掌に拍動



 
 変化というものは、誰しも少なからず不安や恐れを抱く。環境や人間関係、長い時間をかけて築いてきたものなら尚更。
 …そしてそれは、俺自身にも当てはまる。

 
 
「ゲンマくんっ!」

 昼下がり、仕事も一段落してメシでも行くかと待機所を出た時、不意に呼ばれた名前。振り向けば口元を綻ばせた名前が駆け寄ってきて、思わず額を小突いてやった。

「痛っ!なんでいきなりおでこ叩くの!?」
「お前が何度言っても聞きゃしねーからだろーが。…いい加減その呼び方やめろっての」
「そんなの無理だよ、小さいころからずっとそう呼んでるんだから」

 額を抑えながらいつもと同じ文句を言われ、内心溜息を吐く。家も隣で親同士も仲がいい、所謂『幼馴染』って間柄のコイツの言い分も分からなくはねぇ。ただ、いい歳した大の男が"くん"なんて呼ばれるのはおかしいだろう。
 …まぁそれ以外にも理由はあるが。

 
(流石にそっちの理由は言えねぇけどな)

 
 名前にとって俺は『男』である前に『幼馴染』。その関係性が少しでも変わるなら、名前の意識が少しでも変わるならと…そんな、邪な理由があるなんてことは。
 厄介な想いを抱えつつも表情には出さず、尚も悪態を吐いている名前に視線を戻して本題に移った。

「で、なんだよ」
「あ…っそうそう!えっとね、今度一緒に行ってほしい場所があって…」
「行ってほしい場所?」
「うん、コレ!」

 そう言って出された一枚のチラシ。内容を見てみると最近新しく出来た甘味処。そして、いかにも名前が好きそうな抹茶や餡子をふんだんに使ったパフェの写真が掲載されていた。
 ただ単に店に連れてけって話ならいいが…問題はその下に書いてある文章だった。

「…おい名前」
「なに?」
「お前これ"カップル限定"って書いてあるじゃねーか」
「うん、書いてあるね」
「いや…うんってお前」
「だからね、フリでいいから付き合ってほしくて!」
「…」

目を輝かせながらチラシを見せてくる名前に、今日1番の溜息が漏れた。


「……断る」

 
 いつもよりも若干低い声でハッキリと告げる。何が悲しくて恋人のフリなんてしなきゃなんねーんだ。フリじゃ意味ねぇんだよ、フリじゃ。
 だが名前には微塵も伝わってねぇらしく、不満げな顔をして此方に詰め寄ってきた。

「なんで!?一緒に行こうよ!ゲンマくんも甘いもの好きでしょ?」
「パフェは甘すぎて論外だ。それにわざわざ嘘ついてまで行く必要ねーだろ」
「あるよ!!だって期間限定だよ!?限定ってね、この時しか食べれないって事だよ!?それにほら、これ来週までなんだって!来週ゲンマくん休みなんでしょ?」
「…あ?なんでお前が俺の休みを知ってんだよ」
「ライドウさんが教えてくれたの!」

(…なるほど、アイツの差金か)

 後で事の経緯をぜってぇ問いただしてやる…そう思い「兎に角ぜってぇ行かねーからな」と釘を刺すと、名前が眉尻を下げながら呟いた。

「そっか…そんなに嫌なら仕方ないね」
「ああ。別に違うことならいくらでも――」
「じゃあライドウさんと一緒に行ってくる」

 ――……は?

「…ちょっと待て、なんでライドウと行くって結論になんだよ」
「ライドウさんが"もしゲンマが嫌だって言ったら俺が行ってやるから"って言ってくれたの。…ちょっとライドウさんとって緊張しちゃうけど」
「なら行くのを止めりゃいい話だろ」
「だってどうしてもコレ食べたいんだもん」

 そう言って俯く名前に心が揺らぐ。彼氏のフリをすることに抵抗はあるし、そんなモン微塵もやりたくねぇ…が、その役目が別の誰かに移るのは許せねぇ。
 
「あーあー分ぁかったよ。ついてってやるよ仕方ねぇから」
「…え!?ほんと!?」

 悩むこと数秒。結局ライドウ他のヤツが名前の彼氏のフリをしているのを想像しただけで嫉妬心に駆られちまい、渋々了承した。俺の言葉を聞いた名前は途端に明るい表情になり「じゃあ当日ね!」と手を振りながらこの場を離れていく。
 その後ろ姿を見送りながら銜えていた千本を手に持ち直し、溜め息と共に言葉も吐き出した。
 
「…で、どういうつもりだライドウ」
「なんだ、バレてたか」
 
 ろくに気配も消さねぇでなにが「バレてた」だ。そう悪態を吐くと、意地の悪ィ笑みを浮かべながらライドウが姿を現した。
 
「礼ならいらねぇぞ?」
「言うかよ。っつか、お前いつ名前とそんな話してたんだ」
「そんなもん、いつだっていいだろ」

 言いながら歩き出したライドウの後を追うと、昼飯を食う店を探しながら言葉を続ける。
 
「チャンスだろ、どう考えても」
「なにがだよ」
「お前と名前ちゃんの関係を変えるいいキッカケだよ…名前の呼び方を変えようなんてちっせぇことよりはな」
「…うるせぇよ」

 なんでもお見通しだと言わんばかりの表情をする横の男に腹が立ったが、コイツの言う事に反論も出来ず口を噤む。
 
 好きだと一言伝えたら変わる関係。
 
 だがそれを行動に移せねぇのは、俺自身築いてきたモノが一瞬で崩れることを恐れているからで。

 (でもまぁ…ライドウの言う通りいいキッカケになるか)

 遠回しに、少しずつ。そんな事じゃいつまで経っても名前に伝わらねぇと、もう十分思い知った。

 ――だから。

(…そろそろ行動に移すか)

 そう心に決め、隣で「骨は拾ってやるからな」と笑う同僚をジロリと睨むと、千本を銜え直し歩を進めた。





***

 



 
 変わらないモノはあると、そう信じてやまなかった。




「うう〜…どうしよう」
「…おい、いつまで悩んでんだよ」
 
 先日なんとか彼と約束を取り付け、今居るのは新しく出来た甘味処。そしてお店について席に案内され、メニュー表を見つめること早5分。
 念願の『カップル限定パフェ』を食べられることになったのはいいけど、ここにきて二種類用意されている事を知り中々決められずにいた。

「お前、抹茶と餡子が好きだろ。そっちでいーじゃねーか」
「そうだけど、でもこっちの苺とチョコも捨てがたいんだよ〜…」

 どちらも期間限定、どちらも今日まで。
 そう思ったら、どっちも食べたいと思うのは世の女の子ならわかるはず。
 でもゲンマくんには全然伝わらないみたいで、いつも以上に眉間に皺を寄せながら溜息を吐いた後、まだ私が決めていないのに店員さんを呼んでしまった。

「ちょ…っゲンマくんなんで呼んじゃうの!?」
「いつまで経っても決まりそうにねーからだ」

 そうこうしている内に目の前に店員さんが来てしまい、決めなきゃいけない状況に追い込まれる。

(ゲンマくんの言う通り抹茶は私が好きな味だし、最初はこっちにしようと思ってたから…)

 期間限定のパフェだから苺の方も食べてみたかったけど、仕方ない──そう思い、顔を上げ注文をしようとした時。
 
「これと…俺はこっちで」
「…え?」

 彼がメニュー表を指さしながら注文をしたもの──それは、私が迷っていたもう一つのパフェ。

「なんでそれ選んだの?パフェは甘すぎるから論外って…」
「目の前であんな悩まれりゃあな。どっちも食いて―んなら分けりゃいいだろ」

 そう言って、顔を上げることなくメニュー表をぱらぱらと捲りながら答える彼。気を遣ってくれた嬉しさから「ありがとう」とお礼を伝え、念願のパフェがやっと味わえる…!と心待ちにしていた時、ふと気付いたことがあり彼をじっと見つめた。
 
「ねぇ、ゲンマくん」
「…?なんだよ」
「そういえば今日私服なんだね。いつもみたいに忍服で来ると思ってたから、びっくりしちゃった」

 今目の前に座っている彼は、いつもの忍服や額当てを纏っていなくて。普段あまり見ることの出来ない私服姿。
 休みの日でも常に忍服を着ていた彼に、以前不思議に思って聞いたら「休みでも呼び出されることもあるからな」と答えてくれた時の記憶が脳裏によぎる。
 
 すると彼は、少しの間を置いて。

「ああー…まぁ、あれだ…今日はお前の"コイビト"として振る舞わなきゃなんねーだろ」

 だから特別な、と。
 銜えた千本をゆらゆら揺らしながら。視線を逸らして、小さく呟かれた言葉。思っていなかった返答に思わず笑みが零れてしまった。

「…なぁに笑ってんだよ」
「ふふ…っ、ゲンマくんって変なとこ律儀だよね」
「"変"は余計だ。んな失礼なこと言うヤツにはもうパフェやんねーぞ」
「え…っうそうそ、嘘です!ごめんなさい!!」

二つのパフェを堪能する機会がなくなる…!その思いで必死に平謝りする私にゲンマくんは、必死すぎだろ、と喉奥を鳴らすように笑った。
 


 
 それから席に運ばれてきたパフェを二人で食べて。「甘ぇ」とか「デカすぎだろ…」と呟く彼を差し置き心ゆくまで堪能して、お店を出る。

 外は二月半ばということもあり、まだ気温も低く、触れる空気も冷たい。

「お店の中はあったかかったけど、やっぱり外はまだ寒いねぇ」

 そう言って吹く風の冷たさに首をすくめていた時、隣から小さな溜息と共に名を呼ばれて顔を上げた。

「どうし─…わぶっ!」
「寒ィって分かってんなら、もっと厚着してこいバカ」

 何かが私の首にぐるぐると巻きつけられていく。更には顔半分覆うぐらいに。感じていた寒さが和らいで、首元がぬくぬくと温かくなる。
 ───それは、さっきまでゲンマくんが身に着けていたマフラーだった。

「あったかい…けどいいよ!ゲンマくん寒いの苦手でしょ!」
「お前に風邪ひかれるよりマシだ」

 ほら、とっとと行くぞ。と先に歩き出す彼の後を追うように、小走りで駆け寄り隣に並んで歩く。少しだけ見上げて彼の横顔を盗み見ると、寒さのせいか吐く息は微かに白く、鼻先が少しだけ赤くなっている。

(ほんとは寒いの、苦手なはずなのに…)
 
 昔から、彼はそうだった。
 一見言葉や態度が横暴に見えるから分かりづらいけど、いつだってその中には優しさが隠れている。そんな、いつまでも変わらない彼に胸の奥までほっこり温まりながら、そういえば…と思い再度顔を上げた。

「ゲンマくん、何か欲しいものない?」
「あ?なんでだよ」
「今日付き合ってくれたお礼」

 本当は恋人のフリなんてしたくなかったのに付き合ってくれて。食べたくないって言ってたのにパフェも頼んでくれた彼に、少しでも。
 
「あ、チョコは?そういえば今日バレンタインだし!」

 色々なお店が連なる中を歩いていた時、目に映ったのはチョコレートの広告。一年に一度、女の子がチョコを持って好きな人に想いを伝える日だ。
 私はまだそんな風に想える相手に出会った事はないけど、日頃の感謝を込めてゲンマくんに渡すのもありかもしれない。そう思ってお店を覗こうと駆け出した時。

「わ…っ!」

 小さな段差に躓き、揺れる視界。転びそうになって咄嗟に手を前に持っていこうとしたけど、それと同時に腕が後ろに引かれ、傾いていた身体の重心も元に戻る。
 
「相変わらずそそっかしいな、お前は」
「あ…ありがとうゲンマくん」

 転ばずに済んでホッと息を吐き、再度歩き出そうとした──けど、私の腕を掴んだまま歩き出さない彼を不思議に思って振り返る。
 そこには、いつもより真剣な表情をしているゲンマくんの姿。

「チョコはいい。甘いモンはさっき食ったしな」
「え?ん〜…じゃあ、他に何か欲しいものある?」
「別に礼なんかいらねーよ。…そのかわり」

 私の腕を掴んでいた彼の手が徐々に下がっていく。そうして次に感じたのは、自身の左手が包み込まれる感触。
 
「帰るまでこのままな」

 そう言って、彼は私の左手を握りながら再度歩き出した。
 
 ……なんで、とか。どうして、とか。
 色々と疑問が頭に浮かぶ中、一つ心に思うのは。
 
(ゲンマくんって、こんなに手が大きかったんだ)
 
 小さい頃手を繋いで歩いた事はあった。
 でもその時とはまるで違う、私の左手をすっぽり覆うように繋がれた手に、意識がそちらにばかりいってしまう。
 
「おい、下向いて歩いてっとあぶねーぞ」 
「…うん」

 そう言われても中々顔を上げられずに歩いていると、頭上からくつくつと小さな笑い声が聞こえた。

「なんだ、ちったぁ意識するようになったか?」
「な、なにそれ…」
「俺は幼なじみの前に"男"だってことをだよ」
 
(意識って…そんなの…)
 
 
 いつか友達が言っていた。「男女間で友情なんて成立しないよ」って。
 でも私は絶対あると思っていた。
 だってゲンマくんは小さい頃からずっと一緒で、まるでお兄ちゃんみたいな存在で。その関係はずっとずっと変わらないと、そう信じて止まなかったから。

 何故だか急に恥ずかしくなって、彼から隠れるようにマフラーに顔をうずめる。…するとふわりと香る、彼の匂い。
 ぶわっと体中の熱が一気に上がった気がして、思わず繋いでいた手をぶんぶんと振り回す。急にそんなことをしたから案の定ゲンマくんは「うおっ」と驚いた声を上げて…でも、繋いだ手は離さないままで。
 
「暴れんなっての」
 
 そう言って、ゲンマくんは自分のコートのポケットに繋いでいた手をいれた。
 
「なっ、なんで入れるの!もう離せばいいじゃん!」
「この方が温まるからいいじゃねーか。…それに言ったろ、」
 
 帰るまでこのままな、と銜えた千本を揺らして笑うその表情は昔から知っているはずなのに。
 何故かひどく心をざわつかせて、それは帰っている間治まることはなかった。
 

fin.
(2023.2.19)



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久しぶりに書いたら、もうなんだかわけわかんない感じになってしまいました。。
本当はバレンタインに間に合わせたかったのですが、思うように書けず時間がかかってしまい汗

こちらは相互サイト「panorama」の優子様より頂いたリクエスト夢になります。
友達であるゲンマさんに「少しは意識しろよ」と口説かれるお話が読みたい!とのことで。

なんだかまとまりのないお話になってしまいましたが、今の私にはこれが限界。。
でも優子様への愛はたっぷり込めました…っ!お気に召して頂けたら幸いです。



 
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