四月、不測データ


 桜舞う季節、その雰囲気の華やかさと爽やかさは新生活を祝うかのようだ。そんな清々しい四月、新学年になって早々に、木崎は頭を抱えた。清々しいスタートなど頭の片隅に追いやられている。コツコツと進めた課題はとうに提出を済ませているし、クラスも二年からの持ち上がりだから交友関係も問題はない。しかし、彼女には部長という肩書きがあるのだ。そして桜と共にやってくる新入生のオリエンテーションで部活動について説明をし、勧誘しなければならない。
 人見知りをする木崎にとっては切実な問題で、沢山の新入生を前にして部活動を紹介するなど無謀以外の何物でもない。原稿は書けるのだ、原稿だけは。それはもう優等生並みの原稿だと、顧問である山木からも誉められたほどに。それを上手く読み切ることが出来るかどうかが木崎の切実な問題だった。
「いいなあ、亜子ちゃんも有希ちゃんもやらないんだよね」
「本当、夏実って緊張しいだね。掌に人って書いて飲み込んどきな」
「夏実ちゃん、新入生なんか畑のジャガイモって念じると良いんだよ!」
 昼休み、午後のオリエンテーションのためにそれこそ始業式の日から身構えている木崎を気遣ってか、桂と愛東が弁当を片手に彼女の教室へやってきた。そのまま昼食をとりながらも、緊張からなかなか箸の進まない木崎を落ち着かせるために、あれこれ手段を講じては冗談めかして提案していく。
 その気遣いが嬉しいながらも、十数年で培われた性格がそう簡単に変わるわけではない現実に、木崎は申し訳なくなった。他の部活動のようにデモンストレーションをするわけではないため、情報部は部長である木崎一人だけが説明するということが更に緊張を盛り上げる。ひとまずお茶を一口飲んで、昼食を押し込んだ。緊張も飲み込めないかという木崎のささやかな願いは打ち砕かれた。そのタイミングを見計らって、愛東が一つの提案をした。
「夏実、柳に体育館まで付き添ってもらえば?」
「え、柳くんもオリエンテーション出るの?」
「そう、部長と副部長と柳くんでね。夏実ちゃん、柳くんのこと呼び出してみたら?」
「ん?私、柳くんの番号もメアドも知らないよ?」
 はあぁ?と声を上げたのは愛東も桂も同じだ。柳が木崎に対して並々ならぬ思い入れがあることを二人は知っていたし、ゆっくりとではあるが親交を深めていたように見える。しかし互いに連絡先の交換すらしていないとは。柳がデータに基づいて行動するタイプであり、こと木崎に対しては慎重になるのも予想はできたが、あまりにもスローペースな展開だ。
「え、夏実、あんた柳と仲良いよね?」
「うん、学校ではね」
「もしかして夏実ちゃん、春休みに柳くんと会ってないとか?」
「そうだね、連絡先知らないし春休み前に約束とかしなかったし」
 この時、愛東と桂は悟った。木崎は柳の想いに欠片も気付いていないし、良くて文字通り「学校の友達」という認識しかないと。あまりにも鈍い友人の態度を目の当たりにしては、柳に対して回りくどいアピールは止めろと助言したくもなる。首を傾げている木崎を見て、愛東と桂は盛大な溜め息を漏らした。
 二人の態度の理由は分からないが、木崎はその気遣いに感謝した。弁当箱を片付けてなお襲う緊張は、二人のお陰か少しは落ち着いてきている。体育館に近付けばまた緊張がせり上がるのだろうが。
「早めに行こうかなあ」
「その方が心に余裕出来るかもね」
「夏実ちゃん、落ち着いてやれば大丈夫だよ」
「二人ともありがとう!」
 原稿を持ち、愛東と桂と連れ立って教室を後にした木崎は、二人の教室とは反対の方向にある体育館へ向かって歩みを進めた。まだ昼休み中のせいか、廊下には生徒の姿があちこちに見える。時折、ふざけているのだろう大きな声や駆ける足音が響く様は、活気に満ちているというよりも新生活に浮かれているように聞こえた。



「――以上で、情報部の紹介を終わりにします。皆さんの入部をお待ちしています」
 体育館にまばらな拍手が響く中、壇上で一礼して木崎は舞台袖へはけた。情報部の部活動紹介はどうにか終わり、ようやく肩の荷が一つおりた。これからやって来る新入部員への説明などは顧問の山木や他の部員も手伝うことになっているため、あまり気負う必要はない。事前に、紹介の済んだ者は直ぐに教室に戻るよう言われていたため、木崎は一つ深呼吸してからそっと体育館を後にした。

 授業態度の真面目な木崎は、今正に授業中という校内を歩くなど滅多になく、教師や生徒の声が聞こえる中で不思議な気分になっていた。何も悪くはない理由があっての現在だが、まるでサボタージュのような気分になる。どうにも居心地が悪くなり心なしか早足にった木崎は、三年の教室がある階で廊下へと足を踏み出した。
「わっ、ごめんなさい」
「おっと」
 木崎は丁度階段へ向かってきたらしい男子と鉢合わせたが、すんでのところで激突は免れた。頭を下げて彼の脇を通り抜けようとした木崎だったが、すれ違い様に肩を叩かれたため思わず振り返る。よもや授業を抜け出した不良に言いがかりを付けられるのかと、不安と緊張に染まるかのように顔を強ばらせながら。
「お前さん、参謀のお気に入りじゃろ」
 木崎が振り返った途端に声をかけてきたのは銀髪の男子で、彼は確か一年の時に同じクラスだった人だ、と木崎は思い出したが、名前までは分からない。そして馴染みの薄い誰かの呼称に、彼女は呆けた。
「へ?」
「テニス部の柳のお気に入りじゃろ?」
「ううん、私が柳くんのお気に入りなのかはちょっと聞いてみないと分からないけど……」
 すみません、と眉を下げて苦笑した木崎に、彼、仁王はふうんと気のない反応を返してきた。期待していた返答ではなかったのかと木崎は首を傾げたが、彼女は柳の考えは良く分からないし、何より自分でそうだと肯定出来るような確証すらないのだ。仁王は木崎の反応を見てから、何かを閃いたようににやりと笑みを浮かべた。
「お前さん、名前教えてくれんか?」
「あ、はい、三年の木崎夏実です」
「木崎夏実な、ありがとさん。引き止めてすまんかったナリ」
「あ、はい、それじゃあ」
 仁王はそのまま階段を上っていき、木崎はそれを見送ることなく教室へと進んでいった。が、自分の教室に戻り授業を受けるべくノートを取り出した時に、はっと気付いた。
「あ、あの人の名前知らないまんまだ」
 だが、隣の席の男子が今までの授業の範囲を教えてくれるというので、木崎はまあ良いかと思考を授業内容へと切り替えた。どうせ今後会ったとしても、廊下ですれ違うだけだろうと。



 放課後、木崎はいつものように職員室へ向かって廊下を進んでいた。新入部員を迎えるために今日やることを頭に浮かべながらも、大仕事を終えた清々しさに足取りは軽い。ここから職員室までの歩数でも数えてみようか、などとふざけた事を考えてしまう程に。
 そんな考えを見透かされたかのように名前を呼ばれて、焦ったように振り返った木崎の表情は、見る見るうちに驚きに変わった。
「木崎さん」
「えっと、幸村、くん?」
 そこには、男子テニス部の部長である幸村がいたのだ。木崎はどうにか記憶から彼の名前を引き出したのだが、彼が殆ど関わりのない人物をわざわざ呼び止める理由が全く分からなかった。
「あの、情報部はこれからなんだけど……」
「いや、俺は情報部じゃなくて木崎さんに用事があるんだ」
「私に?」
 部活の用事かという木崎の予想は覆され、彼女は益々困惑した。ううんと頭を捻ってみたが、これといった理由も浮かばない。そんな木崎を見て、幸村は苦笑しながら口を開いた。
「君は、桂や愛東と友達なんだろう?」
「あ、うん、そうだけど」
 春休みに桂から聞いた話を思い出して、木崎は顔を強ばらせた。わざわざ幸村が出てきて桂や愛東の名を出したとなると、二人に何か変化があったのか。やはり二人きりになると気まずいのだろうかと、表情を曇らせる木崎。
 くるくると表情の変わる木崎をしばらく眺めていた幸村は、ついに耐えきれず吹き出した。その笑い声に思わず目を見開いた木崎のその態度に、ごめんごめんと謝った幸村は、ふうと息をついてから微笑んだ。
「大丈夫だよ、取って食いやしないから」
「えっ、あ、ええと」
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
 聞きたいこと、と幸村の言葉を反芻し首を傾げた木崎は、小さな違和感を覚えたもののその原因に思い当たる節はなく、気のせいかと考え直した。幸村はスッと真剣な面持ちに変わり、口を開く。
「桂が男子テニス部のマネージャーになった理由を知らないかい?」
 予想だにしない問いに今更だと思いながらも、木崎は首を左右に振った。幸村は、そうかと返して思案顔に変わる。それでも、木崎からはこれ以上何も聞けないと悟った幸村は、にこりと彼女に向けて笑顔を送った。
「ありがとう。引き止めてごめん」
「ううん、こっちこそ力になれなくてごめん。部活、頑張ってね」
 顔の整っている人は笑顔が綺麗だなあと呑気なことを考えながら、木崎は幸村に会釈をしてから職員室へ入っていった。幸村はそんな彼女を見送ってから、先ほどまでの穏やかな笑みではない、人の悪い笑みを浮かべた。まるで何か悪巧みが上手く行ったように。
 幸村がそのまま階段を降りると、そこにはにっこりと笑顔の、一見すれば全く同じ人物がいた。
「俺に変装して何をしていたんだい?仁王」
「プリッ」
 悪びれもせず、仁王は幸村の変装を解いて肩を竦めた。木崎に声をかけたのは仁王だったのだ。
 その頃、職員室から部室の鍵を借りた木崎は、ようやく違和感の原因を突き止めたのだが、しかし彼も何か用事があったんだろうと自己解決していた。部長である幸村が、わざわざ部活開始時間を度外視して自分に話し掛けるわけがないと思っているのだ。うんうんそうだろう、と自分で納得した木崎は軽い足取りで旧校舎へと向かっていった。
「でも何で幸村くんが亜子ちゃんの事を……」
 思わず呟いた自分の言葉に消した筈の違和感がまた沸き上がって来て、木崎は一人、顔をしかめた。問い掛けが愛東のことならばきっと微笑ましい気持ちになっただろうに。
 彼女が違和感の正体に気付くまで、まだ遠い。





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -