん、と眉間を突かれる。私は言い淀む。
最近までは、それほど気にしていなかったけど夜久先輩が「及川」と呼ぶそれが苦手だった。違和感…いや罪悪感だ。「及川」は間違い無く徹の事を指していて。わたしは、本当は他人だから。


「…よし、方向性が決まった」
「?」
「一旦マネの件は諦める。んで夜久はあかりちゃんの事名前で呼べ」
「…よく、わからないけど善処する」
「あとそろそろリエーフの首放してやれ。死ぬぞ」

あ、忘れてた。と夜久先輩がリエーフ君の首を離す。「し、しぬかと思った…っ」リエーフ君が倒れ込んだ。そんな様子を気にする事も無く、黒尾先輩は「あかりちゃん、ちょっとケータイかして」と言う。首を傾げながら私は黒尾先輩に携帯電話を差し出した。
私より全然手慣れた腕で携帯電話を弄る。私は倒れ込んだリエーフ君を突いた。

「リエーフ君」
「あかり…」
「敵に回ったからだよ」
「もう黒尾さんの味方しない」
「じゃあ今度は助けてあげる」
「おいそこ、なんて会話してやがる。…よし、あかりちゃんあんがと」
「はい」

良く解らないけど手元に携帯電話が戻って来た。「個人情報ちょーっと拝借したけどきにすんな」黒尾先輩が何やら不穏な事を言った。

「じゃあ、また来るな。あかりちゃん」

黒尾先輩は私の頭をぽんぽんと撫で、行ってしまった。


「及か…じゃなくて、あかり」
「無理、しなくてもいいですよ」
「いや…大丈夫慣れるから。黒尾の事だけどさ、多分…いや絶対余計な事をするけどさ、お前の事を思っての事だからさ。あんまり嫌わないでやってくれよ」
「私が嫌いなのは、いじわるする黒尾先輩です」
「ははは。アイツも結構懐かれてんじゃん…。あかり」

照れたように夜久先輩が口を開く。「なんか女子の名前呼びって変に緊張するな」なんて笑う。

「俺もさ、あかりがマネやってくれたらいいな、って思ってるよ」

じゃあな。夜久先輩はそれだけ言って黒尾先輩の後を追ってしまった。廊下に残されるふらふらのリエーフ君と私。リエーフ君が口を開く。


「…何の話?」
「私にもよくわからない」

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