十月、運動データ


 暑さも大人しくなり、空が高くなった十月。立海のグラウンドに歓声が飛び交っている。体育祭と掲げられた横断幕が校舎の窓から吊るされ、パァンとピストルの音が響く。
 午前の競技や昼食も終わり、もう参加競技が終わった生徒は半分近くがダラダラと過ごしていた。残りの熱心な生徒は応援も全力だが、人並みの体力しか持ち合わせていない木崎は救護所と書かれたテントの下にいた。別にサボりというわけではなく、彼女の所属する保健委員の仕事である。パイプ椅子に座り、用意された長机に頬杖をついた彼女の傍らには、救急箱が鎮座している。
「すんません、怪我したんスけど」
「はいはい、傷口洗いました……か?」
 不意に眼前に影が出来、声をかけられた木崎は、顔を上げた瞬間に目を丸くした。確かにやってきた男子は肘を擦りむいていて、それを指差していたのだが、頬が赤く腫れていた事の方が驚きだった。とりあえず彼をテント内に入れ、救急箱から消毒液と脱脂綿を取り出し、染みますよと告げてから消毒をした。
「傷も浅いので絆創膏貼りますね」
「はい」
 鍛えられた腕の彼は運動部だろうか、そんなことを考えながら木崎は絆創膏を貼っていく。肘という曲げ伸ばしをする場所だからと、伸縮性のあるものにした。貼り終わってから、利用者名簿とペンを彼に渡して説明する。
「学年、クラス、名前書いてください。なんか良く分かりませんが一応保健室だからみたいで」
「分かったッス」
 理由はこちらで書きますからと告げ、木崎は傍らのクーラーボックスの蓋を開けた。ひんやりとした空気に、木崎は中にある保冷剤が羨ましくなったが、行事は行事と考え直す。小さな保冷剤を選んで取り出し、それを首にかけていたタオルでくるむ。
「書き終わりました?」
「あ、はい」
「じゃあ、今度から怪我に気を付けてください。あ、あとその頬、冷やしておいた方が良いですよ」
 名簿を受け取り、保冷剤をくるんだタオルを手渡した。すると、今度は男子が目を丸くする。
「え、あ、タオルはさっき替えたばかりなんで綺麗ですから」
「でも悪いッスよ!」
「まだタオル持ってるから大丈夫ですし、暑いからラッキーくらいに考えてください」
 首とか冷やすと気持ちいいですよと言えば、男子は少しだけ笑ってありがとうございますと木崎に返して去っていった。それを見送った木崎は、あのタオルに名前は書いていない事を思い出したが、ありふれたタオルだからまぁいいかと笑った。
「一年、切原赤也……あ、彼がテニス部一年の」
 雑な字の隣に、肘を擦りむいたと書き足した木崎の頭に浮かんだのは、彼の髪は天パなのかという事で、最終的には切原に失礼な気もしたが、今日はワカメの味噌汁が食べたいという希望に発展した。それから、木崎が何枚か持ってきたタオルの中から取り出したのは、色気も何も感じられない、どこかの建設会社の名前が端に書かれた白いタオルだった。
 木崎は名前を覚えるのは得意だが、顔と一致させる事が苦手だった。だから、切原の事も名前は知っていたが顔が良く分からないままだったのだ。まあ近付けば分かるから良いやと、元から覚える気がない事が原因だとは、木崎は全く考えていない。

 それから大した怪我人もなく、木崎は悠々とテントの下で体育祭を観戦していた。騎馬戦では顔こそ見られなかったが、男子生徒が法螺貝を吹いていたのが印象的だった。特別競技の部活対抗リレーでは、男子テニス部にテンションが上がった実況と、サッカー部を応援していた解説がちぐはぐな放送を繰り広げ、結局男子放送委員に交代されるという珍事が起きた。恐らく、今後しばらくは校内伝説として少しだけ語られるだろう。



 ついに最終競技、チーム対抗リレーが始まった。木崎は相変わらずテントの下での観戦だが、少しだけ真剣に見ることにした。人気生徒が多くエントリーしているためか、実況と解説は部活対抗リレーと変わらず男子放送委員だ。各チーム二人ずつがスタートラインに並ぶ。第一走者は女子。そして男子と第六走者まで続くのだが、一部走者の女子の目が血走っていたり青ざめていたりと、木崎にとっては面白い状況になっている。こうした女子の事情は、見るだけでいい、中に入ろうという気はない。
 パァン、とスタートを告げるピストルの音が響き、途端に女子が駆け抜けていく。チームの勝利以外に目的がありそうな恐ろしい雰囲気です、などと実況が流れるせいで、観客として観戦している生徒はどっとわいた。解説をしている男子によれば、第二走者には男子テニス部レギュラーが二人、さらに花形らしいサッカー部とバスケ部のキャプテンがいるらしい。
 様々な思惑を乗せたバトンは、結局何の問題もなく次々に手渡され、ついにアンカーに繋がった。アンカーともなれば陸上部が占めるかと思えば、このグループにはテニス部レギュラーが三人いた。そのうち一人は木崎も良く知る柳、あとの二人は実況によると部長と副部長らしい。そして木崎のチームのアンカーはと言えば、陸上部部長と副部長だった。彼らは序盤こそ差を広げたものの、終盤につれ段々と距離が縮まっていく。特にやたら迫力があるのは、黒い帽子を被る男子だ。物凄く早い。だが、ゆるいウェーブがかった髪の男子と柳も、そんな彼と並走状態で、涼やかな顔をしている。
「がんばれー」
 木崎が投げやりな声援を送ると、何故か柳がいきなり速度を上げた。歓声に紛れそうな、大したことのない応援だったのだから、恐らくラストスパートだろうと木崎は踏んだ。きゃああぁという悲鳴にも似た声援は、段々大きくなる。この声援の主は男子テニス部のファンだろうが、朝からこの調子で声援を送っていたら、明日は喉が枯れやしないかと、木崎は彼女達の身を案じた。
 結局、木崎のチームは優勝を逃して第三位だった。別段順位を気に病むこともなく、保健委員としての仕事も終わり、木崎にとっては憂鬱だった体育祭は幕を閉じた。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -