流転


 どうにかジローを家に送り届けてから、一度家に帰った岳人と一緒に、氷帝からは少し離れた公園へ向かった。あのメールに書かれてあった、初崎をシメるための場所だ。


 公園には既に人が集まっていて、中にはテニス部で準レギュラーだった奴らもいた。他にも見覚えのある奴がいたから、多分平部員とかも居るんだと思う。彼らは正レギュラー担当だった湯河原と直接関わる機会はほとんど無かっただろうから、ただ憂さ晴らしがしたいか、初崎に何か言いがかりをつけたいんだろう。
 余りに異様なこの場所こそ、俺は初崎の言うところの異端ではないかと、そう思うほどに、集まった人間以外に人気のないこの公園は狂気が渦巻いていた。

「来た」

 誰ともなしに聞こえた声に、公園に集まった奴らの視線が入り口に向く。そこには、首謀者か何かだろうか、一人の女子と連れ立って歩いてきた初崎がいた。
 狂気が渦巻くこの場の雰囲気に呑まれる事のない初崎は、きっとここにいる殆どの人間のことを全く知らないんだと思う。
 きっかけは誰だろうか、人が集まりすぎて分かりはしなかった。それでも罵声や笑い声が沸き上がって、俺はそれが不快で、でも自分が此処にいる理由を頭は必死に作り上げようとしている。

 遠くから聞こえてくるエンジン音も、周りの声も、煩いとは思わなかった。

― 俺は、何故、ここで初崎と、一対多数で、対峙しているんだ?

「アイツに負わせた怪我より温いだろっ、死ね!」

 岳人が、倒れ込んだ初崎に蹴りを入れたのに気付いて、そしてバイクのエンジン音が近づいてきていて、そして何人か減った事にも今さら気付いた。

「お前ら何やってんだ」

 このどこか異様な雰囲気に流された俺を引き戻したのは、跡部のやけに通る声だった。それだけで残っていた周りのほとんどが逃げるように去っていくのを、俺は横目に見るだけで。
「だ、だってよ、こいつが悪いんだろ?」
「そうだよ、人を怪我させたんだぜ?」
 岳人の言い訳に釣られて俺の口から出たのは、尤もらしい、けれど俺の本心とは裏腹な言葉。責めるような跡部の視線が痛い。
 ふと、視界の隅にあった初崎の体がピクリと動く。
「っげ、ゲホッ」
 何かを吐き出した初崎の手は、カタカタと小刻みに震えていた。その手には赤黒い血がついていて、俺はそれを呆然と見ているしか出来ずに。
 遠かったバイクのエンジン音が近くなり、そして止まって、何故かは分からないが山吹中の千石と阿久津がやってきた。千石は初崎の名前を呼ぶと、阿久津に救急車を呼ぶように指示をして、それから初崎に上着をかけてやってから、立ち上がり此方を見てきた。

「何て顔してるの?」

 千石の声は冷たく鋭い。あいつがこんな声を出すなんて予想出来ただろうか。俺の心臓は、今さら早鐘を打ち始めた。心音が煩い。
「死ねって言って暴行しながら、死にそうな姿見ただけでそんな情けない顔するなんてね」
 千石の目は、笑ってはいない。ただ凶器じみた鋭さを孕んで俺達を、俺を見据えてくる。俺は手を出してないなんて、きっとただの言い訳だ。迷いがあった俺の内心は、すっかり狂気に揉まれたのだから。
 跡部が舌打ちしたらしいが、千石はやはり口元にだけ笑みを浮かべて嘲るように口を開く。
「事実でしょ?」
 救急車のサイレンが遠くから響く。段々と近付くそれに重ねるように、俺の隣にいた岳人が一歩踏み出して千石に反論して。
「お前、お前はどうなんだよ!」
 次の瞬間、空気を裂くような音がしたと思えば、派手な音を立てて岳人がふっ飛んだ。千石が岳人を殴ったのだと理解するまでに少し時間がかかった。
 サイレンが止まる。

「君たちより、覚悟はあるよ」

 千石はそれから阿久津に急かされ、さっきまでの冷たさが嘘のように、優しく必死に初崎に付き添い、救急車に乗っていった。阿久津は俺達を鼻で笑ってから公園を去ってしまった。


 残されたのは、いつのまにか俺と岳人と、そして跡部だけになって。
「話がある、付いてこい」
 跡部のその一言で、その公園にはもう誰もいなくなった。



 跡部についてしばらく歩くと、大通りの路肩に一台の高級車が停まっていた。どうやら跡部は、ここから走ってあの公園に来たらしい。
 跡部を待っていた運転手が後部座席の扉を開けたのを見計らい、跡部は、乗れと一言だけ言って自分はさっさと車の中へ入ってしまう。俺と岳人は少しだけ目配せをして、結局その車に乗り込んだ。
「向日くん、宍戸くん」
「湯河原、何で」
 跡部と俺達だけだと思っていたそこには、誰を心配してか、今にも泣きそうな顔をした湯河原がいた。俺はそれだけで、この高級な車の内装に対して以上に落ち着かない。
 もしも湯河原が、初崎を心配していたのだとしたら俺は、何を。
「詳しくは後だ。出せ」
 跡部はそれだけ言うと、それから跡部の家に着くまで一言も話そうとはしなかった。それは俺も岳人も、そして湯河原も同じで、車内は気まずい沈黙に支配された。何をするでも、喋るでもなく、俺達はそわそわと窓の外を眺めるだけ。



 跡部の家に着けば、真っ直ぐ跡部の部屋らしい場所に案内された。その間も誰も口を開かない。そんな雰囲気にも動じる事のない跡部家の使用人は、俺達を案内すると、お茶をお持ちしますと一言告げて跡部の部屋を後にした。
 完全に扉が閉まったのを確認して、跡部は部屋にある豪勢なソファへ腰を下ろす。湯河原は当然と言わんばかりにその隣に座るように促され、同じようにそこへ腰を下ろした。
 座れ、と短く促された俺と岳人は、テーブルを挟んだ向かいにあるソファに座った。柔らかいそれは、俺達の気持ちとは正反対だ。
 しばらく沈黙、そして使用人が扉をノックしたのに対し、跡部が入れと指示をする。お茶をどうぞ、とテーブルに並べられたのは、きっと高価なんだろうティーカップに入った、温かい紅茶だ。それと、これも高価な皿に綺麗に置かれた焼き菓子。
 一通り並べた使用人は、やはりこの部屋の雰囲気を気にする素振りを見せずに退室した。



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