不穏


 二学期の終業式も終えて、後は冬休みを過ごしてしまえば、あっという間に卒業だ。クリスマスイブも近いからか、クラスが何処と無く浮わついているのは気のせいではないと思う。何人かは成績表を見て愕然としていたけれど。
 その日、俺は学校から帰ると一人家で荷造りをしていた。部活を引退したせいか、大阪の実家に親戚が集まるからどうせならアンタも行きなさいと両親に言われていたのだ。姉は大学生で、学校が休みになった途端にさっさと先に大阪へ向かってしまったし、両親は仕事の都合で大晦日まで大阪へ帰れないと言っていたから、俺は一人で大阪へ向かわなければならない。
 正直いつだって良かったのだが、何となく早いうちに準備を済ませてしまいたかった。これならば行こうと思った日に行けるから。従兄弟の謙也に催促されたら向かおうかなんてぼんやり思った。


 ある程度荷造りを終えた時には夕方と言うより夜に近い時間になってしまった。外はとっくに真っ暗で、ふうと息をついてから、今日の夕飯をどうしようかと考えた。親は今日は学会だと言っていたから、手早くコンビニで済ませようと決め、財布と携帯だけを手にして出掛けようと玄関に手をかけたところで、インターホンが鳴った。返事をするのも面倒で、そのまま玄関を開ける。
「岳人やん、また喧嘩したん?」
「違う」
 珍しく随分落ち込んでいるらしい。親と喧嘩したのならもっと勢い込んで来るから、やはり何か別なことがあったんだろう。
「俺、今からコンビニ行ってメシ買うんやけど、上がっとくか?」
「いい、一緒に行く」
「ん、ほな行こか」
 結局二人でコンビニに行くことに決まった。外灯が眩しい道を二人で歩く。いつもと違うのは、お互いに黙りこくっていることだ。大抵は岳人がああだこうだと文句を言うのだが、よほど堪えた出来事があったんだろう。
 コンビニで適当に弁当と飲み物を選び、岳人に何か食べるかと聞けば少しだけと言うから、軽く食べられるものも買った。来た道を戻るときも岳人は恐ろしく静かだった。なかなか根の深い問題なんだろうか。


 帰宅して、沈黙の多い少しばかり気まずい食事を終えてしばらくしてから、岳人は手近にあったクッションを抱き抱え、それに顔を埋めながらぼそぼそと喋りだした。
「侑士と、初崎って同じクラスだよな」
「ああ、せやで」
 どうやら初崎関係らしいが、俺には岳人と初崎の接点に思い当たる節がなかった。岳人は少し黙り込んでから口を開く。
「湯河原に怪我させた奴だからさ、お返ししようとしたらさ」
「どないしたん」
 気持ちは分からない訳ではないが、俺はその現場を知らないしその直前まで初崎と俺、さらには湯河原も一緒だったのだ。そして、湯河原が初崎を庇ったのだから、彼女は絶対悪ではないと思っていた。
 けれど、確かに初崎の風評だけを聞き、湯河原と親しいとあれば、仕返しをしたいと思うのかもしれない。だから俺は岳人を責めなかった。それにかなり堪えているのだから、今責め立ててはいけないと思ったのだ。
「あいつ、の腹を、俺は、軽く蹴ったつもり、だったのに」
「うん」
「あいつが、いきなり、咳き込んで血吐いたんだ」
 あいつ死ぬのかなと呟いた岳人は震えていた。確かに軽くのつもりが相手の致命傷だったら、不安にもなるだろう。初崎は大丈夫だろうか。また千石がついているのだろうか。
「病院に運ばれたとか、わからへん?」
「山吹の千石と阿久津が来て、救急車呼んだんだ」
「阿久津もかい」
 予想だにしない名前を思わず復唱してしまった。千石と阿久津の仲が良いのかは知らないが、初崎を良く知る千石がついたのなら多分大丈夫だろうとも思えてしまう。
「しかも、千石にムカつく事言われて反論したら、殴られた」
「痛いん?」
「もう大丈夫、だよ」
 初崎が絡む事案で千石を敵にしてはいけないらしい。
「跡部にも怒られるしついてねえ」
「跡部もおったん?」
「いや、湯河原に頼まれて来たみたいで」
「ああ、湯河原と初崎は友達やからな」
「俺と、宍戸も一緒だったんだけど、跡部ん家で説教食らってそのまま侑士の所に来たんだ」
 宍戸はどうしたと聞こうとして止めた。きっと宍戸も自分なりに反省しているんだろう。落ち込んだ後の立ち直りは岳人よりも早いから。余計な手を入れてはいけないのだ。
「お返しなんてさ、湯河原がやるもんなのに、頼まれてもねえのに何やったんだろ、俺」
「岳人も宍戸も、それだけ湯河原を大切な仲間やって思うてたっちゅう事やろ」
 少し浅慮だっただけで、という一言は飲み込んだ。二人とも、仲間が大切な気持ちが強いのだ。それは三年間側で見てきた俺も、きっと湯河原も同じだろう。初崎を痛め付けたのは許される事ではないだろうが。
「湯河原が初崎を庇ったのだって、湯河原が優しいからだと思ってたんだ」
 岳人はぽつりぽつりと、自分の考えを整理するように喋り続ける。俺はそれを黙って聞くだけだ。
「でも、初崎は居合わせただけだって、湯河原が言うんだ」
「そうやったんや」
「初崎が反論しなかったのは、湯河原が女子に脅されて初崎の下駄箱開けたから怪我したからだってよ」
「なら女子は逃げたんやな」
「うん、初崎は事実だから否定しなかったって」
 初崎は全く清々しいが面倒な性格をしている。落ち着いてきたらしい岳人は、クッションから顔を上げた。
「俺、初崎の事何も知らねえのに、決めてかかってたんだな」
「それが分かって、岳人は何がしたいん?」
「俺、初崎にちゃんと謝る!」
「ん、頑張りや」
 ぎゅうとクッションを握りしめて、岳人は振り切ったような顔をしていた。そして、俺の部屋の片隅にあったキャリーバッグに目を向ける。
「侑士、どっか行くのか?」
「あぁ、年末年始くらい大阪来いやって言われとるんよ」
「明日?」
「いや、気が向いたらや」
 ふうんと返した岳人は、コンビニで買っておいた飲み物をすっかり飲み干し、クッションを置いて立ち上がった。帰るのかと思えば、泊まると言い出してトイレに向かっていく。全く自由奔放である。
「ああ、あかんなあホンマ」
これは本当に、謙也に催促されるまで大阪に行く気になれそうもない。手のかかる相方がいると大変だと宍戸と話した日を思い出して笑ってしまった。



 結局謙也から催促が来たのはクリスマスが過ぎた時で、俺はそれから始業式の三日前まで大阪にいた。東京に戻る時も一人だったが、戻ったその日に岳人に宿題で泣き付かれ、結局ジローも一緒に跡部の家に押し掛けたので、あまり落ち着けないまま始業式を迎えてしまった。
 始業式には居るだろうと思った初崎は、まだ入院しているらしい。湯河原に聞いてみると、見た目は元気そうだったが、安静にしていなければならないのだそうだ。
 岳人と宍戸は去年のうちに、しっかり謝罪も兼ねたお見舞いに行ったらしい。それで初崎も許してくれて、少し仲良くなれたと笑っていたから安心した。
 俺はと言うと、進路をすっかり決め、四月からの準備に追われていて、結局初崎の見舞いには行けないまま、でもメールをすれば短いながらも返事が来た。どうやら病院食は美味しくないらしい。

 学校は概ね平和だった。表面だけは。


 初崎が退院したのは一月の下旬だった。それからは相変わらず初崎への嫌がらせもあったようだが、あまり大きな問題は起きていない。
 そんなある日、廊下で跡部に呼び止められた。珍しいと思いながら、そういえば次期生徒会役員の選挙が近いから忙しいのではないかとぼんやりと考えていた。
「お前、初崎と同じクラスだったよな」
「ああ、せやけど何で?」
「思い過ごしなら良いが、嫌な予感がする。出来れば初崎に何かあったら俺に報告してくれ」
「ええで」
 きっと湯河原が煩いのだろう。もしかしたら千石に何か言われたのかもしれないが。
 だが、それからしばらくは何もなくて、俺はすっかり油断していたのかもしれない。



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