醜悪


 目が隠れるほどに長い前髪、あまりに細すぎる体、ほとんど変わらない表情。それは私のインナースペースに入れるにはあまりにも異質だった、きっとそれだけだ。
「大義名分が無いと何も出来ないのか」
 冷たく落とされたあまり抑揚の無い声に、私は背筋が凍った。その放たれた言葉は、明らかに私を焚き付けるものでしかなくて、わざわざそれを選んだ彼女の真意をはかることは出来ない。それでも、確かに私はその言葉に安堵したのだ。

 その転入生は異質すぎた。中学で三度目の桜を見送り、五月も半ばを過ぎた頃にやってきたというだけでも、周囲は敬遠していた。彼女もそれを理解していたのかどうか、特に進んでクラスの輪に入ろうという素振りも見せないまま、一ヶ月を過ごしていた。
 梅雨の終焉を見越したかのように、夏もじわりと押し寄せて来る六月の終わり、彼女は相変わらずで私も相変わらずだった。ただ気の早い蝉だけが煩く鳴き始めて。

 私は彼女のクラスのクラス委員長をしている。クラス委員という役職は面倒だけれど、生徒会長と見えて会話する機会を得るためなら容易かった。彼が少しでも、よくやったと認めてくれれば良い。彼は仕事の出来る人間を認めて、労ってくれるのだから。
 こうした努力をしても、彼は私を恋愛対象として見てくれない。彼は自身が部長を務めるテニス部のマネージャーに好意を抱いている。それは、私のように彼を好いている女子にとって周知の事実。
 憎たらしかった。
 私が何の努力をしようと、彼はマネージャー以上の感情を私に向けてはくれはしない。私が何倍の努力をしても届かない場所にいるマネージャーが、嫌いだった。
 そう思っている人間が沢山いるから、彼女達と結託してマネージャーを虐める事はとても容易かった。それが、ただの惨めな嫉妬だと分かっている。けれど、頭では分かっていても気持ちは追い付かない。

 その日は梅雨晴れを狙ったような蝉が煩くて、日陰である校舎裏でも汗がじわりと滲むような日だった。心のどこかで無駄だと分かっているのに、いつもの仲間とマネージャーの頬を叩いて転ばせて、それでもやりきれない気持ちを足に乗せて蹴りつけた。一頻り痛め付けて立ち去った、のに。
 その日だけは、私はこっそりと戻ったのだ。

―― もしかしてマネージャーを助けたように演じれば、私は彼に目をかけてもらえるかもしれない

 その考えは我ながら浅はかだと、馬鹿だと思う。度重なる虐めに彼とマネージャーはさらに仲を深めているかもしれないのに。ただでさえ入り込めなかったその間が、さらに狭まっているだろうに。それでも僅かに見えたような希望に、私は歩みを進めた。
 マネージャーを虐めた場所に近づくと、泣き声が聞こえた。啜り泣くようなそれはマネージャーのものだろうか。いつだって弱さを見せない彼女は、強いわけではなかった。
「足、痛めたのか」
 ふと聞こえてきた冷たい声に、マネージャーに近寄ろうとした足が止まる。それは転入生である初崎の声だったから。私は何故か、慌てて手近な茂みに体を隠して聞き耳を立てていた。彼女がまともに話をしたのを見たことがないからだろうか。私が下心に従ってマネージャーに取り入ろうとした事実が後ろめたいからだろうか。
「使え」
 とさりと何かが地面に落ちる音に重なって、誰かの足音が聞こえる。ああ、嫌な予感がする。死角だから私は見えないはずなのに、心臓が早鐘を打ち背筋にはヒヤリと汗が滲みてくる。
「おい、お前何をしている」
 聞こえたのは、私が焦がれて止まない生徒会長の声だった。
「こいつを泣かせたのはお前か」
 それは私の耳に痛いくらい突き刺さる。初崎にかけられているだろうそれに、私の心が容赦なく抉られたようだ。私が覗き見ているとは気付いていないらしい初崎は、しばらく沈黙していたようだが、静かに冷たい声を落とした。
「そうだ」

 私は目を見開いた。

 てっきり違うと、マネージャーが虐められていた後に出くわしたと言うのだと思っていたのに、彼女はあっさりと認めたのだ。ただ、その抑揚の無い声に、彼女の気持ちを知る事は叶わなかったが。
「お前が今までの主犯か?」
 違うと、飛び出せない。彼女は事実を事実と認めたのに、私は何も認めたくなかったのだ。彼に敵視されては、私は彼に認められなくなる。僅かに和らぐ目とともにかけられる労いの言葉が、私の築いた数多想いが消えてしまう。結局、ただの横恋慕に私は縛られているのだ。

「そんなん無理な話やろ、彼女は先月転入してきたんやで」
 初崎が口を開くより先に落とされた声に、私はまた冷や汗を滲ませた。テニス部で私と同じクラスの彼が、助け船を出したのだから。生徒会長の跡部くんと、同じクラスの忍足くんの会話は、風が出てきて良く聞こえなかった。いや、私の心臓が煩かったからかもしれない。とにかく、聞き耳を立てても分からなかったことは事実。
「手当てをしてやれ」
 初崎はそれだけ言って去ったようだ。足音が遠くなっていく。それから、私は跡部くんがマネージャーを保健室に連れていったのを茂みの隙間から確認して、屈んだままこっそりと戻ろうとした。
「おもろいやっちゃなあ」
 忍足くんが、何かを拾い上げて笑った声が、やけに耳につく。蝉が煩い。



 私は教室に戻ってからゆっくりと考えた。

―― 初崎は跡部くんに取り入ろうとしたのではないか?

―― だから人と関わらないのにマネージャーを助けた?

 とにかく、転入して一月ちょっとの人間が跡部くんと対峙して会話をした事が気に入らなかった。私達でさえ、クラスメイトでも一部は、事務連絡以外で跡部くんから声をかけてくるなんて滅多にないし、話しかける暇さえないのだ。
 それなのに彼女は、どんな形であれ跡部くんに声をかけられて、会話をしたのだ。ああ、なんて苛立つ存在だろう。



 次の日に問い質したら、彼女は何も答えずに一言だけ私に告げた。
「大義名分が欲しいか」

 どきりとした。

「そんなものなくても、やりたいならやれ」

 彼女の髪の隙間から見えた目は、キラリと光ったような気がした。私はそれに、少なからず救われたのだ。
 跡部くんの怒りを買わずにこのやり場のない気持ちをぶつける相手が出来た。マネージャー以上の感情を貰えないもどかしさも、あの煩い蝉の鳴き声も、彼女に対する嫌悪感も、何もかも。

 矛先を変えただけで、狂気はずっとこの中に渦を巻いていたのだと、私は知らない。




 簡単だった、全て。

 異質な転入生の噂を流せば、周りは簡単にそれを信じた。彼女はあまりにも異常だったから。テニス部のマネージャーへの嫌がらせも未だにあったけれど、それも徐々に減っていった。マネージャーよりも異質な人間は、あっさりと狩られる魔女となったのだ。
「あの子、気持ち悪いよね」
「ホント、喋らないし笑わないし」
「目を見ると殺されるんじゃない?」
「ヤだあ、怖い」
 私が流した嘘の噂はどんどんエスカレートして、悪口や罵声を浴びせる人間が増えて、いつしか学年、ひいては学校全体が彼女を悪意ある目で見て、一学期が終わる頃には彼女に対する嫌がらせが後を絶たなくなったのだ。
 それでも彼女は表情を変えなかったし、学校を休むこともなかったのだけれど。机を隠しても、靴を隠しても、呼び出しても、彼女はそれを気にした風ではなかった。それがますます私達を躍起にさせる。
 恐怖に歪まない、泣き叫ばない。
 いつしか私は、彼女の表情を歪める事が目的となっていた。



 終業式の日に呼び出して、私達はついに彼女に手を上げた。それでも彼女は眉一つ動かさなかったし口元さえ歪まなかった。乾いた音を立てて、私は彼女の頬を叩く。それでも彼女は何もしない。
 仲間が足を踏んでも背中を蹴っても、彼女は無表情だった。

 怖かった。

 振りかざした手が震えて背筋が凍る。

 何だ、彼女は、何だ。

「終わったなら帰る」

 茫然とする私達を置いて、彼女は去っていく。誰もが暫く動けなかった。


 アレは、何だ。


 その恐怖を抱えたまま夏休みを迎えた。夏休みの間は平和だった。周りは彼女を魔女と名付けはじめて、ただその異質な人間を排除する計画を練る事を止めないままに過ごしていたようだし、私もそれは仕方ないと、おかしなことなどないと思っていた。



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