接触


 その転入生は変わっていたから、少しだけ興味が沸いた。
 幼稚舎からの持ち上がりが多い中でも、中等部の三年生にもなれば随分と馴染んだと思う。今後の進路はどうなるかは決めていないけれど、このまま高等部に進むのも悪くないという気持ちもある。ただ、まだ三年に上がったばかりだから、猶予はあるのだ。目を逸らしても構わないだろうか。
 そんな葛藤を抱え始めた頃だ、俺のクラスに時期外れも甚だしい転入生がやってきたのは。
「初崎 明里です、よろしく」
 あまり抑揚のない声と、目がすっかり隠れる長い前髪、随分と細い体の彼女。その異質さにクラスの誰もが敬遠する空気が漂っていたのを、はっきりと覚えている。
 彼女はそれを気にした風ではなく、むしろ自分はそうあるべきだと認識しているようだ。さらには、自分からクラスに溶け込もうとはしていなかったから、彼女が孤立するのは必然のようにも思えてしまった。
 周りとは違う世界を構築しているような彼女は、目の前でクラスの奴らが騒いでいても、まるでそれがないかのように振る舞っているのだ。その姿に何か病的なものさえ感じた俺は、気にしすぎだろうか。
 それでも、その異質なものを排除するために何かが動くのは必然のようにも感じた。


 それから一ヶ月位は、まだ何も起こらなかった。きっと何か、何でも良いからきっかけが欲しい人間の様子見だったのだろう。

 その日は蝉が煩くて、クーラーの恩恵が無ければ何人かがばてるのではないかとさえ思えるように暑い日だった。その日は日直で、日誌を職員室に届け、まだ誰かの鞄があった教室は面倒だったのでそのままに昇降口を出た。じわりとまとわりつく暑さに耐えきれず、俺は日陰となっている校舎裏から部室へ向かうことにした。部長である跡部に、日直で部活に遅れる事を伝え忘れていたから出来ればこっそり、なんて気持ちもあったけれど。
「お前が今までの主犯か」
 見つかりませんようにと願っていた相手、跡部の声が聞こえてきて、内心で説教は困ると思いながら歩みを進めていくと、そこにはテニス部のマネージャーである湯河原と跡部、そして初崎がいた。湯河原は校舎の壁に凭れながらすっかり怯えていたが、初崎は何も気にする事なく跡部と対峙している。
 跡部の言葉から察するに、奴は初崎が転入生だと知らないらしい。しかし初崎は反論する気配がなくて、俺は思わず助け船を出していた。
「そんなん無理な話やろ、彼女は先月転入してきたんやで」
 振り返ってくる跡部と、少しだけ顔を上げたらしい初崎、湯河原は恐る恐る顔をこちらに向けただけだ。きっと状況が把握出来ていないのだろう。
「おい忍足、部活はどうした」
「日直やったんや、これから行くさかい堪忍な」
 機嫌が悪い跡部に怒られるのだけは勘弁したい。しかも今の状況からして、今回怒られれば八つ当たりじみたものになることが予想される。どうにか気を反らしたい。
「転入生か……どうせ誰かに唆されでもしたんだろ?やめとけ」
 なんとも面倒な事態だ。初崎はクラスでも孤立していたから唆されるというのも難しいと思う。けれど跡部はそれを知らないし、何より湯河原に関わる事に関しては少なからず冷静さを欠くのだ。
 跡部の中で、初崎は誰かに唆されるままに湯河原を虐めた人間というレッテルが貼られてしまった。かといって、俺は初崎が湯河原を虐めていないという証拠を持たないし、反論をしない初崎や助け船を出さない湯河原を見ては何とも結論が出せないのだが。
「手当てをしてやれ」
 初崎は跡部の言葉を肯定も否定もせず、それだけを言うとさっさと裏門へ向かっていった。
 残された俺達は少し面食らいながらも、湯河原が小さく呻き声を上げたのを合図に彼女に駆け寄った。
「大丈夫か」
「足……ちょっと捻ったみたい」
「保健室、か部室やな、これは安静にした方がええやろ」
 できれば部活は休んで病院に行った方がいいかもしれないと言う俺のアドバイスに、湯河原は首を横に振る。テニス部マネージャーは羨望や嫉妬で見られ、嫌がらせもあるのだが、彼女はいつも一人で解決しようとするのだ。さらには、マネージャーの仕事はしっかりとこなさなければという責任感も人一倍ある。
「ドリンク作りとかスコア付けくらいなら出来るから大丈夫だよ、忍足くん」
「なら、今日はテーピングで凌いで、明日病院行きや?」
「よし、じゃあ部室行くぞ」
 意外と強情なのだ、この湯河原という人間は。結局跡部が湯河原を部室に連れていくために支えてやったため、俺が一人残された。散々怒られなくて済んだと思うべきかと切り替えて、立ち上がろうとしたら、視界に何かを捉えた。
 近づいてみればそれは少し大きめの、薄い水色に白のドット模様が入ったポーチだった。誰かの忘れ物かと拾い上げて中身を見ると、救急セットのようだ。
 そして白い紙袋。チラリと見てみれば初崎の名前が書かれていた。何かの薬が入っていたらしいそれには、立海大附属病院と記されている。
 もしかして初崎は、湯河原に手当てするように言っていたのだろうか。
「おもろいやっちゃ」
 いつも周りに無関心な癖に、どんな意図があれど初崎は他人を気にかけたらしい。俺はそのポーチを鞄に忍ばせ、明日これをネタに初崎を突っついてみようとほくそ笑んでから部室へ向かった。

 結局跡部には説教をされたので、奴は意外と変なところを覚えているもんだと苦笑いしたが。



「大義名分などなくても、やりたいならやれ」

 次の日、朝練を終えて教室に向かう途中で初崎の声が聞こえ、何となく物陰に身を潜めた。様子を伺えば、初崎と話をしているのは跡部ファンであるクラスの委員長らしい。
 初崎がクラスの誰かと事務連絡以外で会話しているのを、久しぶりに見た気がする。しかしこれは、引き金が引かれたという事か。初崎がわざわざ自分から焚き付けたような印象を受けたけれど。
 足音が二人分遠ざかったのを確認してから教室に向かうと、朝のSHRは始まっていた。


 その日の昼休み、初崎は教室にいなかった。どうしたものかと思いながら廊下を歩いていくと、運良く初崎を見つけた。朝のSHRに遅刻した不運はこれでチャラだ。追いかけていくと、初崎は屋上の扉を開けるところのようで、これ幸いとばかりに屋上へついていった。
「なあ初崎さん」
「何だ」
「これ、落とさんかった?」
「ああ、ありがとう」
 昨日拾った可愛らしいポーチを渡すと、何かが彼女の中で繋がったらしく、大人しく受け取ってくれた。それから彼女は一言たりとも口を開かない。
 全くやりにくいことこの上ない。後輩の日吉の方が愛想はないが随分扱いやすいと思うくらい、彼女は未知の存在に思えた。
「なあ、昨日のことやけど」
 彼女は顔をこちらに向けた。風が流れて彼女の前髪を揺らす。
「何でうちのマネージャー助けたん?」
「別に」
「跡部狙い?」
「いや」
 ここまで話が発展しないのも、ある意味で奇跡だ。予想はしていたがこれはあんまりだ。やはり日吉は可愛いものだと心から思った。あれくらい分かりやすい反応があればまだ良い方だと改めて思う。
「天気ええなあ」
「そうだな」
「友達おるん?」
「いる」
「昼飯いらんの?」
「食べた」
 嗚呼神様何様跡部様、この際榊様でも構いません、この空気と話の発展がない初崎をどうにかしてください。
 俺は自慢ではないが、当たり障りのない会話が苦手ではない。いや、苦手な人間がいるのかも分からないけれど。しかし彼女は最低限の返事だけで、自分で補足することも何かを聞き返すこともしないのだ。彼女相手に会話を発展できる人間などいるのだろうか。
「そのポーチ、中身見てもうた」
「別に構わない」
「俺がおったら迷惑?」
「いや」
 少なくとも、悪い印象ではないらしい。かといって良い印象とも言い切れないが。
 ふと、風が吹いた。少し強めの。
 初崎の前髪がさらりと風に靡いて、彼女の目がきらりと光ったように見えた。初崎の目はやはり冷たく鋭い。撫でた風は少し湿っていて、もしかしたら一雨来るのかもしれない。空に不穏な雲も出始めた。
「目、綺麗な色やんな」
「そうか」
 丁度チャイムが鳴った。ある意味緊張感溢れる対話は終わりのようで、初崎はさっさと屋上の扉へ向かっていく。
「三人目だ」
 何がだか分からない一言を残されて少し呆けた俺は、午後の授業に遅刻した。しかし、初崎はしっかり間に合っていたらしく、少しばかり憎たらしかった。
 ついでに、その日の部活で日吉を構い倒したら、気持ち悪いと切り捨てられてしまった。これ位の反応が少しばかり嬉しいと思えたが、俺はマゾではない、断じて。



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