願い煙草

    


今日も任務を終え食事やお風呂を済ませると、一服する為ベランダへ足を運ぶ。サンダルを履き外に出た途端、ふわり、と爽やかな風が頬をかすめ思わず目を細めた。

先程まで湯船に浸かり温まった身体にはこれくらいの風が心地いい。

木ノ葉の夜景を眺めながら手に持っていた煙草を1本取り出し、二本の指で煙草を挟み口に咥えながら火をつける。そうしてゆっくり煙を吸い込み、また同じようにゆっくりと吐き出した。

煙草の先端に僅かに灯るオレンジと紫煙。
その先にある街灯りに目を向けるが、頭の中には別の映像が映し出されている。


――「2週間で戻る」――


淋しいからって浮気すんなよ?


千本を咥え口角を上げながら発せられたその言葉を聞いたのは、もう1ヶ月以上も前のこと。
ゆらゆらと立ち昇る紫煙の先を辿ると夜空に無数の星が輝いていたが、生憎それを綺麗だと思える心を今は持ち合わせていなくて。

『………………』

任務が長引く事なんてザラにある。
だからただ信じて、帰りを待っていればいい。
…………そう、思うのだけれど。

『……本当に浮気するわよ、バカ』

やはり不安なものは不安だ。こんな明日死ぬかも分からない世界で生きているのだから、尚更。

そんな事を考えていたら煙草が短くなり灯された火が指先に近くなってきた為、灰皿にそれを押しつける。そして2本目に手を伸ばすと箱の中には1本しか残っていない事に気づいた。

数日前この煙草の封を切った時"願掛け"をした、最後の1本。


"願い煙草"


一つ目に抜き取った煙草に願いを込め、それを逆さにして箱の中に戻す。そうして最後まで残したその1本を吸った時に願いが叶うのだと。


(……我ながら馬鹿なことしたわ……)


ただの迷信、ただのまじない。
こんな願掛け、意味なんてまるでない。
普段なら絶対こんなことはしない。


………それでも今は、こんなものにも縋りたくなる程に、私は。


その1本に火をつけ、先程のようにゆっくりと息を吐く。これを吸い終わった後願いが叶わなくても、このまま部屋に戻り冷えたベッドで一人眠るだけ。


"逢えなかった"という1日が、
増えるだけ―――……



その時、少し強めの風が吹いた。

反射的に目を瞑りさらわれた髪を押さえると、まるでその風に乗ってきたかのように隣に知った気配を感じて。


「悪ィ、遅くなった」


瞼を開け声が聞こえた方に視線を向けると最後に会った時同様、千本を咥え口角を上げた表情が目に映る。思わず二度瞬きをしてしまった。


……迷信もたまには悪くないかも。


自身のした"願いごと"が叶ったと実感し胸の奥が熱くなるのを感じながら、ベランダのへりから床へ着地した彼を見つめる。


『…玄関から来なさいよ、鍵持ってるでしょう』


………ああ、可愛くない。


『おかえり』だとか『怪我はない?』だとかもっと他に言うことはあるはずなのに、こんな言葉しかかけられない自分が、たまに心底嫌になる。

しかし付き合いの長い彼は、そんな私の言動を気にする事なく返事を返してくれた。


「仕方ねぇだろ、ここにいるの見つけちまったんだから」

『……任務は?』

「ああ、少し面倒事に巻き込まれたが…まぁ何とかなった」

『そう、よかった』


その"面倒事"のせいで長引いたけれど、それでも怪我を負うことなく任務を完遂出来たと。
それを聞いて安堵の溜息を漏らし、手に持っていた煙草を口に持っていく。


「相変わらずヘビースモーカーだな……お前がタバコ吸ってねぇとこ見たことねぇよ」

『ゲンマだって年中咥えてるじゃない、千本か楊枝』

「コレと一緒にすんなよ」


言いながら咥えていた千本をポーチにしまうと、再度彼の視線が落ちてきた。


「名前、俺にもくれ」

『?なによ、タバコなんて普段吸わないくせに』

「いーから」


珍しいこともあるな、そう思いながら指で挟んでいたそれを彼の方へ差し出した。
瞬間、手を少し強めの力で引き寄せられ、その拍子に煙草が手から滑り落ちる。



―――………そうして、重なる唇。



突然の事に抗議しようと開いた唇の隙間に舌先が入り込んできて、それがいやらしく絡みついて口内を這い回る。

1ヶ月以上していなかったそのキスは彼との情事を思い起こさせるには十分なもので。
身体の芯が熱くなりだした時、彼が漸く唇を離し二人の間に銀の糸が伝う。


「ごちそーさん」


ペロリと唇を舐め妖艶な笑みを浮かべる彼を見た途端、カァッと顔が熱くなるのを感じた。


『………っ、煙草って言ってたじゃない』

「お約束ってヤツだ」

『最後の一本だったのに』

「また買えばいーじゃねぇか……それに、」


片腕で私の身体を抱き寄せ、もう片方の手がスルリ、と太腿を撫でた。その手の感触は布越しではなく、直接素肌に感じて。


『ちょ……っ「こんな格好してたら……なぁ?欲情すんなって方が無理だろ」


確かにそう言われても仕方のない格好をしている。何故なら今の私はTシャツ一枚着ているだけで、下は下着だけの姿なのだから。

………しかもこのTシャツは、彼がこの家に置いていった彼のもの。


「素直じゃねー割にこんな事されちまったら流石に俺も我慢が効かねぇからよ。…なぁ名前、」


このままここですんのと大人しくベッドですんの、どっちがいい?


耳元で、低く囁かれた言葉。

その間も二本の腕は私の中にある熱が冷めないよう、スルスルと太腿や背中を這っていて。久しぶりに感じる彼の肌や体温に内に灯った情欲が消えることなどあるわけがない。


彼の首に腕を回し素直に言葉を溢せば、近くでクク、と喉を鳴らすような笑い声が聞こえそのままふわり、と抱きかかえられる。


ベランダの扉を開け部屋の中へと足を進める彼の横顔を見ると、やけに機嫌が良く余裕を感じさせるもので。少しその表情を崩してやりたくなった。


『ねぇ、』

「あ?ンだよ」


………今日は一晩中離さないで

耳元に顔を寄せ、吐息と共に想いを吹き込む。
ゲンマは二、三度瞬きをして、ふい、と顔を背けた。


「………っ、お前なぁ……」

『…そうやって変なところで初心なゲンマが好きよ、私』


少しだけ耳が赤くなっている事に気づいて彼の余裕な表情を崩せたことに満足していると、深い溜息を漏らし背けていた顔をこちらに向けた。


……やはりその頬も、ほんのり赤く染まっている。


「あーそうかよ。言っとくが泣き言は聞かねぇからな。煽ったのはお前だ、責任取れよ」

『ゲンマに抱かれて死ねるなら本望よ』

「俺もお前の谷間に埋もれて死ねるなら本望だな」

『ヘンタイ』

「お互い様だろ」


ベッドにゆっくりと降ろされ覆い被さってきた彼を見上げれば、欲に濡れた瞳と視線が交わる。

その時、ふと言っていなかった言葉を思い出した。


『……ひとつ言い忘れてたわ』

「……?なんだよ」

『おかえり、ゲンマ』


目を丸くさせた後、フッと笑みを浮かべゆっくりと顔が近づいてくる。


ああ……ただいま


鼻先が触れるくらいの距離で囁かれた言葉を受け止め、彼の首に腕を回しそっと瞼を閉じた。


fin



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