十二月、証拠データ


 校内で暖房が入った十二月上旬、外はまだ夕方だというのに闇が深い。旧校舎四階へ、柳は幸村と真田を連れてやって来ていた。テニス部は今日はミーティングだけで切り上げてある。
 柳が幸村と真田を旧校舎四階に連れてきたのには理由があった。男子テニス部のマネージャー二人、愛東と桂に対するいじめが、未だに止まないからだ。ファンクラブ側では犯人の目星をつけたが、テニス部もファンクラブも、決定的な証拠を掴めずにいる。そろそろ愛東を慕う人たちが問題を深くするかもしれない。その懸念も含め、現状を柳が木崎に告げたのは三日前のこと。そうして木崎から出された条件も合わせて、幸村に証拠を掴めるかもしれないと柳が伝えたのは二日前だった。
「ここだ」
 柳が足を止めた教室の扉を、幸村も真田も若干緊張したように見つめた。カラカラと、躊躇も前置きもなく柳が開いた扉の向こうには、木崎がただ一人座っていた。

「情報部へようこそ」

 窓を背にした机には、様々な機器や資料が積まれている。そこに座る木崎を見た幸村は、意外そうな表情を見せた。彼女は普通の生徒だったからだ。幸村が柳から聞いた情報部のデータによれば、部室には大抵部長が居るとのこと。だから彼女が部長なのだろうが、幸村の勝手な想像とは違っていた。身近にいるデータを扱う人間が柳だったせいか、聡明な才女をイメージしていたから。木崎はお世辞にも聡明には見えない、おとなしい普通の生徒。
「部長の木崎夏実です。今日ここに来た理由は分かりますが、一応決まりなので名前と部活をこの名簿にどうぞ」
 教室にある長机に幸村たち三人を座らせた木崎は、プリントが挟まれたバインダーをそこに置いた。プリントには、情報部利用者名簿と大きな字体で打ち出されていて、その下には重要管理情報コピー持ち出し、と手書きで小さく付け加えられている。まず幸村が記名して、次いで真田が、そして柳が名前を書き入れた。
「次、誓約書を確認してからサインをそれぞれ書いてください」
「それは蓮二から聞いたけど、なぜ誓約書が必要か教えてくれないかい?」
「我が部の重要管理情報をコピーとはいえ持ち出すので、悪戯な使い方や情報提供者とのいざこざを起こさないと約束してもらうためです」
 木崎は、幸村の問いにも表情一つ変えずにすらすらと答えていき、三枚の誓約書を三人に手渡した。その誓約書には、「情報は学校側へ提出するためのみに使用すること」「情報提供者をいかなる理由があっても探し出さない、危害を加えない」といった条件が記されている。大袈裟なような気がしたが、それ相応の情報なんだろうと幸村は考えて、サインをした。柳も真田もだ。
「木崎、これでいいな」
「ありがとう」
 木崎が誓約書を回収すると、柳は何かを言いたそうに彼女を見たが、木崎は柳を意図して見ないようにしていた。サインを確認した誓約書をクリアファイルに挟んだ木崎は、窓際の机に置かれた品を三つだけ選び出して、彼らの目の前に置いた。それは、メモリーカードが一枚、写真が入っているだろうアルバム一冊、それとICレコーダーが一つだ。
「これらは、今回の一件の首謀者と思われる人物……ファンクラブ過激派のトップを叩くには持ってこいの情報です」
「すまないが、確認しても構わないか」
「はい、メモリーカードは映像なので、再生の準備をします。その間にその二つを確認してください」
 提示したものの説明をすると、真田が確認をする断りを入れた。木崎はそれに頷くと、教室の暗幕を引いてスクリーンを下ろした。それから、パソコンにプロジェクターを繋げていく。その後教室の奥にある扉へと姿を消した。

 木崎から提示されたアルバムには、愛東と桂が数人の女子に囲まれている場面や、女子が二人の机に刃物を忍ばせる場面等、決定的な証拠が写されていた。

 幸村も真田も驚きを隠せない。まさかこんなに鮮明に瞬間を写し出すなど、離れていては出来ないだろうし、何より何枚もの連続写真を見る限りこれを撮影した人物は、いじめを止めた訳でもなさそうだ。そしてようやく、誓約書の意味する所を悟ったのだった。
「情報の確認は済みましたか?」
 幸村がアルバムを閉じた所で、奥の扉から木崎が顔を出した。彼女の手には、ケーブルとスピーカーがあり、どうやらそれをパソコンに繋げるらしい。柳は木崎をしばらく見つめてから口を開いた。
「ああ、十分な証拠だ」
「皆さん、映像も確認しますか?」
「……いや、大丈夫だ。俺は木崎を……情報部を信頼しているからな」
「そうですか、情報は不要になったら処分して結構です。すり替えや盗難なきよう、管理には十分注意してください」
 幸村も真田も、柳の独断に何も言わなかった。どころか、幸村は意味ありげな視線を、口元の笑みと共に柳に向けている。真田は幸村の行動の理由に何も気付かなかったようだが、木崎を気遣うような視線を彼女にちらと送った。
「さて、今回は何を要求する?」
 柳は、幸村の視線を無視して木崎に尋ねた。幸村は益々笑みを深くして、真田に不思議がられている。木崎は少しだけ思案して、それから手を開いて柳に突きつけた。
「一人、五枚です」
「安いものだな」
「焼き肉定食、でも?」
「いや、妥当だな」
 無理なら立海まんじゅう一人一箱でも構いません、と木崎は笑った。貼り付けたような笑みだったが。柳は、善処しようとだけ返して、幸村と真田を促して教室を後にした。木崎は手を下ろしただけで、三人の足音が消えるまでその場に立ち尽くしていた。
 足音が消えてから、木崎はぺたんと座り込んで肩を震わせた。視界が滲んで、ぽつぽつとスカートに水滴が落ちる。堪えるようだった声は一気に沸き、木崎しかいない教室に痛々しく響く。



「随分無理をしていたね、彼女」
 旧校舎から本校舎を繋ぐ渡り廊下を歩きながら、幸村がぽつりと漏らした。誓約書を持つ木崎の手が、震えていた。それは柳も真田も気付いていた。だから、柳の独断を許したし、早々と教室を去ったのだ。
「木崎は中学の頃、桂と親しかったらしい」
 高校に入学してからは親しくしている姿はあまり見ていないが恐らく今もだろう、と柳はノートを捲りながら答えた。幸村は、ふうんと返してから、情報は蓮二が管理してと申し出た。真田はしばらく難しい顔をしていたが、乗降口に見えた人影に、顔を上げた。
「桂、愛東、なぜここにいる?」
「友達を待ってるの」
 ねえ、と笑顔の桂に同意を求められた愛東も、笑って頷いた。それは楽しそうな、心からの笑顔で、幸村達は安心した。男子テニス部を上げて守ろうとしている、未だ止まないいじめに疲弊してもおかしくはないはずなのに、そうして笑顔を浮かべていられるのだ。二人の言う友人は、随分親しいらしい。
「幸村達は何してたの」
「ちょっと野暮用だよ」
「もしかして、情報部?」
 桂は幸村の答えに、ふと真面目な表情になった。おっとりしていそうな桂は、見かけによらず洞察力が高い。それはマネージャー業にも発揮されている。愛東も、情報部の名前を桂が出したことで、じっと幸村達を眺めてくる。誤魔化しを良しとしない二人分の視線に、柳はため息をついて頷いた。
「私たち、情報部の夏実ちゃんを待ってるの」
「二人は、木崎さんが手を打たなかったことを怒らないのかい?」
「彼女はお前達のいじめを止める手段を持っていたのだぞ」
 幸村も真田も、桂の言葉を不思議に思った。なぜ、二人と親しいなら、木崎は情報部の持つ情報を持って二人のいじめを止めなかったのか。そして、桂も愛東も、木崎が情報部に所属していると知っていたのならば、それを責めないのか。疑問を口にした幸村と真田に、桂はハッキリと返す。
「夏実ちゃんだって、辛いんだよ」
「夏実は、情報部の決まりを破れないからって、ごめんねって謝ったんだよ」
 桂の言葉に重ねるように愛東が言った。情報部は私情を挟まない、得た情報を希望者以外に決して漏らさないなど、様々な決まりがある。決まりを破れば強制退部となってしまう、他のどの部活よりも厳しいルールがあるのだ。柳のその説明に、幸村も真田も情報部を甘く見ていたのだと思い知らされた。利用者名簿も誓約書も、形だけのように思えていたから。
「じゃあ、木崎さんは、ずっと耐えていたのか」
「有希ちゃん、夏実ちゃんのこと迎えに行こう!」
「当たり前!」
 幸村の呟きを置いて、愛東と桂は旧校舎へ向かって駆け出した。一瞬呆気に取られた幸村達だったが、真っ先に気を取り直した真田が、廊下を走るなと叫び、こだましたその声に柳と幸村が笑った。こんな時でも風紀委員なんだと幸村がからかうと、真田はぐうの音も出ない。そんな真田の姿に、けらけらとひとしきり笑った幸村は、次のターゲットを柳に決めたらしい。
「蓮二は行かないの?」
「何のことだ」
「木崎さんの事だよ、好きなんだろ?」
「さあ、どうだろうな」
 ハッキリと答えるつもりのないらしい柳に、幸村は「それじゃ面白くない」と文句をつけている。最終的に、そんな答えは座布団没収だよと口を尖らせた幸村に対し、柳は、大喜利のつもりかと返してから、さっさと下足に履き替えた。


 それから程なくして、立海の男子テニス部を取り巻く環境は平穏なものに戻ったのだった。



> CHAPTER1 END.



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