真実


「どういう事だ」
 重い沈黙を破ったのは跡部だった。有無を言わさぬ口調、それは明らかに俺達を責め立てている。湯河原は俯いたままで、何を言うでもない。
「跡部、お前初崎を庇うのかよ」
 真っ先に反論した岳人が少しだけ羨ましかった。岳人は初崎を良く知らない。だから岳人にとって初崎は悪なのだ。それも、絶対的な。
 俺は、と言えば、反論の言葉など浮かばず、今やただの言い訳にしかならないだろう言葉が頭の中に渦巻いているだけだ。
「庇うんじゃねえ、確かにあの一件は結果的には初崎が原因だからな」
「じゃあ何で!」
「切っ掛けは、初崎じゃねえ、ましてやゆきはでもねえんだ」
「どういう、事だよ」
 喉がカラカラに渇いて、上手く声になったかは分からない。跡部が湯河原を名前で呼んでいる事さえ、今は些細な問題だ。

 初崎は悪ではなかった。
 俺はそれに安堵して、そして罪悪感だけがじわじわとわき出てきた。なら、初崎は湯河原を裏切ったわけではない、俺が勝手にそうかもしれないと勘繰って、疑っただけ。
「初崎はいじめを受けていた、だがあいつはただ甘んじて受けていたわけじゃねえんだ」
 自衛の手段を講じていたのだと、そう跡部は説明した。ああ、だからあの日、屋上に鞄を持ってきていたのか。
「初崎の下駄箱には、あいつが自分でカッターの刃を仕掛けてやがった」
 その代わり、下駄箱の中は何も入っていなかった、跡部は調べたんだろう事実を淡々と説明していく。岳人もすっかり押し黙ってしまっている。
「あいつは簡単に屈しなかった、だから初崎と仲が良くなっていたゆきはを使って、初崎を嵌めようとした奴がいる」
 そいつがあの日の犯人なのか、俺は愕然とした。初崎は事が起きてからその場に来ただけで、罪を全て被り、自身を嵌めようとした犯人すら庇っていたというのか。
 俺は初崎を知っている、けれどそれは岳人よりも、というただ比較しただけの傲りだ。そしてそれは、初崎をもっと良く知る人間にしてみれば、ほんの微々たるもの、上辺でしかなかったんだろう。

 初崎は誰よりも優しいのだ、きっと。

「犯人は、初崎をいじめていて、尚且つ湯河原を良く思っていない人間だ」
 そいつらはもう、処分を受けたらしい。湯河原が相手を覚えていたんだろう。犯人はテニス部レギュラー陣のファン、それも熱心すぎる類いの人間だったようだ。
「じゃあ、俺は」
「相手を間違えたな」
 岳人はすっかり落ち込んでしまっている。絶対悪だと思っていた相手がそうではなく、それどころか、初崎が自分のせいで病院に運ばれたも同然なのだ。けれど跡部はその絶望を軽くしようとはせず、さらに追い落とすような物言いをしている。
「おい跡部、これ以上岳人を責めるなよ。俺だって、責められるべきだ」
「確かにな」
「でも、きっとお前も同じなんだよ」
 跡部は確かに凄い奴だ、悔しいけれど。でも、跡部にだって俺達を責め立てる権利はないと、俺はそう思う。
「確かに、俺達は責め立てられるべきだ、けど跡部、お前は最初に、初崎の自首を認めて、湯河原の反論もはね除けたじゃねえか」
 跡部に対して、単なる反発でない反論らしい反論が出来るか、それは分からなかったけれど、俺は思ったままを口にした。跡部は何も言わない。
 俺は堰を切ったように捲し立てた。
「それに、何で俺達にそれを説明しなかったんだよ、湯河原は俺達の仲間で、仲間に何があったか、それを知る権利は俺達にもあるはずだろ」
 だが、と跡部が何かを言う前に、俺はさらに言葉を重ねた。
「学校がどうとか、そんなの関係ねえんだよ、俺は、俺達は、そんな理由だけで知らされない、その程度の関係だったのかよ」
 もしたられば、そんなのが無意味だと分かっているし、もし知らされていればなんて言える立場でない。けれど、湯河原の怪我の理由が秘密裏に明かされて解決していた、そしてそれを知っているのが当事者と跡部だけというのだけは、納得出来ないのだ。俺と岳人どころか、テニス部レギュラー陣の殆んどに知らされていない、それだけが。
 湯河原がいじめられていた時も、俺達は俺達なりに対策を講じたし、止めようとしていた。結局それは陰湿化させるだけだったが、それでも、湯河原を助けたいと思っていた。
 今回も、理由は違えど湯河原が関わっている問題だった。なのに俺達は真実さえ知らずにのうのうと生活していたなんて。もどかしい。歯痒い。悔しい。そして、俺達は愚かだった。
 真実ならもうずっと、俺達の近くにあったから。
「湯河原、悪い」
「宍戸くん」
「俺達は、ちゃんと湯河原から話を聞くべきだったよな」
「ううん、言わなかった私にも、責任はあるから」
 何故真実を知るのが初崎だけだと、俺は思って反論したんだろう。湯河原だって真実を知っているに決まっているではないか。彼女は被害者であり、そして一部始終を知る人間なのだから。
「俺達を責める権利は、湯河原と、初崎にしかねえんだ、きっと」
 一度でも真実を見失った跡部には、その権利は無いのだと思う。それが反発心から出たのかどうかは、俺も知らない。
 結局、湯河原は俺達を責めるでも、かといって容認したわけでもなかった。ただ思い詰めたように俯いて唇を噛み締めているだけ。俺はふと、いつかの湯河原の言葉を思い出した。

― ただの自己満足だよ

 もしかしたら、湯河原は己にだって俺達を責める資格がないと考えているのだろうか。どんな理由かは知らないが、湯河原は打算で初崎に近付いた。そしてきっと、初崎はそれを知っていて湯河原を認めたのだ。
「湯河原、お前が今、初崎を心配してるのも、打算なのかよ」
「違う、そんなんじゃ、ないよ」
「なら、いくらでも俺達を罵ればいい、最初はどうあれ、今は本心で大切な相手なら」
 きっかけが打算だろうとしても、今、湯河原が初崎を気遣って彼女の身を案じている様が、俺には打算には思えなかった。湯河原はもう、初崎を打算など抜きにして、好いているのだと思う。ただ、湯河原がそれを気にして俺達を責めないなら、そんな遠慮など要らないと言いたい。
 俺達は確かに、責められるような事をしでかしているのだから。
「違うの、明里ちゃんが二人を責めるような事、しないと思ったから」
 湯河原は一旦言葉を切った。
「だから、私も、二人を責めない」
「お人好しだな、千石は俺達を責めたぞ」
 初崎と千石の関係なんか知らないけれど、奴が初崎を名前で呼んでいて、そして初崎の容態を分かった上で救急車を呼んだから、きっと千石にとって初崎は大切な存在なんだろう。その千石は、敵意を露にして俺達を責めたのだ。

「宍戸、お前は責めてもらえれば良いのかよ」

「跡部」
「お前はそれで、楽になりたいだけじゃねえのか」
 ぐうの音も出なかった。そうかもしれない、そうされることで、俺は楽になりたかったのかもしれない。
 責め立てられない、それが嫌で仕方なかった。非難の後にある赦しより何よりも、責め立てられずにただこの罪悪だけを抱え続ける事が、何よりも苦痛。それだけだ。
「激ダサ、だな」
「全くだ。とりあえず今日は帰れ、頭を冷やせ。初崎の容態は俺が千石に聞いてやる」
「跡部、悪いな」
 送ると言われたが、俺も岳人も断った。

 跡部の家を出ると、外はもう真っ暗。慌てて時間を確認したら、まだ夕方で、遅いと怒られる心配は無さそうだ。俺と岳人は並んで歩いた。空は明るい星が所々に輝いている。
「岳人」
「なんだよ」
「俺は結局、湯河原も初崎も信じきれてなかったのかもな」
「俺、湯河原が優しいから初崎を庇ってるって、思い込んでたんだ」
 ぽつりぽつりと、お互いに話をした。夕方なのに人通りは少なくて、時折走る車のエンジン音が響く意外は静かだ。
「激ダサ」
「だよな」
 はあ、二人分のため息は僅かに白くて、すぐに辺りに消えた。
 しばらくの無言。
 家の近くに辿り着いた辺りで、岳人は道を反れた。
「おい、岳人」
「侑士の所、行く」
「そうか、じゃあな」
 中等部に上がって知り合い、しばらくしてから今までずっと、岳人の駆け込み寺となった忍足に少し同情した。今の時間に押し掛けて迷惑だとは思わないのだろうか。
 岳人を少しだけ見送ってから、帰ったら犬の散歩に行こうと、なぜか思った。



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