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2016/02/20
17:38

主人公
深冬花音



天才なんて嫌いだ。中学の頃どうしても乗り越えることが出来なかった牛島若利と、背後から迫る後輩、影山飛雄を見て俺はそう思った、思っていた。俺が奴らを追い抜こうと頑張ろうにも、アイツらはどんどん先を走っていく。追いつくことが出来ない、勝てるわけがない。それが中学の頃持っていた俺の劣等感。どうしようもなく弱い、俺の心。





天才なんて、だいきらいだ。





しかし、目の前のコイツを見てその劣等感が湧いてこないのは、一点の『それ』以外がまったくのなおざりになっているからだろう。




「花音、ほら起きてご飯食べて」

床一面に散らばる楽譜、部屋のど真ん中に鎮座する黒曜石のように輝くピアノ。その下に倒れている女の子。俺は彼女の身体を揺らす。花音は声も出さずに、ゆっくりと目を開け


「……おなか、すいた」
「だろうね。何日籠ってるのお前は」

春休み中、日数は多くは無いが学校に行かなくて済む期間だ。そりゃあやりたい放題だ。こいつは卒業式が終わった日から数日間、自室に閉じこもりっきりだった。御飯も食べずに、だ。俺は溜息を吐き花音を抱き上げる。あー…また軽くなってるよ。酷く細い身体、日に当たらないために白い肌、一歩間違えたら病人だ。ピアノの椅子に座らせて持ってきたサンドイッチを手渡す。受け取って数秒、サンドイッチを見つめてから花音はそれを口に運んだ。

「美味しい?」
「食べられればなんでもいい」

もしゃもしゃと食べる花音に苦笑する。ほんと、コイツは食べられればなんでもいいのだ。俺としては、もっと栄養価の高いものを食べさせたい。それこそ、折れそうな身体なのだ。肉でも食わせたいのだが、まぁ無理だろうな。いきなりそんなものを食べさせたら多分胃が吃驚するだろう。重いものを食べさせるとすぐ吐くから。

「ピアノ弾くのは良いけどさ、空腹で倒れるまでやらないでよ。花音の両親泣きついてきたんだから。『花音が部屋から全く出てこないしご飯も食べないし、話しかけても全然きいてくれない』って」
「…お母さんたち、部屋入ったの?」
「それすら気づいてないのお前」

困ったものだ。いつもお前の両親泣いてるんだから。反抗期、というわけではない。コイツの集中力はもはや病気なのだ。いや集中力ではなく遮断だ。花音は自分と音楽以外をシャットアウトしている。花音の世界には、音楽以外のものは不必要なのだ。花音は、そんなタイプの変人で天才だった。

こちらの世界へと繋ぎとめる糸が、俺だ。

花音の両親が話しかけても聞こえないくせに、俺の声は聞こえるのだという。聞こえるといっても、俺は何度も何度も話しかけて、時には大声を上げて漸く気付いてもらえるレベルなんだけど。

「花音は俺が居ないと生きていけないね」

勿論物理的な意味で、だ。花音に人間関係は不必要だ。俺なんかいなくても独りで生きていくだろう。コイツに生活能力があったらの話だけれど。
一度本気で見捨てようかと思った事があった。3日、5日、1週間…少しの間俺は花音を無視したことがあった。無視と言ってもただ放っておくだけだ。意図的に会おうとしなければこいつは学校では音楽室、家ではピアノしかない自室に篭るだけで。会わないなんて、簡単な事だった。
一週間と数日、花音が音楽室でぶっ倒れているところを夜の見回りの先生が発見し、栄養失調だ脱水症状だと病院に緊急搬送され暫く入院した。学校では給食時、俺が無理やり椅子に座らせ食べるのを見守り、家では俺が花音の部屋にご飯を持っていき食べさせていた。それがまったくなくなり、1週間飲まず食わずだったらしい。馬鹿じゃないのか。こいつはずっとピアノを弾いていたらしい。

「徹が居ないとご飯食べられないからね」

そう言って、再び花音はサンドイッチを頬張る。飯くらい独りで食えるようになれよ、と俺は笑う。本心じゃない。俺が居なくても生きられる花音は、花音じゃない。
依存などしない。深冬花音とはそういう人間だ。思うがままに、自分の世界を作り上げ、そしてその世界で独り生きる。そこに他者は必要ない。余計なものは必要ない。
きっと、俺は花音にとって余計なものだ。
必死になって俺は取り繕う、花音の世界に入り込もうと必死になる。依存しているのは俺だ。必死に繋ぎとめようとしている、惨めな男がいる。

「食べ終わったら、ピアノ弾いてよ」
「、じゃあ食べるのやめる」
「駄目に決まってるだろ」

ピアノは花音の世界だ。これを壊したら、どうなるだろうと考えたこともあった。馬鹿な考えだ。世界を壊したら花音が死んでしまう。

「相変わらず、綺麗な音だね」

他のすべての音が雑音だと思えるほどに、花音の奏でる音楽は美しいものだ。俺は知っていた。有名な音楽家からいろんな話が来ていることを、俺は知っていた。いつか、花音は俺から離れてしまうのだろう。閉鎖的な花音の世界が、いつか開けるだろう。



「花音が一人でも生きられるようにならないとね」
「……徹が私のお世話してくれるじゃない」
「ずっと一緒に居られるわけじゃないだろ?」


そう、いつか花音は俺を置いて行ってしまう。
天才は、いつだって俺を置き去りにするのだから。





◇◆◇



「――すごく、きれいな音だね!」

私の世界はここから始まった。
小さい頃に、なんとなく母がはじめさせたピアノ。楽しいと感じたことは無かった。鍵盤を、楽譜に書かれた通りに叩くだけ。私が奏でるのではない、ピアノが勝手に音楽を紡ぐだけ。
小学校の音楽室、早めに来てしまった移動教室。ピアノがあって、ただ無意識に掛けられた楽譜の曲を弾いた。それを、徹が聴いた。ただそれだけ。無邪気な一言、それだけで私の世界は出来上がってしまった。



「もう直ぐ高校生だよ、花音は俺と違う学校なんだからもっとしっかりして」

高校なんて行かなくていいんじゃないかと思う。しかも徹と違う学校で、何の意味があるのだろうか。「花音も子供じゃないんだからさ」と徹は呆れる。子供、私は子供だ。ただピアノを弾いていれば徹が私のもとへ来てくれる、それだけがわかるただの子供。

「学校で友達作って」

不必要

「一緒にご飯食べて」

不必要

「一緒に遊んでさ」

不必要

「彼氏を作ってさ」
「…」
「花音、人の話聞いてる?」
「うん」

聞いてる、徹の言う事は全部聞いてる。不必要、私の世界に徹以外不必要。ピアノだって、本当は要らない。でも、これがないと徹は私のところへ来てくれないから。私は鍵盤に指を這わせる。「ほんと、花音はピアノが好きだね」徹が苦笑した。ちがうよ、私はピアノなんて好きじゃない。

「徹は」
「うん?」
「徹は私のピアノ、すき?」
「うん、好きだよ」
「……そう」

私はきらいだよ。目を瞑り、心の中でそうつぶやいた。
徹が好きだから、私の嫌いなピアノを好いてくれているから、私はピアノを弾く。それ以外の理由は無い、必要ない。ピアノは、私の心臓だ。奏でないと、徹は来てくれない。徹が来てくれないなら、私は死んでしまう。

「ねぇねぇ、これドラマの主題歌だよね?俺のこの曲好き」
「弾く」

私は、いつまで生きていられる
音を奏でる




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馬鹿みたいにすれ違う天才少女と及川の話。
先にも言った通りミナちゃんですねこれ。サエが好きなミナちゃんですね。すきです。
花音の進学先は烏野。そこで出会ったスガ君あたりと仲良くなって、及川がやきもきすればいいと思う。


10万打で「ピアニストを目指す女の子の話」というリクを頂きまして、ちょっと違うけど音楽に関わるお話書きたいなぁ、なんて思ってました。私ができるのはピアノと金管楽器くらいですかね。どっちも中学時代の話ですが。何故かフルートが家にあります、あと調律ヤバいピアノが。ドとミで不協和音が出来上がるくらい調律あってないです(笑)今本棚になってます。
ギターやってみたかったんですけどね、教えてくれる人が…まぁ居たんですけど大学時代に。でもバイト忙しくてできませんでした。すごい後悔しています。ヴァイオリンとかも習いたかったです。でもコントラバスが好きです。リード楽器は論外です、音すら出ない。ファゴットかっこいいですよねファゴット。
クラシックはありきたりですが悲愴が大好きです。カノンとか。すごくありきたりですが。楽譜はあるけど多分もう弾けないかな。かなしいです。
やりたいが溢れると時間がなくてつらいです

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