距離


 それから初崎に対する嫌がらせが巻き起こっていたが、本人は特に気にした風でもなさそうだ。それが周りを躍起にさせている事を自覚しているのだろうか。
 それと並行して、湯河原への嫌がらせが減っていて、これで跡部も安心しているのだろう。初崎にターゲットが変わっただけで、狂気は相変わらずあちこちで牙を向いているというのに。
 初崎に対する根も葉もない噂には笑ってしまったが、俺はそれに荷担するつもりは毛頭ない。いらぬ火の粉を浴びたくはないのだ。
「初崎さん」
 授業が面倒で屋上に向かうと、机がないから授業を受けないと教室から出ていった初崎がいた。彼女は教科書を読んでいるようだ。
「ここ、暑いやろ」
「気にならない」
 目は教科書に向けたままで返された。一学期が終わろうとしているこの時期に屋上など、暑い。今日は風があるから幾分か凌ぎやすく、初崎のように日陰にいれば確かに過ごせない訳ではないのだが。
「辛いとかないん?」
「ない」
「何でや?」
「学校は、異端が嫌いだ」
 相変わらず目線を教科書に向けたままで初崎は答えた。生物の教科書は丁度染色体についてらしい。うちのクラスはまだそこまでやっていないのだが。
「排除されるんだ、異端は」
 どうやら初崎は俺の質問に答えているようだが、はっきりとしない。頭を回転させなければ理解できない答えだ。
「すまん、よう分からん」
 頭を回転させるのは好きだが、授業を放棄してきたのに頭をわざわざ使うこともしたくない。素直に言い返せば、初崎は教科書を閉じて顔をこちらに向けてきた。
「私は異端である事に慣れている」
「そうなん?」
「転校の度にそうなる」
 ようやく納得のいく答えを貰えた。こちらが上手いこと投げ掛けないと情報が引き出せないのは困りものだと思うのだが、彼女がそこまで喋った事実よりも、転校が多かっただろう事実に何となく親近感を覚えてしまった。
「親の都合なん?」
「いや」
「じゃあ何なん?」
「たらい回しだ」
 残念だが、全く分からなかった。学校をたらい回しされたんだろうか、問題を自分で巻き起こしそうだからあり得る気もする。色々な事が頭をよぎったが、無情にも鳴り響いたチャイムに、俺はそれ以上干渉するのを止めた。
「忍足、こんな所にいたのか」
 休み時間になっても、初崎も俺も教室に戻る気はなく、ただ無言の時間を過ごしていた。そこに割り込んだ声は跡部のものだった。
「なんやねん」
「今日の部活はミーティングだ、音楽室だとよ」
「わざわざおおきに」
 チラリと初崎を見ると、いつの間にか再び教科書を開いていた。次は世界史らしい。
 跡部が来たことは気付いているだろうが、特に感心を示さない。
「おいそこの奴」
「何だ」
 跡部も苛立ったのか、初崎に声をかけた。しかし相変わらず教科書に視線を落としていたから、何かと目立ちたがるような跡部の機嫌を損ねるのにはぴったりだったらしい。
「俺様を無視とはいい度胸じゃねえか」
「返事はした」
 ここで笑っては矛先がこちらに向いてしまうから、どうにか堪えた。ぞんざいな扱いは跡部にとって嫌な事で、初崎は基本的に他人に興味がない。相性の悪さはピカ一だろう。
「お前、俺様を知らねえのか」
「生徒会長」
 跡部は教科書にしか視線を向けていない初崎に苛立っているのだと助け船を出すべきか悩んだが、面白いのでこのままにしておく事にした。
「チッ、授業くらい出ろよ」
 跡部は結局初崎との会話を諦めたらしく、屋上から去っていった。程なくして休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響き、俺は何となくこのまま過ごすことに決めて日陰に寝転んだ。屋上は余りに静か過ぎたのだが、それも悪くないのかもしれない。


 俺は結局午後の授業全てを屋上で過ごしていた、らしい。初崎に額を教科書の角で小突かれて目が覚めた時には、もう放課後のSHRの時間だったのだ。
「起こしてくれたん?」
「濡れる」
 初崎に言われて空を見上げれば、確かに暗雲ばかりの空に塗り替えられていた。彼女は全く他人に関心がないという訳ではなさそうだ。
「おおきに」
「じゃあ」
 起き上がり礼を言うと初崎は頷いてから立ち上がる。手には鞄があったから、このまま帰るつもりなんだろう。俺はSHRが終わってから教室に戻り、鞄を取ってから部活に行こうかと考えた。そういえば今日の部活は音楽室でミーティングだったか。一体何の話だろう。
 初崎が屋上を出ていったのを見届けて、それから教室に向かうべく、小さく伸びをしてから同じように屋上の扉を開けた。
「あ、忍足くん」
「湯河原やん、どないしたん?」
「この間の子にお礼したくて、跡部くんに聞いたら屋上かもって言われて」
 丁度やって来たのはジャージに着替えた湯河原で、一瞬俺を呼びに来たのかと思ったが、どうやら初崎に用事があったらしい。
「惜しいなあ、さっき帰った所や」
「そう、ありがとう」
 それから湯河原と連れ立って、教室に鞄を取りに寄ってから音楽室へ向かった。どうも午後に音楽があったらしく、ミーティングの後で監督に注意されてしまった。それは構わないが、岳人にからかわれた事だけはどうしても頂けない。さらに跡部に八つ当たりじみた小言を聞かされてしまい、やはり最近運がないと落胆した。



 一学期の終業式、初崎は出席していたが、生徒会長挨拶のあの騒ぎの中でも表情一つ変えずにいたのにはさすがに尊敬した。その点ではジローもなのだが、彼はそもそも終業式に出席している方が奇跡だ。
 それから成績表を貰ったりありがちな注意を受けたりして、ようやく一学期が終わりを告げる。大会が近いから遊び倒すなど出来はしないのだけれど。

「なあ侑士、コンビニ寄らねえ?」
「ああ、そらええわ、暑くてしゃあない」
 八月の頭、電柱や塀に納涼花火大会等という案内が貼られていても、涼しさは遠い。部活が終わってから岳人と一緒にコンビニに寄る事にした。やたら高いアイスでも奢らされるのだろうかと、若干不安になりながら。
「いらっしゃいませ」
 何処と無く間延びした店員の声と冷房の涼しさに迎えられ、コンビニの中へ足を踏み入れる。天国だと騒ぐ岳人を尻目に俺はアイスの並ぶ場所を目指した。出来れば同じような迷惑がる視線を浴びたくない。
 横目で岳人を見れば、漫画雑誌の立ち読みを始めていた。これは時間がかかりそうだ。
「あれ、忍足くんじゃない」
「千石やんか」
 アイス売り場へ向かうと、余りに予想外の人物がそこにいた。山吹中から氷帝までは都内とはいえ近い訳ではないし、わざわざ来なくともコンビニくらい何処にでもあるものだ。
「あ、ちょっとごめんね」
 私服だから彼は部活が休みなんだろうか。考えている間に千石は携帯で誰かと話はじめた。俺はそんな千石から視線を外して、どれを食べようかとアイスを物色することに決め、ひやりとする棚を眺める。
「そうそう、え?来てるの?じゃあ一緒に選ぼうよ、うん、じゃあね」
 電話にしては千石が一人で喋り倒した感が否めない間合いに、なんでか笑いが込み上げた。
「いらっしゃいませ」
 相変わらずやる気がなさそうな店員の声に、千石は入り口に視線を向けて手を振る。そんな姿を見ながら、俺はカップアイスじゃ荷物もあるし食べにくいなあとか考えていた。
 結局無難な棒付きのアイスを二つ選んで顔を上げると、予想外の光景が目の前に広がっていた。
「明里ちゃん、これ新作みたいだよ」
「期間限定」
「この味好きだね、ホント」
 千石と初崎が、仲良くアイスを選んでいるのだ。どうやら初崎は俺に目もくれなかったらしい。
 白地に淡い水色で文字が並ぶノースリーブのトップスの上に、薄手の淡いピンク色の上着を羽織っている初崎は、どうやらチョコレート味のアイスだけを選択肢に据えているようで、新作やら期間限定の文字が並ぶチョコレート味のアイス達に手を伸ばしては止めている。
 期間限定に弱いなんて女の子らしいなあと思いつつ、俺はなんとなくその光景を眺めていた。雑誌コーナーに見当たらなくなった岳人は、きっと食玩を吟味しているんだろう。
「両方買う?」
「やだ」
「別に今日全部食べなくて良いんだよ?」
「明日から合宿でしょ」
「じゃあさ、俺が合宿から帰ってきたらまた買いに来ようよ」
 噛み合っているのか分からないが、どうやら二人の間では意志疎通が図れているらしい。そして浮かぶ違和感。
 果たして何なのか探る間に二人はアイスを選び終えたらしい。良く見れば千石は手にカゴを持っていて、中には弁当やデザート、飲み物も入っている。
「じゃあね、忍足くん」
「学校で」
 二人は俺に声をかけてから連れ立ってレジに向かっていった。妙な取り合わせだが、初崎の意思を汲める千石はきっと彼女と付き合いが長いのだろう。
「清純、お金」
「帰ったら割ろうよ」
 初崎が誰かを名前で呼ぶ姿を初めて見た。
 違和感はこれだった。初崎の世界で俺は、俺達は、無に等しい存在でしかなかったのだ。しかし学校でと言い残したのだから、彼女は少なからず学校を好いているのだと思う。千石の手前なのかもしれないが、それでもいじめを気にするでもなく毎日学校に来ていた初崎は学校嫌いというわけでもないような気がするのだ。
「侑士!これ!」
「あんなあ、俺はアイスなら買うたるけど、それは自分で買いや」
 思考を遮ったのは食玩を選び終えた岳人の声で、さも当然と言わんばかりに、アイスを二つ持った俺の前に、ずいと食玩を突き出してきた。食玩くらい自分で買えと言えば、渋々納得してくれたので許そうと思う。
 それから他愛もない会話をしながら、二人でアイスを食べながら帰った。岳人はコンビニに千石と初崎がいた事に気付いていないらしいから、俺もわざわざその話題を出そうとはしなかった。



 夏休みが明けても初崎は相変わらずだったし、俺は俺で自分の身の振り方を考えなければならなかったから、彼女とは関わる事が少なかった。学祭も、俺は引退した割にテニス部にかかりきりだったから余計だ(跡部が相変わらず常識外れの喫茶店を打ち出したから仕方ない)
 俺のクラスはクレープ屋をやるらしいが、初崎は最初から裏方に決まっていたようだ。それは名目だけらしいけれど。



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