けじめ


 初崎の容態が落ち着いてきた、と跡部から連絡があったのはクリスマスを過ぎた頃だった。前まではきらびやかだった街並みも、今や何処か忙しなく見える。
 俺と岳人は、電車に揺られて初崎が入院している病院へ向かった。跡部から連絡があった次の日に。
「初崎」
 大部屋の窓際のベッドに初崎はいた。他のベッドにも患者がいるらしく、カーテンが引かれていたり、物が無造作に置かれたりしている。
 ベッドに上半身を起こして座っている初崎は、俺達を見ると、近くに来るようにと短く伝え、カーテンを引いた。
「あの、さ」
「気にしなくていい」
 岳人が何か言おうとしたのを遮り、初崎はあっさりと切り捨てた。俺も岳人も初崎がそうする理由は分からなかったが、かといって問い質すこともできず。
 少しの間を開けて、初崎は口を開いた。
「昔の傷が開いただけだ」
 岳人のせいではないと言いたいのだろうか、それとも、そう思うのは都合が良すぎるだろうか。それでも俺は、何も言えないまま。遠くから人のざわめきが聞こえてくる。
「でも、俺は謝らないと気が済まないんだよ」
「俺だって同じだ」
 そうだ、気にしなくていいとか、責め立てられないからと言って、謝らなくていい訳ではないだろう。それが自己満足だろうと、都合が良いだけでも、俺は。
 俺は、僅かだろうが初崎を知っていたし、初崎が湯河原を嫌ってはいないと感じていた。それを疑って、結局友人を止める事もせずにいた、それが初崎に対して申し訳ない。だから、俺は初崎に謝らなければいけないのだ。
「初崎、悪かった」
「ごめん」
 頭を下げた俺と岳人を、初崎はどんな気持ちで見ているのかなんて、俺にはさっぱり分からないけれど、気にするなと言いながら侮蔑があったとしても仕方ない。それくらいの覚悟を決めている。
 俺達のいるスペースだけが切り取られて、時間がそこだけ止まったような気がしてきた。もしかしたら、それは数秒だったかもしれないが、俺には数分くらいに思えた。
「少年達には、怒っていない」
 初崎はそう言って俺達を責めなかった。
 俺は予想していたから構わない。湯河原だって、初崎は責めないだろうと言っていたから。ただ、都合が良すぎる気がしたから、それにばかり期待をしていなかっただけだ。
 岳人はそれでは気が済まないと引き下がらなかったのだが、初崎はそれでいいと言って譲らない。押し問答を続ける二人に、思わず笑みが浮かぶ。
「初崎、何か飲み物とかいるか?」
「オレンジジュース」
「岳人、それ買ってきてやれよ、それで終わり、な」
 良いだろうと二人に問えば、初崎はそれでいいとすんなり受け入れたが、岳人は渋々だった。俺は、スポーツドリンクあれば、と岳人にお金を渡した。
 岳人が病室を出るのを初崎と一緒に見送り、そしてまた、周りのざわめきだけが聞こえる静けさ。
「アイツさ、あれで責任感じてるんだよ」
「そうか」
「俺もさ、初崎をちょっとでも疑っちまったし、岳人を止められなかった」
「それこそ気にしなくていい」
 初崎は真っ直ぐ俺の方へ顔を向けてくる。その髪越しに、強い目が見えた、気がする。何もかも、見透かされているような、そんな射るような目。けれど、それは不愉快なほど不躾ではなくて、俺は何となく、浮かんだ言葉を並べ立て始めた。
「初崎はそう言うんだと思ってた、だから、多分、俺はケジメつけたいだけなんだよ」
 ただ、俺だけが納得するためだけの謝罪だった。
 初崎に手を出さなかったからと、俺はなあなあにしたくなかった。初崎が怒ろうが責めようが赦そうが、俺は謝りたかったのだ。
 責められて然るべきと思いもしたが、それは謝罪の言葉を告げた時には霧散して、ああ、俺はただケジメとして謝りたかったのだと気付いた。
「気にするなって言われようが、謝らないと俺がスッキリしなかったんだ、それが終わらないような気がして」
「そうか、ならいい」
「岳人はどうか知らねえけどな」
「クソクソ宍戸!自販機遠いじゃねえかよ」
 岳人の話題を出したら、タイミング良く岳人が戻ってきて、俺と初崎は思わず顔を見合わせた。初崎の表情は分からないが、多分嫌だとかではないだろう。
 オレンジジュースとスポーツドリンク、そして岳人が飲みたいんだろうジンジャーエールを抱えている岳人のためにと、俺は悪いなと言ってスポーツドリンクを抜き出した。岳人はオレンジジュースを初崎に渡して、ジンジャーエールの缶を開ける。
「今さら、かもしれねえけど、俺、初崎のこと、これから知っていきたいんだ」
 岳人はジンジャーエールを一口飲んでから口を開いた。病室の外からは子供がきゃあきゃあと笑う声が聞こえてくるが、この場所は静かだ、と思う。音だとかそういう基準ではなく。
「名前」
「え、あ、そうか、そうだな、俺は向日岳人」
「初崎明里」
「よろしくな、初崎!」
 よろしく、と返した初崎は、どこか嬉しそうにも見えた。俺はそこで初めてスポーツドリンクの缶を開けて一口飲んだ。僅かに甘さを感じるそれは何だかこの雰囲気に似合うような気がして、俺は小さく笑った。


 俺と岳人はそれから何回か初崎の見舞いに行った。その内の一回は千石と鉢合わせたが、何を思ってか、千石は俺達に謝罪してきたので、そんなことをされる理由がないと返した。どうやら岳人を吹っ飛ばしたことを、初崎にやりすぎだとたしなめられたらしい。
 千石は、あの冷たさを孕んだ姿が幻かと思うほどに初崎には弱いようだ。



 初崎が退院してからは、なかなか学校で会う機会もなくて、岳人はメアド聞けば良かったと頭を抱えていた。何せ、初崎が忍足と同じクラスだと知っても、教室に初崎が居た試しがないのだから。同じように忍足も、休み時間にはあまり教室に居ないようだ。相変わらず女子に囲まれることに嫌気がさしたのかもしれない。いっそ跡部のように、理事長室に立ち入る事が出来れば忍足も楽だろうに。




「どうなるんだろうな」
「保健の先生は大丈夫って言ってたぜ」
 初崎が首を切って、病院に運ばれた。付き添いまでは出来なかったが、俺と岳人はその後の授業を受ける気分になれず、二人して屋上でサボっている。幸い、授業はほとんど終わりだし卒業式の練習にも辟易していた所だ。
 まだ少し肌寒い風が流れていき、何処からか校歌を歌う声が響いてくる。
 ああ、もうすぐこれを歌う事もなくなるのか、卒業式がまだだと言うのに、俺は何故か感慨に耽ってしまった。
 しばらくお互いに黙り込んでいたが、不意に、岳人がポツリと呟いた。
「初崎は、どうするんだろうな」
「高等部、は流石に行かねえかもな」
「だよなあ」
 岳人は、それからしばらくぼんやりと空を眺めたままで口を開かなかった。それは俺も同じで、ただ聞こえてくる校歌の歌詞を、頭の中で反芻するだけ。

 初崎の事を、俺は殆んど知らない。家とか、趣味とか、好きな物も。でも、俺は初崎と知り合えて良かったと思うし、そうして得た様々な物は、きっとこれから先、何物にも代えがたい糧になるんだろう。何の根拠もないけれど、俺は確信に似た思いを抱いている。
 願うなら、初崎ともう少しでも友達としていたい。
 だから、だから早く、良い知らせが届かないだろうか。


fin.



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