十月、憂鬱データ


 切原赤也はここ数日悩んでいた。二週間前の体育祭で救護所の女子に借りたタオルを、未だ返せずにいるのだ。体育祭の後にその女子を探してみたが見当たらず、このままで良いかと思っていた所で、彼の所属する男子テニス部の部長、幸村精市に目敏く見つかったのだ。
 幸村に経緯を話すと、見つけた時に返せるように持っていたらと助言され、それから切原は、毎日鞄にタオルを忍ばせてある。しかし、思い出しても化粧っ気がなく、笑顔が柔らかい人だという印象しかない。校内で探してみても見当たらないのだ。一週間後に、いい加減頼ろうと思った先輩達は修学旅行へ向かってしまうというタイミングの悪さ。ようやく帰ってきて代休を消化した先輩達が部活へ参加するのが、今日だ。ようやく肩の荷を下ろせる期待から、意気揚々と朝練を終わらせて部室に入った切原は、真っ先に柳の元へ近づいた。
「あ、柳先輩!」
「赤也が何かを聞きたい確率、100%」
「う、確かにそうなんスけど」
 切原は柳に見透かされ、少しだけ居心地が悪そうにしたが、何を聞きたいのかと訪ねられ、慌てて話を切り出した。
「あの、体育祭の時に救護所にいた女子って、誰だか分かります?」
「惚れたのか?」
「違うッス!ただ、タオル借りたまんまで、返したいんすよ」
 そこで、柳は思い出したように笑った。副部長である真田弦一郎と切原は同じチームで、障害物競争で二位となった切原は、「負けてはならんのだ!」と言った真田にビンタをされていたから。その後、何故か肘を怪我したために救護所へ向かう切原は憮然としていたのが、それがはた目にも分かるほどだった。そんなことを思い出していただけなのだが、笑わないで下さいと、拗ねてしまった切原に、柳は苦笑した。
「その女子なら俺と顔見知りだ、何なら俺が返しておくか?」
「マジッスか?あー、でも幸村部長に、ちゃんと自分で返すようにって言われたッス」
 柳の申し出は切原にとっては魅力的だったが、部長である幸村の言い付けを破る事が恐ろしい結末となるのは、中学からの彼の経験則から明らかだった。柳は柳で、心中穏やかではなかったが、それは切原の預かり知らぬところ。しかし、これで柳の疑問は解消された。体育祭で、木崎が色気のない、おおよそ趣味ではなさそうなタオルを首にかけていた理由が。
「彼女は木崎夏実、二年。保健委員として、毎週金曜日の昼休みに保健室にいるから、教室よりそちらが確実だろう」
 柳は、木崎の純朴そうにみえる、化粧を覚えた女子には埋もれてしまうような顔を思い浮かべた。彼女の顔に特徴がないわけではなく、小さな黒目がちの目には力がある。それが、目の周りを飾り立てない木崎の強みだ。派手な色の髪や、入念な化粧、着崩した制服に身を包む、香水をふりまくような女子には埋もれてしまうような、極々小さな強みではあるが。
 切原がいくら校内で木崎を探してみても見つからない理由も、恐らくそれだろう。修学旅行先で、柳は木崎を見つけることはついになかったのだから。柳が切原に保健室を勧めたのは、単に彼女を良からぬ噂の渦中に放り込みたくないという、エゴイズムが占めている。柳の持つ木崎のデータは、未だ表面に触れられるような部分だけだ。それでも木崎からは、早く脳内から抹消してくれと言われたのだが。あいにくと、柳は集めたデータを忘れるつもりはない。
 今月は、あの旧校舎四階にある教室に行く予定はないことを、柳は惜しいと思う。来月には学祭があり、生徒会として柳は忙しくなるだろうし、その教室を訪れる大義名分である懸念事項は、その忙しさが消えた後に本格化する確率が高いのだ。
「体育祭で怪我でもするべきだったか」
「へ?柳先輩?」
「いや……赤也、精市に怒られないよう、忘れずに返すんだぞ」
 早くしないと皆が戻ってきて何かしら感付かれるぞと柳が言えば、切原は慌てて教室に向かう準備に取りかかった。「部長にまだ返してないこと言わないで下さいね!」といいながら。恐らく彼は、自身のそわそわした態度が口ほどに物を言っている事には気付いていないだろう。朝練終了のはずが、未だ部室に柳と切原しかいないのは、業を煮やした幸村の差し金だというのに。



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