えふえふ | ナノ



世界のひと欠片

※クジャ女体化



強い力を持って産まれた、選ばれた者だなんて建前だ。本当は優秀な種を産む為に作られた存在にすぎない。
夜な夜な欠かさず強制される行為に彼女は1人涙を流した。
服なんて着せてもらったことはないが、羞恥心はある。傷つきボロボロな体を抱きしめながら近くにあった布を拾い上げて体に巻き付ける。
今日も月が綺麗だ。夜空に広がる星はまるで涙のように輝く。1人空を見上げながらも腫れた赤い目を擦り、鼻をすする。
辛い、なんて口にしたところで誰も助けてはくれない。強くなると決めたのだ。誰よりも強くなって、見返してやろうと。こんな使い捨ての道具のような扱いをされなくなるよう、1人で生きようと月に誓った。
毎晩好きでもない、憎い相手たちを愛情のない行為をさせられ、子供を産まされる。
元々妊娠しやすい体質で作られたのは、量産する機械としての証。子供でも大人でも、優れたジェノムの雄が出来ると性交をさせられた。もう何人の相手をしたかもわからないし、快感はない。ただ体と心の痛みに咽び泣き耐えるだけの毎日となっていた。
元より細く体力のないクジャでは満足に出産もできない。無駄に終わることも多く、その度に何度も嘔吐した。今回も朦朧とした意識の中、産まれるはずだった肉塊を涙越しに見ていた。

もうこんな不毛な毎日から逃げ出したかった。それでも逃げる場所もなければ行く当てもない。首についた輪に縛られ、昼は涙を流しながら痛みに耐える日々。それでも作り主のガーランドの命令は絶対だった。心のないうつろな人形たちも逆らわずに淡々と作業をこなすだけ。
そんな中、1人の心をもったジェノムが作られた。金色の髪をもつ、一回り近く小さな少年。周囲を見回しながら部屋にやってくると、真っ直ぐと緑色の目で見つめてきた。
今夜からのお相手はこの少年らしい。億劫で光のない目で睨みつけると、怖じ気づく仕草をした。
いつも、1人ずつのこの部屋に連れてこられると、しばらくして行為に及ぶ。奴らはこの体を好き勝手に扱う。それでも抵抗する力も残っていないし、食料も必要最低限で体力もない。膝を抱えて涙と痛みに耐えていると、ゆっくりと近づいてくる靴音が聞こえてきた。体を震わせて膝を強く抱き寄せると、むき出しの細く白い肩を叩く。

「泣いてる、のか?」

初めて聞いた優しい声に、ゆっくりと泣き腫らした顔を上げる。そこには困った表情の少年が立っていた。

「その……服、着ないのか?」
「着た事もないよ」
「お前の事、好きにしていいって言われたけどさ。とりあえず、まぁ、お前の事教えてくれよ」

こんな人間のような相手は初めてだった。女性の裸体を見て恥ずかしそうに顔を逸らし赤らめる姿が異端に見えるほど。
短い上着を肩からかけ、少し離れた所に腰を下ろす。一部始終を目で追っていると、視線に照れて頬をかきだした。

「俺はジタン。お前は……」
「何、が」
「名前。教えてくれないのか?」

そんなことを言われても困る。名前なんて呼ばれた事もなければ、人として扱われたこともない。いつも番号で呼ばれ、物のように扱われた。
ゆっくりとした動作で首を振れば、意図に気がついたらしい。申し訳なさそうに尻尾を垂らすと首をひねる。

「確か……クジャって言ってたっけ」
「くじゃ?」
「あの爺さんがお前の事をそう言ってた気がする」

荒れた髪を撫でながら彼は優しく小鳥のように囁いてくれる。心地のよい音色だが、警戒心が薄れるわけはない。
生まれてからずっと自分以外の全てを憎んできた。触れる物全てを妬んできた。誰も信じない。いつか見返してやる。それでも痛む体は素直に助けを求めていた。音も立てずに溢れ出す涙に、驚いたのは彼女だ。

「辛かったよな……こんなに痩せて、汚れて……」

抱きしめてくる彼の腕を受け入れたくても体が拒絶する。男が触れるだけで怖気が走り、胃が裏返る思いだ。口から胃酸が溢れ出し、床を汚す。慌てた彼に罪がないのはわかっている。だが睨みつけるのをやめられない。
それでも体は空虚に悦んでいた。触れられるだけ疑似の快感を得ようとするほどに、この歪んだ環境に馴染んでいた。馴染まなければ壊れてしまう。その一心の防衛本能にすぎない。

「ごめんな、そんなつもりじゃなかったんだ」
「ボクには二度と触れないことだ」

触れられた場所がこんなにも熱い。こんなにも意識をしてしまう。肩を抱きしめて熱い息を吐き出すと同時に嫌悪感がわき上がる。
座る事もせずに忙しなく右往左往と歩き回る彼が気になって仕方ない。座るように促しても聞く耳も持たずに腕を組んで、尻尾を荒々しく振っている。

「風呂はあるのか?」
「風呂?」
「ええっと、体はいつもどこで綺麗にしてるんだ……?」
「気がついたら綺麗になってる」

「そっか」と困った返事。風呂というものは知らないが、大事なものなのかも知れない。一緒に探そうと立ち上がると、肩から上着がずれ落ちてまた裸体が晒される。
体は病的に白く、まるで消え行く雪のよう。皮だけと疑ってしまう細いからだには肋すら浮かんでおり、手首には青い痣が腕輪のように残っている。抵抗した際に無理矢理抑え込まれて手錠をかけられたこともある、その名残だ。
体は細いが胸は大きく垂れ下がっているのがアンバランスで不安を駆られてしまう。足も立っているのがやっとで、小刻みに震える。
痛々しい姿に眉を寄せる彼だが、クジャにはその意味がわからなかった。視線を煩わしそうに眉を寄せながらも小首を傾げる。
突然距離を詰められて思わず後ずさるが、後ろは壁である。あっという間に目と鼻の先にやってくると、軽々と抱き上げられて思わず足で顎を蹴り上げた。体が柔らかいのは自慢である。
これはほとんど反射だ。悪気はないが、罪悪感はわき上がる。心配になって恐る恐る見上げると、涙目になりながらも必死に笑顔を作る彼が見え、痛ましく思えた。

「驚かせたな。すぐ降ろすから」

決して手は肌を撫で回したり性的な感情を生み出す不快なことはしない。自己を守る為に体を丸くしながらも、今度は嘔吐感がこなかった。
優しくベッドに降ろすとまた上着が腹にかけられる。もしかして抱かれるのだろうか、一抹の不安を抱えながら上目遣いで見守っていると振り返ることなく扉へと向かっていった。

「どこに、行くの?」
「先に飯だ。探してくる」
「いつも決まった時間にしか運ばれてこないよ」
「なら盗ってくるまでだ」

いたずらっ子のように笑い彼は闇の中へ駆け出していった。
この部屋からは出た事がない。扉の向こうからやってくるのは心をもたない人形ばかりで、扉が開くことは絶望の始まりを意味していた。
彼はどこまで行ったのだろうか、帰ってくるのだろうか。見えなくなった彼を思い、気持ちが急いていた。
初めて、あの扉が開く瞬間を待ちわびていた。決して他意はない。彼がいれば、当分は無理強いをする人形はやってこないという自己防衛本能だ。
もらった上着を抱きしめて、彼女は丸くなる。ああ、温かい。体から匂う他人の香りに、頭がクラクラするのがわかる。そのまま崩れるようにベッドへと倒れ込み、意識を失った。

目が覚めた時、真っ先に見たのは金色の尻尾だった。閉め切られた窓からは一寸の光すら入らない。変わりに目の前には眩いばかりの光。目を細めて上体を起こすと、ゆっくり笑顔が振り返った。

「おはよう。よく眠れたかい?」

返事は出来なかった。目を擦りながら周囲を見回したが何も変化はない。

「おは、よう?」
「朝起きた時の挨拶だよ。今日も一日よろしくなって」

上着越しに体を撫でられ、体が強ばった。悪意も他意もないことはわかっている。わかってはいるが、体が彼を拒絶する。せめて、払いのけそうになる手は抑えて唇を引き結べば、困った表情で痛々しく笑う。

「とりあえず飯にするか」

膨らんだ彼の懐から出てきたのは、大量の果実だった。手には肉や飲みものといった様々なものが飛び出してくる。今までドロドロに溶けた離乳食のような液状なものしか口にした事はない。このような色とりどりで異様な形をしたものを初めて見た。

「これ、食べ物?」
「そうだ。もしかして初めてか?」

素直に頷けば悲しそうな顔が見えた。もしかして同情されているのだろうか。下手な同情をされるくらいなら見なかったフリのほうがありがたい。眉を寄せながら手を伸ばせば、また静止がかかった。

「食べさせてやるよ。汚れるだろ」

器用にナイフで赤い果実の皮を剥くと、黄色い部分を口元へ差し出した。しかしどうやればいいかなんてわからない。これが本当に食物なのかも疑わしい。
なかなか口を開かないクジャに困った顔をしつつ、ジタンは更に小さく切り分ける。そして自らの口に含むと「体に害はない」と行動で示してくる。
シャクシャク、と新鮮な音が聞こえて喉がなる。物欲しそうな目をしていると、言いにくそうに口が開かれた。

「キス、は嫌だよな」
「嫌だよ」
「じゃあ口開けろ。入れてやる」

差し出された黄色い身を、怖ず怖ず舌に乗せて口の中へと誘い込む。感じる甘みに、驚いて歯を立てると水水しい果汁が口いっぱいに広がった。こんなに美味しいものがあるなんて知らなかった。
「どうだ、うまいか?」と問う彼はちゃっかりと1つ平らげていた。一心不乱に首を縦に振り次に手を伸ばすと、気がついた彼がまた口へと放り込んでくれる。まだかと口を開けて待っていると、楽しそうに笑いながら「餌付けみてぇ」と言う。餌付けと言われるのは心外だが、文句は後で言う事にしよう。初めてのまともな食事に、体が驚き喜んでいた。
野菜は味気がないが生でサラダを作ってくれ、肉や魚は部屋の中で焼き始める始末。「もし小火が起きたら、逃げる口実にもなるんじゃねえ?」といい加減な事を言うが、賛同してしまった。
ここから逃げても行く当てはないが、逃げてしまいたかった。
満腹感というものを得ると、また眠くなってきた。微睡み凭れ掛かる所を探して、慈愛に満ちた表情で見つめてくる彼と目があった。
咄嗟に手を伸ばそうとした。が、出来なかった。やっぱり男は怖い、他人は嫌いだ。申し訳ない表情で手を引き、体は逆の方向へと傾けると冷たく固いベッドへ触れる。

「怖いなら仕方ないさ。ゆっくりおやすみ、お姫様」

おやすみ、というのは眠るときの労いの言葉だというのはわかった。柔らかくないが、せめてシーツの上へと行きたいと思ったが睡魔が邪魔をする。
すぐさま襲ってくる浮遊感に、耳元で何かを囁かれたという嫌悪感。温かいものに抱き上げられ、優しく目的地へと降ろされたと理解する前に夢の中へと旅立っていた。
彼からの命令は、寝食をずっと彼女と共にして子を多く成せとのことだった。
特にジタンは繁殖力が強く、優位な子供を生む為に作られた種馬だった。そんなことを言われても嫌がる彼女を抱くなんてできない。性に対する関心は人一倍強くとも、夜な夜な月を見ては静かに涙を流す彼女に手なんて出せない。
寝ぼけたフリをして背中から抱きしめると、嗚咽が聞こえてきて心が痛んだ。
目的が達成されないとなれば、勿論ガーランドはいい顔をしない。
もともと感情を露わにしない変な老人だったが、はっきりと浮かんだ眉間の皺は不機嫌を表していた。

「何故繁殖行為をしない」
「好きにしていいって言われた。それだけさ」
「アレはお前たちの感情を高ぶらせるホルモンが出るようにしている。抗えたというのか」
「……そいうことかよ」

淡々と告げる声に苦虫を噛み潰した表情になる。
この老人は彼女の事は子供を作るためだけの道具としか見ていないことはわかっていた。チューブだらけの部屋に、シェルターのような機械の中で眠る兄弟たちを見て、眉をひそめた。

「お前は特に雌に対する感心が強いはずだ」
「そうだけど」
「ならば早く本能に従え」
「……わかったよ」

言いたい事だけ言い終わると、彼はすぐに機械たちへと向き合って関心を示さなくなった。
表立っては従っているフリをするが、言う事を聞くとは誰も言っていない。背中を向けて舌を出すと、ポケットの中で指を踊らせる。手には錆びた銀色が光っていた。

今日もジタンは食材を両手いっぱいに持ち帰ってきた。しかし様子がどことなくおかしい。食材は机に置かずにベッドのシーツにくるむと、真剣な面持ちで言った。

「クジャ。逃げよう」
「え?」
「あのジジイからお前を解放する」

乱暴に手を掴まれ引き上げられる。焦る彼の表情を見ているだけでこっちの気持ちまで急いてきた。言っている意味はわからなかったが、言う事を聞くしかない。
彼が世界の全てだから。
初めて見る外の世界は、水晶の道で出来ていた。美しく無機質で、酷く恐ろしい。不安になって手を強く握ると、安心させるように指同士が絡まった。
小さくも頼もしい背中がそこにある。頼もしい唯一無二の王子様。2人の逃避行は延々と続くかと思われた。
辿り着いたのは、生き物と見紛う不気味な飛行艇だった。

「こことは違う、ガイアって星があるらしい。そこに行こう」
「君にこれを動かせるのかい?」
「鍵を盗ってきた。あとは……なんとかなるだろ」

屈託のない笑顔で言われてしまえば言い返せない。

「それに、お前がいればどこへ行ってもなんとかなるって!」

恥ずかしげもなく言ってのける彼が憎らしく愛おしい。
初めて、子供を産みたいと思った。
彼との繋がりが欲しくなった。命を育みたいと願ってしまった。想いを込めて手を強く握れば、負けない力で握り返される。まるでプロポースを受けてくれたようで嬉しかった。頬が赤くなり、自覚をしたくなくて俯いてしまう。体も熱くなって下半身がキュンっと締まるのがわかる。
振り向いてきて微笑み彼の笑顔が眩しくて、それでもずっと見ていたくて。心からの微笑みで返せば、照れくさそうに頬をかく彼。
このまま時間が止まればいいのに。このまま世界で2人だけになればいいのに。
そんな事を考えながらもエンジンを探して右往左往する彼を壁から眺めていた。

「ねえ」
「ええっと、鍵は……って、どうした?」
「好きだよ」
「なんだよ急に」
「君がいれば、僕はなんだって耐えられる」
「はは、俺もだ」

そんな一言だけで救われた。
いつもひとりぼっちで耐えていた夜も、彼がいれば寂しくなかった。一緒に泣いてくれる人がいる、それだけで救われるだなんて知らなかった。人の温もりがこんなに心地いいなんて、知らなかった。
彼となら、ちゃんと愛情というものが育めるのかもしれない。体を重ねるのが義務ではなく、愛を持って出来るのかもしれない。
尻尾に指を絡めながら、真剣に船へと向き合う彼に見とれていた。

ガイアという星は、生き物たちが蔓延る平凡な星だった。飛行船や列車、文明はテラには遠く及ばないが、住み心地は悪くない。縛るものもいなければ自由だ。
初めて服を買い与えられて、感動したのも覚えている。
様々な初めてを貰った。服も、幸せも、愛情も。家族とも言えるような存在だと思う。
もうジタンが横にいる事が普通になっていたし、彼がいない生活なんて考えすら出来なくなった。
しかし、彼女は外には出られない。人間、特に男嫌いは治らずに人ごみに入るだけで嘔吐してしまう。小さな小屋を見つけて塒にして、彼が出かけて食料や生活用品を仕入れてくる。方法は細かくは問わないが、正しいやり方じゃないことくらいはわかる。
だが、段々その品質もよくなってきた。どうやら盗む、ではなく正規のルートで仕入れる当てが出来たらしい。どんな方法かは知らないが、興味本位で聞いてみると顔を赤らめて頬をかく。「秘密だ」と。

その表情が恋する顔だと、恋愛を知らないクジャにはわからなかった。

「また出かけるの?」
「ん、まあな」

いつもジタンは日が昇って間もない時間から出かけてしまう。初めはただの狩りであり、理由もあったから理解出来た。ちゃんと獲物を穫ってきてはすぐ戻り、朝食の準備をする。それが日課になっていた。
しかし最近はどうだろう。
朝早くに出かけるのは変わらない。だが帰る時間がどんどん遅くなっているのだ。
この家には娯楽がない。本も読み飽きたし、客人は一切こない隠れ屋である。いつも遅くまで彼を待ってはいたが、酷い時には帰ってこないときもあった。
ジタンは段々顔を見せなくなったのはいつからだろう。
濃くなっていく隈をなぞりながら、欠伸をかみ殺して彼の泳ぐ目を見つめた。

「どこ、言ってるの?」
「食料調達だよ。何が食いたい?」

彼の嘘ももう聞き飽きた。食料を持って帰ってくるのは間違いない。しかしその数がどんどん減っているのは馬鹿でもわかる。
彼の分がないのは当たり前。少しずつ、クジャの事を忘れていくかのように、食料の数が減っているのだ。もし、この数が0になった時、彼の中から存在が殺されてしまうのではないか。そんな恐怖だけが日々強くなっていく。
彼がいないだけでもこんなに寂しいなんて。世界が黒ずんで見えるなんて。
枕を濡らす日も増えてきた。
彼は白黒の世界から助け出してくれた王子様。生きる意味と色をくれた王子様。彼がいないだけでこんなに世界は闇に包まれる。
彼の為に朝起きるのは雑作もない。だが、彼に置いていかれるのだけは我慢出来ない。
爆発した感情のまま彼の背中に抱きつけば、息を飲むのが伝わってきた。

「君は、誰かに会っているのかい?」

率直に問えば、沈黙が訪れる。否定も肯定もないのは肯定の証。力を強くすると冷たい手が慰めるように銀色の荒れた髪を滑った。

「お城のお姫様」

振り返らずに彼は答える。引き止めたいのに、彼は進もうとする。
泣きたくても涙はとうに枯れてしまった。嗚咽を上げながら強く抱きつくが反応はなにも帰ってこない。
世界がどんどん闇に包まれていく。

「ボクを置いて、いかないで」

この手を離せばもう二度と会えない気がした。
いくら見た目に自信を持っていても、恋の力には勝てない。涙で汚くなった顔を隠しもせずに身体を寄せると、優しく、しかし強く肩を押された。

「お前は人が苦手だろ。城ってすごい人がいるんだ」
「ボクは、1人になるの?」
「お前はもう自由だ。好きな人と一緒に生きればいいさ。もう誰もお前に命令なんてしないから」

冷たい言葉に体が冷えるのがわかった。

「ボクは君が好きなんだっ!」
「それは……」
「ボクをあの地獄から連れ出してくれた王子様は君なんだ……優しくして今更捨てるなんて酷いよ……」

手を伸ばしても、寂しそうな表情が返ってくるだけ。下がった眉と少し潤んだ目で見つめ返された、と思えばすぐさま逸らされて小さく呟きが聞こえた。
「ごめんな」
と。
あれから離れた日なんてなかった。そう、新しい姫様が現れるまでは。
夜はいつも寄り添い合って眠ったし、食事も風呂も片時も離れなかった。
もしかして、それは彼なりの償いだったのかもしれない。
勝手に連れ出したこと、不安にさせないように気遣う事。彼の自己満足とエゴと、頼られることへの優越感。それが、新しい対象へと映っただけなのだ。

クジャには、ジタンだけだった。
初めて自ら子供が欲しいと言う愛情が生まれ、何度も誘惑もした。
はね除けられても諦める気はなかったし、いつかはきっとジタンは振り返ってくれるとばかり思っていた。
いつも目に映っていた彼は、彼の全ての姿ではない。そう痛いほど思い知らされた。クジャのみている彼はただの一部であり、こうやって見えない間にも彼はどこかへ進んでいき、知らない顔を増やしていく。
残るのは不安と、焦燥と、後悔。
光なんて、消してしまえば闇しか残らない。痛む胸を吐き気すら催す目眩。それに大穴を開けられたように痛む胸。過呼吸を起こしながら喉を押さえるが、誰も助けてはくれない。
中途半端に希望を与えられるくらいなら、いっそ絶望しか知らない方が幸せだったのかもしれない。甘い蜜を知ってしまっては、奪われたときの飢餓は倍になる。
もう誰の子かすらもわからない腹を抑えて、口から溢れる感覚にえづく。
息がつまり、意識すら朦朧とする。誰もいない部屋の中、冷たい涙を流しながら意識を手放した。

++++
悲恋ものはあまり書かないです

17.7.7


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