九月、予測データ


 夏の大会の熱気を引き摺るような残暑続きで、木崎夏実は辟易していた。彼女が通う立海大附属高校は、私立校という事もあって冷暖房完備ではある。だが、それは教室に限った話だ。一度廊下に出てしまえば、むわっと熱気がまとわりついてくる。木崎が廊下を歩く今、時間は放課後の部活動時間で、風が涼しくなってきているのがせめてもの救い。
 木崎は、先ほど職員室で借りてきた教室の鍵を、チャリチャリと鳴らしながら廊下を進み、旧校舎へ続く渡り廊下へ差し掛かった。外からは、夏のうだるような暑さにも堪えてきた運動部の掛け声が僅かに届く。それに負けじとか、おそらく吹奏楽部だろう楽器の音が響くのが心地よい。木崎は、流れてくる曲に合わせて鼻唄を歌いながら旧校舎へ入った。

 男子テニス部は強豪であり、レギュラーは立海大附属中学からの持ち上がりばかりとあってか、やはり全国二連覇。意外な健闘を見せたのは、万年関東止まりだった男子バレー部の全国ベストフォー、女子テニス部は団体よりも個人が優秀らしく、関東ベストエイトの団体戦に比べ、個人シングルスで全国準優勝だ。木崎は旧校舎四階にあるうちの一つの教室で、夏の大会結果を知らせる生徒会新聞に目を通す。大会の後に代替わりの済んだ運動部は、今は二年生が部長、副部長となり部を取り仕切っていて、既に来年の大会に向けて汗を流している。
 温暖化対策だと指導されたためにクーラーの設定温度を少し上げている教室で、木崎は運動部を尊敬した。どちらかと言えば大人しい部類に入る木崎に備わっているものは、そこいらにゴロゴロといる平均的な運動神経や学力の持ち主達となんら代わり映えしない。ただ少し、理数系が得意なだけ。そして、やはり平均的な体型と顔立ちは、典型的な純日本人だ。化粧っ気もないせいか、朝礼や集会では、他のクラスの友人にさえ見つからないほどに、目立たない。自慢と言えば今までインフルエンザにかかったことがないくらいだ。
 自身を省みるとろくなことがないなと木崎は頭を抱えた。気持ちを切り替えるように、鞄から課題を取り出してみたが、特にやる気が沸かない。仕方なく、教室の壁にある棚から、無造作にファイルを取り出し、それを読むことにした。



 黙々とファイルに閉じられた資料を読んでいた木崎の集中を切ったのは、教室の扉が開く音だった。彼女が資料から顔を上げると、入り口には芥子色のジャージを着た、長身の男子が佇んでいた。胸元に立海のエンブレムがあしらわれたそれは、全国覇者である男子テニス部のものだ。部活をしていただろうに、彼は殆んど汗をかいていないように見える。涼やかな顔をしているからだろうか。
「何かご用ですか、柳蓮二くん」
 彼、柳蓮二は時折この教室にやって来る。だが、木崎は知っている。柳がわざわざこの教室に来る必要など、殆んどないことを。それでも、無下に追い返すつもりなど微塵もないが。
「確認したいことがあってな」
「部活を抜けてまで?後で怒られても知らないよ」
「許可は取ってある」
 ふうん、と木崎は呟き、開いていたファイルを閉じて、柳を見やった。彼は、元々目が細いのかどうなのか、常々「本当に見えているのか」と冗談混じりに言われるような目をしていて、目が合ったかどうかは良く分からなかった。柳と木崎は、ある種の「同業者」だが、その点でも、それ以外でも、柳の方が何倍も優秀で、だから木崎は柳がこうしてこの教室にやって来る理由が分からない。
「それで、データマンがわざわざ確認したいことは何なの?」
 木崎はわざと、データマンという部分を強調してみたが、柳はどこ吹く風。変わらぬ涼やかな表情を見せている。だから面白くないんだと、木崎は内心で毒づいた。
 柳は男子テニス部において参謀と呼ばれ、対戦相手の情報を収集し、分析して予測する、データテニスを得意としている。それゆえか、彼は同じテニス部員のデータさえ所持している。他にも様々な情報を集めているらしく、木崎もいつの間にか誕生日に始まり家族構成や住所、果ては身長と、女子にしてみれば明かしたくない体重、スリーサイズまでも柳に知られていた。それを告げられた瞬間には、柳の頭に隕石でも当たって記憶喪失になってくれないかと、木崎は切に願ったのだが。柳に限っては、隕石だろうと予測していそうだし、現に今も気にせず木崎を訪ねてきている。結局、悪用するつもりはないなら良いやと木崎があきらめた。そんなプライバシー侵害のデータマン、柳は少し思案してから口を開く。
「十一月の代替わりだ」
「男テニのマネならこの間入ったし、文化部の話じゃない、となるとファンクラブかな」
「ああ、少し気になる点があってな」
 ファンクラブは部活でも同好会でもない、生徒の私設だ。対象は人気の高い生徒、教師で、特に立海では男子テニス部のファンクラブが大人気である。校内の女子半数近くは会員とさえ言われる、大規模なものと化しているほどに。そして不思議な事に、大会や学祭が秋に集中するため、十一月に代替わりをする文化部と同じ時期に、代替わりが行われるのだ。木崎はファンクラブが、彼らを見掛けや肩書きだけのアイドルのように扱う行為に思えて、あまり好きではない。彼らだって日夜努力を怠らず、汗水垂らして今の地位を得ているのだから。
「えー、まあ代替わりしたら慌ただしいし、人数多くて派閥があるから、マネージャーの桂さんと愛東さんに何かしらする可能性は高いんじゃない?」
「やはりそうか」
「新会長は多分、神影先輩と同じ穏健派だろうけど、代替わりのゴタゴタに便乗して、なりを潜めた過激派が動くかな。過激派が馬鹿じゃなければね」
 予想を含めた話をしてから、木崎は改めて大規模なファンクラブの実態が面倒だと思った。男子テニス部を心から応援し、彼らが部活に集中出来るようにしようとするか、遠くから眺めていたいだけの、現会長率いる穏健派。そして、彼らに近づく者や女子マネージャーは容赦なく排除する過激派。大きく分けただけでも、その二つの対極な派閥がある。今のところは過激派も現会長を慕う向きがあり平和らしいが。全く厄介な集団だなあ、と木崎はため息をついた。
「最悪、過激派に便乗して桂さんを良く思わない人たちが動くかも」
「新会長の手腕次第か」
「便乗する人が出たら一ヶ月くらいかな。あんまり長引くと、愛東さんの周りが黙っていないかもしれないけどね」
「分かった、しばらくはマネージャーを気を付けて見ておこう」
 柳は、木崎の見解をさらさらとノートに書き出していく。それを見た木崎は、ついでだからと机にあるバインダーに挟まれたプリントに、柳の名前と確認した情報を記していった。
 大した量を書かない木崎が先にペンを置く。柳は上から下、また上から下とペンを動かしている。もしかして縦書きなのかと考えた事が、木崎にはある。ただ、それを本人に確認するより先に、英語はまさか横書きを使うだろうとか、数学も横書きだろうかとか、彼女の思考が脱線したのだ。結局、彼と初めて会話をしてから一年以上経過するのに、未だに真相を知らないまま。
「ありがとう」
「いいえ、食券、うどん二枚でよろしく」
「分かった、明日の放課後に持って来る」
「ふふ、情報部ご利用ありがとうございました」
 柳を見送った木崎は、先程書き記した表に、ペンで書き足した。


― 学食うどん食券二枚



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