35君を忘れた世界で
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――――あれから、更に月日が流れた。
夏独特の焼けつくような暑さはなくなり、変わりに初秋の少し冷たい風が開けた窓から部屋の中に流れ込んだ。
名前は幸い後遺症もなく、今では身体もだいぶ動かせるようになったみたいでよく散歩に出かけたりしている。
綱手様はそんな名前を見て「医療現場でこんな事言うのもなんだが…奇跡だな」と呟いた。
後遺症が見られなかった事、そして喉の焼け爛れた痕も完治し声も普通に出せるようになった事は、本来なら考えられないと綱手様は驚いていた。
そしてそんな奇跡的な事は、それだけじゃ止まらなかった。
名前はあの日以降、心の"コエ"を聴く力も感情が目に見える事もなくなった。
それを聞いて俺は心底驚いたが、名前から"ある夢の話"を聞いて納得した。
――――――――・・・・
『……眠ってる間、夢を見たんです。その時男の人が出てきて、"全部持ってってやる"って言われたんです。』
――――――――・・・・
その男の人が誰なのか分からないけど、きっと彼のおかげなんです。
そう言って、彼女はふわりと微笑んだ。
…名前は、蓮の事だけ忘れたままだった。
そして…あの日攫われた事も。
「…なーにが"名前自身に興味はない"だよ」
手に持っているパスケースを見つめ、こちらに笑顔を向ける男に対して呟く。
…名前に必要な記憶だけ残して、自分に関わる記憶だけ抜き取って。
これから名前が生きやすいように、その力を全て一緒に持っていくなんて。
「…俺の方がムカつくよ、お前に。」
だから一つだけ…お前の思うようにはさせてやらない。
"俺との写真持ってるだろ?それ捨てといてくれ"
「…名前が自力で思い出した時に、これは必要だからな。」
そう呟くと、そっと机の引き出しにそれをしまった。
そしてあの時、最後に蓮が紡いだ言葉を思い出す。
俺の耳に届く事のなかった言葉。
…でも写輪眼で口の動きだけで分かった言葉。
――"アンタになら、任せてもいいかな"――
「…お前の分まで、一生かけて守ってやるよ」
玄関の扉を開け、彼女を迎えに行く為ある場所へと向かった。