決意


 今までは、初崎のことを強いと、孤高の強さを持つ人間だと思っていた。誰にも、付き合いが長いだろう千石にも、今が辛いとも苦しいとも言わず、ただその身にふりかかる災難を受け止めている姿が。けれどそれは、彼女の身に付けた分厚い仮面や鎧、そして他人に支えられて出来ているものでしかなかった。

 初崎も、ゆきはと同じように孤高の強さなんざ持ち合わせていない。

 倒れて咳き込み吐血した初崎を目の当たりにして、俺はようやくそれに気が付いた。こいつには千石がいる。初崎を強く見せる要素はそれと、彼女自身が纏う鎧や仮面だけしかなかったのだ。それが剥がれてしまえば、初崎は、酷く脆い。


 二学期の終業式の後、千石からの連絡を受けて向かった公園には、倒れて丸くなっている初崎がいた。ついに、彼女だけで対処できない問題が起きてしまったのだ。まさか宍戸や向日まで荷担していたとは思わなかったが。
 逃げた奴らを無視し、俺は残った奴らを問い詰めようとした矢先、初崎が咳き込んだ。それが、その時の初崎が、ただのか弱い女子でしかなくて。俺はそれを見た瞬間に悟った。初崎の何が強いというのか、彼女は強くなどないと。

 千石がまさか阿久津を使うとは思わなかったし、阿久津が言うことを聞くとも思わなかったが、ともあれ初崎は掛かり付け医のいる立海の病院へ運ばれた。救急車が来るまでに千石が向日を吹っ飛ばしたりもしたけれど。奴はよほど頭に来ていたらしい。俺の時よりも冷酷に、辛辣な言葉まで浴びせていった。

 それから俺は、宍戸と向日に説教をしてみたが、いつもよりマシな反論を宍戸に返された。学校側の意向など無関係に、俺は全て語るべきだったのだと。しがらみを知らないからこそ、という意見なのかもしれないが、口にする言葉にさえ迷いながらもそう告げてきた宍戸が羨ましかった。そんな事、口が裂けても言えるわけはないが。



「景吾、ごめんね」
 ゆきはと二人きりの俺の部屋で、彼女はそう呟いて抱き着いてきた。気にしちゃいない、そう返してゆきはの柔らかい髪を撫でてみれば、ようやく笑う。
 千石に言えば向日のように吹っ飛ばされそうだが、俺はむしろこの事件が起きて良かったんだと思う。これで、初崎が享受するだけで済まされない問題にまで発展したのだから。学校側が徹底的に隠匿するつもりならば、俺はそれをも利用して潰すだけだ。
「今まで力になれなくて悪かったな、ゆきは」
「そんな事ないよ。景吾はずっと、力になってくれたじゃない」
 ゆきはのために、全てを擲ったつもりだった。普段なら樺地に任せるような事だってやってきたし、いじめをしていた奴らを見付けてはそれとなく忠告したりもした。けれどそれでは足りなかったのだ。
 初崎には、いつも己の至らない部分を見せ付けられているような気がする。それはそれで良いのだろうけれど、何となく複雑な気持ちになるのは、きっと俺がまだ子供だからだろう。
「景吾、明里ちゃんは、大丈夫だよね?」
「ゆきは、初崎なら大丈夫だろう。なんなら、千石と連絡を取るか?」
 不安で落ち着かないゆきはを、すぐに安心させられない俺がもどかしい。今は初崎でなければ、ゆきはを安心させることが出来ないのか。僅かに初崎に対する嫉妬心が燻るが、もう、それに付随するどす黒い感情は浮かばない。きっと俺の側にゆきはがいるからだろう。



 初崎は一ヶ月近く入院することになったと、千石から連絡を貰った。ゆきはは度々見舞いに行っていたようで、俺に初崎の状態を逐一連絡してくる。俺はと言えば、年が明けるまで家や学校の雑務が忙しく、なかなか見舞いの時間が取れなかった。

 ようやく雑務が一段落したため、初崎の見舞いに行けば、そこには全く予想していなかった人物がいた。
「やあ跡部、奇遇だね」
「お前も初崎と知り合いなのか、幸村」
 初崎と談笑していたのは幸村だった。どういう経緯で知り合ったのかは知らないが、仲はそれなりに良さそうだ。
 病室は大部屋だと聞いていたから、見舞いの品はゆきはの意見も参考にして、香りのきつくない花にしたが、正解だったらしい。初崎のベッドの脇には果物や何故かスナック菓子が置かれていた。
「綺麗な花だね」
「俺様が選んだんだ、当然だろ」
「ありがとう」
 初崎も、どうやら気に入ったらしい。幸村が気を利かせたのか、花を花瓶に活けてくるよと病室を後にした。大部屋の病室など、俺は初めてだったが、落ち着けそうもない。
「初崎、もう分かってるんだろ」
「そうだな」
「完全に落ち着くには時間がかかるだろうが、授業くらい受けさせてやるよ」
「そうか」
 初崎はいつも言葉少なに対応するが、雰囲気は変わるのだと知った。今はとても穏やかで、以前よりまた痩せたように見える腕から僅かに見える痣が痛々しいくらいだ。退院する頃にはきっと消えているだろうけれど、初崎はそれに対して特に痛いとも言わない。
 一番にしたかった話も一段落し、ぽつぽつと雑談をし始めた頃、幸村が花瓶を抱えて戻ってきた。センスがあると活けられた花を示せば、幸村は時間かかったけどね、と苦笑する。初崎は花をじっと見てから、俺達に改めて礼を告げた。
 その後、俺がゆきはと付き合っていることを知っていたらしい幸村に祝福された。誰から聞いたのかと尋ねれば、何のことはない、ゆきは本人から聞いたらしい。そういえば、去年のクリスマスに揃いの指輪をプレゼントしたら、ゆきははやけに喜んでいた。きっと誰かに喜びを伝えたかったんだろう。



 三学期目前に、忍足と向日とジローが課題が終わらないと泣きついてくるアクシデントもあったが、初崎のいじめを止めるための準備は着々と進んでいた。二月の生徒会役員選挙や、引き継ぎに向けての準備も並行していたせいか、去年から相変わらずの忙しさだったが。
 それでも気になるのは、最近ゆきはが何かを考え込む素振りを見せること。何かあったのかと尋ねても、何もないの一点張り。調べてみても、確かにゆきはの身に何かがあったわけではないようだ。元々、何かあれば俺にも報告するタイプのゆきはだけに、今回のような事は珍しい。

 それから二、三日経ったある日の放課後、生徒会の仕事をこなしていた俺に、ゆきははテニス部の様子を見に行くと言ってきた。その時の、何かを誤魔化すような態度を隠せると思ったのか。
 一通り今日の分を済ませた俺は、ゆきはを迎えに行くついでに久しぶりに顔を出すかと、テニス部の部室へ足を向けた。そういえば樺地から報告を受けるだけで、引退してからはテニス部に立ち寄る事は少なかった気がする。テニス自体は家でプレイしたりしてはいるが。


 仕事をこなすうちにすっかり空は暗くなっていたらしい。これだから、冬はうかうかしていられない気がしてしまう。だが、そんな冬空も、暗いから送ると気兼ねなく言えるのだから悪くはない。
 テニスコートは未だ明るいが、平だか準レギュラーだかしらない部員が自主練習後の片付けに勤しんでいる。その中には部長となった日吉の姿が見えない。ゆきはもだ。一通り見渡し、レギュラー専用部室に明かりがついているのを見て、俺は部室に向かった。



「景吾、ごめんってば」
「仕方ねえ、ちゃんと俺様にも言ったんだ、今回は許してやる」
 部室では、日吉に何か悩みを話したらしいゆきはが泣いていた。俺はそんなに不甲斐ない人間かと詰め寄りたくなったのだが、結局ゆきはが自分にも話したからと許した。そこで怒ってしまえば、俺はただのガキのままだと。
 ゆきはの言葉は、きっと彼女の立場でなければ心から理解することなど出来ないんだろう。けれど、初崎を最初から純粋に好いていた訳ではないと、標的が彼女に変わった事で安心したと告白したゆきはに、俺が重なった。
 矢面に立つ人間がゆきはから初崎に変わった事で得た平穏に、俺も安心していたから。
 俺もゆきはも、結局は子供だったのだ。自分の世界に訪れた平穏が、何かを代償としていた事に気付きながら享受するだけの。
 それでも、今のゆきはは初崎を純粋に友人と認めているし、俺だって同じだ。己の世界に受け入れた人間を助けたいと思うのは、打算でも何でもない。友人だから当たり前だ。
「俺様だってお前と同じようなもんだ、だから次からは俺様に相談しろ」
「なら景吾も、何かあったら私に言ってよね」
「アーン?当然だろ」
「ふふ、そうだね」
 少し泣き腫らした目で笑うゆきはにつられて、自然と笑みが零れる。そうして安心したようにゆきはが笑うためなら、何もかもを擲つ覚悟を、俺は改めて決めた。まだ何かが起こるのかもしれないが、それでも、俺はゆきはが泣く度に笑顔を取り戻してやる。
「ところで、何で日吉にそんな話をしたんだ?」
「日吉くんも明里ちゃんの友達なんだよ」
「初崎の奴、意外と顔が広いじゃねえか」
「でも、明里ちゃんは日吉くんにメアド聞き忘れたままだって」
 とりあえず、日吉には初崎が入院していることを教えた方が良さそうだ。少しばかり、ゆきはの悩みを俺より先に聞いた事は気にくわないが。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -