臆病者の在り方
──どうして人は、偏見ばかりもつのだろう。
『ほんっと、ありえない!!私のせいじゃないのに!!なんでいつもこうなるわけ!?』
ダンッと勢いよくテーブルに着地したグラスから、少しばかりお酒がこぼれ落ちる。
しかしそんな事を気にする余裕もないくらい苛立っていると、目の前の男がジョッキ片手に大きく溜息を吐いた。
「……お前ね、別れる度に一々呼び出されて愚痴られる俺の身にもなってよ」
額当てと口布で顔の殆どを隠している怪しさ満点のこの男…はたけカカシという自身の名を各国に轟かせ、里の誉れだと言われる程の凄腕忍者なのは周知の事実だ。そして、数少ない私の同期でもある。
『なによカカシ!アンタ同類でしょ!?少しくらい付き合ってくれてもいいじゃない!!』
「いや、まぁ俺も振られたばっかだけどお前みたいに気にしてないから。……ってかさ、飲み過ぎじゃない?名前が酔うと後が大変なんだから……俺が。」
飄々とそんな事を言うカカシの顔は至っていつも通りで。もう何杯飲んでるかわからないというのに……相変わらずザルな奴め。
『……何よ、こんな時くらい別にいいでしょ?はぁ…また出会いから始めなきゃいけないなんてツライ……ねぇ、一般人で誰かいい人紹介し「だーから、いい加減気付きなさいよ」
「……その"一般人限定"で付き合ってるから、毎回同じ言葉で振られるんでしょ」
深く深くため息を吐き呆れ顔で言われた言葉に、反論もできず喉を詰まらせる。
……だってそんなこと、自分が一番わかってるから。
"お前の事は好きだけど…信用できねぇんだよ"
"忍って平気な顔して嘘つくよな"
"それに任務でそういう事すんだろ?"
"いやぁ……悪いけどやっぱねぇわ"
…………忍だから、くノ一だから。
色の任務もあれば人を騙す事だってザラにある。
けれどそれはあくまで"任務"だ。
私自身の意思ではないというのに。
『……ああもうっ!!むかつく!!
すいませーん!生ひとつ!』
このやるせない思いは全て酒と共に腹の中へ流し込んでしまえばいい。そう思いお酒を追加で注文していた時、カカシが呆れた表情から一転何か考えるような仕草を見せた。
「………あ、そういえば一人いたな。
名前のこと理解して大切にしてくれるヤツ」
『…は?本当!?ちょ、誰よ!紹介して!!』
まさかの発言に驚き、カカシの方に身を乗り出す。しかしニコニコ笑みを浮かべながら人差し指を自分へ向ける姿を見て一瞬にして気持ちが萎えた。
「…オレ『あーハイハイ。聞いた私がバカだったわ』
「いやいや、結構本気で言ってるのに流さないでよ」
『あのねぇ、アンタ自分の職業も忘れちゃったわけ?私と同じ忍でしょ、シ・ノ・ビ!!』
「いや、だからさっきも言ったけど忍の事を理解できる一般人なんて早々いないって。そこを諦めたらホラ、目の前に好条件な男がいるじゃないよ」
ニコリと微笑みながら尚も指を自身に向ける男に心底呆れた。
いつからか、軽くではあるがこうやって自分を売りつけてくるようになった。飲みの席での軽い口調で、掴みどころのない表情で。
その都度こちらも軽くあしらってこの手の話題をのらりくらりと躱してきたのに。
(なぁにが"結構本気"よ。軽いノリのくせして…)
それに付き合った女に対し情のかけらもなくさっさと次に行く男なんて、まっぴらごめんだ。
『私みたいな平々凡々を相手にしなくてもアンタなら選り取り見取りじゃない。あ〜…もうっ、この話は終わり!ほら、今日は最後まで付き合って!私が奢るから!』
「…まーた話を流す。ま、とりあえず今日はとことん付き合いますよ」
私に聞く気がないと悟った目の前の男は手元のビールを飲み干すと、それ以上この話題に触れる事はなくなった。
夜の静けさが漂う中ふらふらと夜道を歩く。
隣には私よりも飲んだというのに、顔色ひとつ変えないカカシがそこに居て。
『本当、偏見の塊よ…くノ一だからって諜報の為にホイホイ身体売るわけないのに…もうっ!』
「はいはい、分かったから。ちゃんと歩かないと転ぶよ?結構酔ってるでしょお前」
『だーいじょーぶよ!これくらいでー…ってうわッ!!』
酔うわけないじゃない。その言葉は足がもつれバランスを崩したせいで紡がれることはなく。
あー…このまま倒れるなぁなんて思っていたら腰回りに何かが巻きついた。
「ほーら、言わんこっちゃない」
頭上から降ってきた声に顔を上げると、呆れたような、困ったような表情と視線がぶつかる。
いつもなら並んで歩く距離。それが今は、支えられたことによって自然と近くなって。
『ちょっ、どこ触ってんのよヘンタイ!!』
「どこって、支えるのに腰触っただけじゃない。何敏感に反応して……あ、まさか俺のこと意識し『してない馬鹿!!』
そう…触れられたからって、少し距離が近くなったからって、カカシを意識するなんておかしな話だ。
顔に集まった熱も鼓動の音が少しだけ早まったのも、これは全部お酒のせい。
そんな事を思っていたら気付けば腰にあった腕が解かれ、カカシは両手をポケットの中に入れ歩き出していて。
先程と同じ距離に戻っていた事にホッと息をついていた時「ってか、さっきの話さ……」と言葉を溢した。
『?さっきの?』
「偏見って話。それを言うなら名前だってしてるじゃないって思ったんだけど」
『は?誰によ』
「俺に」
(……私が?カカシに対して?)
何を言ってるんだと隣の男を見上げれば、ジトっとした目で見返される。
「……俺のこと女タラシだとか、付き合った女に対して情のかけらも見せないとかどうせ思ってるんでしょ?」
『…………』
…………図星。
まさに先程飲み屋で思っていたことを言い当てられてしまい何も言えずにいると、カカシは更に話を続けた。
「一つ言っとくけど、俺言い寄られる事はあっても自分から言ったの、名前が初めてだからね。それに毎回付き合ってすぐ振られるのは大抵向こうが根を上げてのことだから」
『根を上げ……?どういうことよ?』
「俺好きなやついるし今後もソイツしか見れないけど、それでもいいなら付き合うよって」
好きなヤツ……?
そう疑問に思った時、カカシの右目が私を捉えた―――瞬間、何故か身体の芯が熱くなる感覚。
……いや、"何故か"なんて分かりきってる。
その瞳が全て物語っていたから。
―――ふわり、と風が吹いた。
火照った身体を冷ましてくれる心地いい風のはずなのに、全く熱は引いてくれない。
「……なんで忍がイヤなの?」
耐えきれず視線を逸らせば、聞かれたくない言葉が降ってきて。
『そりゃあ……色々よ、いろいろ』
少しの間を置いて伝えたものは、カカシの求める答えではなかっただろう。それでも、こんなこと言えるわけない。
……置いていかれる可能性が低いから、なんて。
要は自分の弱さが、そういう思考に走らせているわけでして。忍らしからぬ考えだと十分理解はしているけど、沢山の仲間たちの死を見てきたから。
みんな みんな
置いていってしまうから―――
「……置いていかれるのがこわい?」
(……なんで、)
なんでこの男は、こうも人の心を読み当てるのだろう。私が色々な想いを隠していても絶対に言い当ててくる。
「そりゃあ、ずっと名前の事見てたからね」
『うわ、また心の中を……っ!!』
「はは、お前が顔に出過ぎなのよ」
『………っ、なによ……』
本当にやめて欲しい。
ずっと見てた、なんてさらりと告げるその男に。
眉尻を下げて笑うその姿に、一瞬。
一瞬だけ息をするのを忘れてしまった。
しかしフッと憂いを帯びた表情に変わり、空を見上げて。
「……置いていく方と置いていかれる方、どっちがつらいんだろうねぇ……」
小さく呟かれた言葉は、空気の中に溶けて消えた。
(………わからない、そんなの。)
だって死んだことなんてないのだから。
でも私もカカシも、置いてかれるつらさは嫌と言うほど味わっている。
『……平和にさ、なったよね』
「………まぁ昔よりはね」
『でも……どうせ崩れる、から……』
「…………」
戦争を経験している私たちは、これが束の間の平和だと知っている。あんな紙切れ一枚の条約に何の効果もありはしない。少しの歪みが生まれれば、そこからいとも簡単に崩れ落ちていくのだ。
そしてまた争いが生まれ、血が流れ、人が死ぬ。
その時、自身の左手にカカシの右手が重なり、指と指を絡めるように握られる。その行為に少しだけ鼓動の音が早まりつつもいきなり何するの、と文句を言おうとしたが、先にカカシが口を割った。
「俺の手、あったかいでしょ」
『まぁ、あったかいけど……』
「名前もあったかい」
『……だからなに』
「生きてる証拠」
言い終えたと同時に握られている手に力が込められ、その言葉と手の温かさがじんわりと身体に浸透していく。
こうやって、触れ合える。温もりを感じられる。
―――生きてる、証。
それだけの事なのに何故か酷く安心して。
それでもやはり失う事への恐怖心を拭えずにいると、カカシは唯一出ている右目を真っ直ぐこちらに向けた。
いつになく真剣な、その表情。
「名前を失っても俺は生きていくよ。それでも今この瞬間は、お前や俺が生きている間は側にいたいと思う。それじゃダメ?」
『……泣いてもくれないわけ?』
「いや、泣くね。それはもう子どもも引くくらい泣くかもね。……それでも途中放棄なんてしない。ま、お前は俺が死なせないけど。そんで俺も……そんな簡単には死なない」
手を繋いでゆったりと歩きながらそう言ったカカシに、意を決して気になっていた事を問いかけた。
『……大体、なんで私なのよ』
「ん?寝れるから」
……………は?
『……っはぁ!?』
「あ、違う違うそういう意味じゃないから。ちゃんと最後まで話聞いて?その手に持ってる物騒なのしまって?」
先程の身体の芯が熱くなる感覚だとか心の温かさが一転し、思わず叫ぶ。しかし首を振りながら否定するので渋々手に持っているものをポーチに収めると、それを確認したカカシは一つ息を吐きどこか遠くを見つめた。
「……俺オビトとリンが死んだ時、あの時期結構スレてたでしょ?」
『ああ、暗部にいた頃ね』
「そう。その時俺、中々寝れなくて。寝たらあの2人が夢に出て来るから、寝たくなくて……」
そんな日々を送ってる中で、ある時私を見つけたのだとカカシは言った。
任務帰り、アカデミー近くを通りかかった時ベンチに座って昼寝をしている私を見たのだと。いくら里内とはいえ無用心過ぎないかと思い、気配も消さずに近付いて起こそうとしたらしい。それでも私は起きなくて。
「で、なんとなく隣に座ってたらね。びっくり」
『なにが?』
「気付いたら俺も寝てたの」
目覚めた時、それはもう心底驚いたと。まさか自分まであんな外で無防備に寝るなんて思っても見なかったと苦笑して。
そこからただの同期だった私に対して興味が湧き、少しずつ話す機会を増やしていったのだという。
確かに思い返せば、隣にカカシがいる事が多くなっていた気がする。同じ上忍になってからは待機所で他愛もない話をしたり、うたた寝をしている私の隣に座って本を読んでいたり。
でも私自身それを煩わしいだとか思わず、むしろ居心地良く感じていたから共に過ごす時間が増えても気付かずにいた。
「ホント、お前ってどこでも寝れるよね」
『……バカにしてるでしょ』
「してないって。……あ、けどもう少し危機感持たないと寝込み襲っちゃうよ?」
『!?お、襲……っヘンタイ!!』
「嘘うそ冗談。……まぁでも、
名前の隣は俺が唯一安心できる場所だから」
そう言葉を溢したカカシが足を止めた為顔を上げると、いつの間にか家に辿り着いていた。
繋がれた手は離されて、すっかり酔いも覚めてしまって。…でもさっきから、別の熱が身体中を支配してる。
「名前」
名を呼ばれ恐る恐る視線を向ければ、また真剣な瞳が私を捉えた。
『な、なによ……』
「いや、そろそろ本気でいこうかと思って」
言いながら、ゆっくりと近づいて来る銀色。
視界からその色が消えたと思ったら、頬が触れそうな距離にカカシがいて。
―――これから真剣に口説いてくから、覚悟して。
耳元で、低い声で吹き込まれた言葉。
「んじゃま、今日のところは帰るから。……おやすみ」
頭を撫で、スルリと離れていく手。
踵を返して去っていく後ろ姿を、ただぼぅっと見つめる。………否、その場から動く事ができなかった。
だってカカシは里の誉れだとか言われる凄腕忍者で、常に死の危険が伴う任務ばかりこなしてるような男だ。
それに、ただの同期で友達。
そんな男に恋愛感情を抱いてしまえば最後、二度とこの関係に戻る事は出来なくなってしまう。
……けれど、ドクドクと忙しなく動く心臓。
身体から未だ引かない熱。
『……はは、バカじゃないの、わたし……』
こんな風に意識して、
考えている時点で私は―――
(……それでも、今だけは……)
今だけは、この気持ちに気付かぬフリをしよう。
そう自分に言い聞かせて、もう小さくなった後ろ姿から視線を逸らした。
―――臆病者が落ちるのは、そう遠くない未来。
fin.