猜疑


 学祭を明日に控えた校内はどこか浮わついていた。あちこちがきらびやかに飾られた廊下を、俺は歩いている。
 準備をサボっている訳ではなく、同じクラスのジローを探しているのだ。いつもジローを探している樺地は、跡部と共に生徒会の仕事をするからとテニス部のブースを後にしてしまったから。

 騒がしい校内にはいないだろうと思いながら、俺は昇降口へ向けて、ざわざわと騒がしい廊下を進んでいく。テニス部は引退したはずの三年まで集められ、跡部が打ち出した、やたら豪華で落ち着かないような喫茶店をやる羽目になっている。氷帝には跡部をはじめとした御曹司や社長令嬢なんかが多く、各クラスとも凝っているのだが、跡部の打ち出した喫茶店はクラスのものよりも豪華さの度合いが違う。
 それは廊下を歩いていても分かるほどで、多少豪華でもクラスの方が居心地が良さそうだと、少しため息をついた。
「あ、湯河原」
「あれ、宍戸くんどうしたの?」
「ジロー探してくる。樺地は跡部と生徒会の方いっちまったんだ、お前は知らねえか?」
「うーん、私も分からないなあ」
 ゴミ捨てに行ったけど、校舎裏はいなかった気がすると言われたので、中庭にでもいるのかと予想をつけて、上履きから靴に履き替えた。
「引き止めてわりいな」
「ううん、頑張ってね」
 頑張らなければ見つからないというのも不思議なものだが、それは事実だから曖昧に笑って中庭へ向かった。

 一緒に探してくれとでも言って、連れ出せば良かったと後悔したのは、中庭に差し掛かり、昇降口から悲鳴が聞こえてからだった。

 何が、と思うより先に体は昇降口に向けて駆け出していた。聞こえた悲鳴が、湯河原に似ていたから。まさか、また、なんて思いが沸き上がる。

「湯河原!」

 昇降口では、湯河原一人が蹲っていた。あの悲鳴は校内のざわめきに消えてしまったのだろうか。慌てて近付くと、湯河原の手からは血が流れていて、それが擦り傷とかならば良かったのに、そんな傷よりも多そうな流れる血が俺を動揺させた。
「ゆ、湯河原大丈夫か?」
「う、ん。ちょっと痛いけど」
「どう見てもちょっとじゃねえだろ」
「大丈夫、さっき跡部くん呼んだし」
 気丈に笑う湯河原の手を良く良く見れば、そこには白い布が巻かれていて、誰かに応急処置をしてもらったのかと、少しだけ安心した。とはいえ、その白い布からじわじわと赤い染みが広がっていたのだが。
 ただ声をかけるしかできなかった俺の前に、跡部が樺地を従えてやってきた。
「湯河原、大丈夫か」
「あ、うん」
「跡部、湯河原は」
「病院に連れていく」
 車は呼んだと言う跡部はよほど湯河原が大切なんだろう、自分が付き添うつもりでいるらしい。俺はまだ見付けていないジローを探しに行くために立ち上がった。
「宍戸」
「何だよ、跡部」
「ジローの奴は樺地に探させる。お前はテニス部の方にまわれ」
「ああ」
 命令口調は相変わらずだが、前日とあって準備ももうすぐで終わる位には進んでいるから、ここで準備の手を休めたくはないのだろう。跡部は湯河原をやけに気に入っているが、同時にこの学校も気に入っているのだと感じさせる。
 結局俺は、湯河原と跡部を見送ってから上履きに履き替えて、テニス部のブースに戻った。

 犯人が初崎だと知ったのは、その日の放課後、下校時刻の迫る時間だった。



「自首してきたんだよ」
「俺、初崎が分からねえ」
「ただ、湯河原は必死に庇ってたな」
 学祭の休憩時間、忙しそうな跡部を捕まえて、初崎が犯人たるゆえんを聞き出した。自首、なんてしたって湯河原に負わせた怪我は一日二日で治るような擦り傷や切り傷ではない。初崎に負わされたのは二週間の自宅謹慎。
「そうか。悪いな、ひき止めて」
 気にするなと言い残し、跡部は学祭運営のメンバーがいるんだろう教室へ向かっていった。残ったのは俺と、中に抱えたモヤモヤだけ。
 初崎は湯河原を嫌っていた訳ではないと思うのに、何で湯河原を傷付けたのだろう。そもそも何で、湯河原は怪我をしていたのだろう。
 俺は浮かぶ疑問に何一つ答えを導き出す事が出来ずに、そしてその疑問を、湯河原に問い質そうとも思えなかった。それを問うことで、湯河原がまた傷付くかもしれない、そんな想いが沸き上がったから。

 でも、本当は、真実を知るのが怖かっただけなのかもしれない。

 初崎が湯河原を裏切ったとしても、初崎が無罪だとしても、結局自分では何が出来るわけでもない、そう思っていたのかもしれないし、また湯河原が標的にすり変わるのが、怖かったのかもしれない。
 俺はやはり、言い訳じみた一言で己を無理矢理に納得させるだけ。

「女って、わっかんねえ」
 結局学祭は、初崎が居ない事を除いては、何の問題もなく終わった。



 秋、よりはむしろ冬に近い晩秋、推薦組は殆んど進路が決まったせいか、何とはなしに学年の間には気だるささえ感じる。それは俺も例外ではなくて、高等部進学の為の試験に滑り込みに近い成績で滑り込んだ割りに、授業を抜け出して屋上へ足を進めていた。
 寒さはむしろ好都合で、暖房に暖められた体を冷やすには丁度良いだろうと思ったのだ。
「初崎、か」
「宍戸少年」
 屋上には先客がいた。
 初崎とは随分久しぶりに顔を合わせるな、なんて考えながら、俺はどんな顔をしていれば良いのか分からないままだ。俺は結局、給水塔のふもとに座る初崎から少しだけ離れたフェンスに背を預けて座った。
 授業、と聞かれたから、サボりだと返す。初崎の態度は、何一つ変わっていない。変わったのは、俺の中でだけか。
「なあ、初崎」
「何だ」
「湯河原を怪我させたのは本当にお前なのか?」
 実を言うとそれを信じられなかったし、信じたくもなかった。何で湯河原を裏切るようなことを初崎がするんだ。訳が分からない。
 だから、本人に聞けば事実が分かると思ったのだ。
 初崎は開いていた本、多分教科書を閉じて、それを傍らに置かれていた鞄に仕舞い込んだ。それから俺の方へ顔を向けてから口を開いた。
「それで解決した」
「俺は解決できてねえんだよ」
「異端は狩られる、それだけだ」
「は、おい、初崎」
 結局初崎は、そのまま屋上を後にしてしまった。事実は全く分からず、さらには初崎の言葉の意味さえ理解できそうもない。屋上を横切る風は俺の体を冷やしてくれて、でも頭の回転は早めてくれなくて。
 俺はやはりこう呟いた。
「女って、わっかんねえ」



 初崎の言葉を何一つ解明できないまま、気が付けば寒さが段々と強まり、二学期の終わりが目前に迫ってきていた。
 そんなある日、一通のメールが届いた。送信者は岳人だったから、きっと遊ぼうだとかそういう類いだろうと見当をつけて開く。

― 初崎明里に、仕返ししないか?

 それはあまりに意外で、そして唐突だった。岳人と初崎は接点が無さそうだから。気になって、どういう事だとメールを返せば、すぐに返信が来る。岳人はメールをやたらとマメにする人間だから、きっと打つのも早いんだろう。
 岳人からの返信を見てみれば、クラスの奴から初崎をシメようというメールが届いて、湯河原に怪我をさせた奴だから仕返しをしようと思い立ったらしい。途中にやたら絵文字がチカチカしていたから、不穏さは四割くらい少ないが。

 確かに、それは間違いとは言い切れないのだろう。

 湯河原はしばらく腕に包帯を巻いて、少し不自由な生活を強いられていた。なのに初崎はいつもと変わらない態度でいたのだ、彼女が学校から謹慎処分を受けたとしても、湯河原とは散々悪ふざけもしたりと意気投合していた岳人からしたら、腹の虫がおさまらないのかもしれない。

 俺は、どうだろう。

 考えてみたが、結局初崎を悪にしたくはなくて、それでも湯河原に怪我をさせたという事も未だに赦しきれない、中途半端な気持ちだけが転がっているだけ。
 俺は少しだけ考えてから岳人にメールを返した。

― 俺も行く

 出来れば初崎と話をしたい、しっかりとあの日あの時の説明をして欲しい。そう、思っただけなのだ。



 二学期の終業式はつつがなく終わった。成績表は相変わらず飛び抜けて良いわけでも、絶望的に悪いわけでもない数字が並ぶ。三年間変わらなかったそれに、多分親の反応も変わらないんだろうと、確信に似た予想がつく。
「おいジロー、起きろ、教室閉めるってよ」
「んー」
 ホームルームが終わり、クラスメイトが悲喜こもごもな表情で教室を飛び出していく。そんな中でもジローだけは延々と机に突っ伏して眠っていて、今日の日直が揺すっても起きる気配がない。試しに俺が声をかけてみたが、やはり起きない。
「宍戸、何やってんだ?」
 どうやらホームルームが長引いたらしい岳人が教室を覗いてから入ってきた。
「岳人か、ジローが全然起きねえんだよ」
「帰りたくねえ成績だったんじゃねえの?」
 そんなわけがない、と言えないのは、多分ジローの授業態度のせいだと思う。岳人が叩いても揺すってもやはりジローは目が覚めなくて、仕方なく俺と岳人の二人でジローを家に送り届ける事にした。
 ジローの鞄に無造作に入っていた、クラスの女子が入れたんだろうお菓子で釣ってみたら、思いの外あっさりと動き出したので、実は起きてるんじゃないかと疑いをかけたが。



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